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お檀家さんの女性が、法事の依頼にやってきました。もうすぐ、亡くなられたお父さんの一周忌です。
いつも元気な下町のお姉さんという感じの方なのですが、お父さんを亡くして一人暮らしになってしまい、このところお寺にお参りに来ても塞ぎこんでばかりいました。
若いころに亡くなってしまったお母さんに代って、彼女はお嫁にも行かず、ちょっと気難しい職人だったお父さんの面倒をずっと見てきたのです。
一周忌が近づくにつれ、彼女の心はまた新たな悲しみに覆われてきているようでした。
日程や時間を決め、建立する塔婆の依頼主を書きだし、食事や引き出物の手配をして手続きが一通り終りました。
すこしホッとしたところでお茶を飲みながら世間話をしていると、一年前のことをいろいろと思いだしたのでしょうか、少し涙ぐんできました。
「方丈さん、お父さんはちゃんと向こう側に行っていますよね?」
「大丈夫だよ、無事に向こうに渡れるように、皆で一生懸命お参りしたじゃないですか。お彼岸やお盆もちゃんとお勤めしたし、今頃はお母さんと仲良くやっているにきまってますよ。」
「そうですよね、三途の川の渡し賃も持たせてあげたし、お通夜の前に髭もきれいに剃ってあげたから、いい男でお母さんに会っていますよね?」
「そういえばお別れのとき、お父さんがよく使っていた煙管を棺に入れてあげていたじゃないですか。きっとあの煙管で一服つけながら、毎日あなたのことを見守ってますよ。」
涙を拭いて一口お茶をすすった彼女が、ちょっと怪訝な顔で私のことを見つめます。
「どうかしました?」
「あのう、方丈さん・・」
「はい?」
「あの世にも刻みタバコって、あるんでしょうか?」
「うん、なんでもあるっていうからねえ・・・大丈夫じゃない?(汗)」
なにか少し考え込むような表情のまま、彼女は家に帰って行ったのでした。
それからひと月あまりが経った一周忌法要の日のことです。
ご自宅に伺うと、法事の申し込みに来たときとはちがって、元気な笑顔の戻った彼女が親戚の方とともに忙しそうに立ち働いていました。
お仏壇には、笑顔のお父さんの写真が好きだった日本酒やお供えのお花、お菓子にかこまれて微笑んでいます。
そして、お位牌の前には小さな刻み煙草の箱が三つお供えしてありました。
それを見つけたとき、亡くなったお父さんのことを想う彼女の心情に胸が熱くなるとともに、良いご供養をしておられる、と感じたことでした。
法要後、聞けばあの日お寺の帰り、彼女は刻みタバコを買いにタバコ屋さんに立ち寄ったのだそうです。
刻みタバコを扱っているタバコ屋さんは、今はそう多くはありませんし、銘柄も小粋とよばれる一種類のだけです。
あちこちタバコを探して出歩くうちに、このお店はお父さんと一緒に来たことがある、この通りのお蕎麦屋さんにいっしょに入ったことがあった、などと、お父さんと過ごした、大変だったけれど楽しかった日々をたくさん想いだし、振りかえることが出来たのだそうです。
お目当てのタバコを買い求め、御仏壇にお供えして「大丈夫だから、ちゃんとやってるから心配しないでね。毎日頑張っているから、見守ってくださいね」と彼女はお父さんに語りかけたのではないでしょうか。
彼女にとって今回の法事は、故人を偲ぶだけでなく、その準備の期間にお父さんと一緒に過ごした時間を振り返ることで、生きるための力をいただいた大事な時間となったのだと思います。
よく皆さんに申し上げる事ですが、読経やお焼香だけでは供養の心は生きてきません。手を合わせる皆さんの日々の生活の中に生かされて初めて、供養の心が生きる力の糧になるのです。
その時その場だけの手合わせではなく、亡き人の顔がふと心に浮かんだり、声が聞こるような感じがしたりするとき、その人の想いを今の生活の中に生かせるように今自分は何をすべきなのかを考える事も、ご供養が生きる力につながる大事なこととおもいます。
今回のお話は、ある方丈様のお話をヒントに脚色、再構成しました。
今日はここまで。