花粉症の人にはつらい時期がやってきました。
住職も目の周りが赤くなって、目玉を取り出して洗いたくなるような気分です。
特にひどいのはくしゃみのほうで、一回出始めるとなかなか止まりません。
鼻水もでて、家族のみんなには大顰蹙をかっています。
葬儀や法事の時は、緊張感からか不思議と収まっているのですが、
ちょっと気を抜くと、ひどいくしゃみが出ます。
この一両日は、声が枯れるくらいくしゃみが出ております。
早くこの時期が終らないかなあ・・・・
「地藏堂 初夏の夕暮れ」
さて、倫勝寺は昭和の初めに秋田県能代市の倫勝寺の弟子、
馬場慈宗老師(先代道男和尚の親)が東京の江戸川区小松川に
布教所を開設したのがその始まりです。
戦後、寺のあった場所が東京都の防災地域に指定されたことから
倫勝寺は移転を余儀なくされ、
昭和六十三年十二月、現在の横浜市戸塚区川上町に移転してきました。
墓地の入り口に安置してあるお地蔵様達も、
この時に小松川から一緒に引っ越してきました。
今回から3回にわたって、お地蔵様の由来記をお届けします。
お地蔵様達がどういう因縁で倫勝寺に祀られるようになったのか、
お地蔵様を見つけた方によって詳しく記されています。
文章を書かれた方は「内山義則」さん。
おまわりさんだった方のようです。
由来記は『小岩警友会々報「光和」六号』に掲載されたものです。
(何年頃のものかは判りません、ご存知の方はお知らせください)
文章を若干整理したり、仮名遣いを現代仮名遣いに直してあります。
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子育地蔵、災除観音の由来記 ①
内山 義則
旧南葛飾郡でただ一ケ所の警察署、小松川警察署が旧行徳街道、小松川二丁目にありました。
特徴ある玄関にガス燈が吊され、ちょうど寺院のような感じのする明治初期の建物でした。
その小松川署の巡査派出所が逆井橋のたもとの所にありました。
本所七不思議の一つ、小松川馬鹿囃子の聞こえる堅川通りにでる中川の川岸にあるその派出所は、
夜になるとカワウソが米を磨ぐような音を出したり、キツネが鳴き騒いだりするような、
立ち木に覆われた淋しい場所でした。
この中川の堤防は労災事業で何度か嵩あげをしたものの、
地盤沈下の影響で年々低くなっていました。
そのせいで派出所の板張りの床は大潮になると下から水が湧き出て、
晴天でもゴム長靴を履いて勤務することになるほどでした。
雨の日が続いて堤防の上まで水が上がると
ダルマ舟の夫婦や親子が舟から派出所に逃げ込んだり、
さらには水死体が派出所前に流れ着いたりすることもありました。
このようなことから、役場では昭和十三年度の事業として中川の川底を掘り下げる事を決め、
連日大勢の人夫さんが土を掘り、石を積み上げる大掛かりな工事を実施することになりました。
昭和十三年三月二十九日の朝のこと。
いつもの様に人夫さん達が土や石を掘りあげているのを見ていると、
その中に変わった形のものがあるのに気がつきました。
派出所前の石屋の秋葉さんと相談してその石を洗ってみると、
それはお地蔵さまや、墓石、石の笠、台石、経文の彫られた石塔の欠片などでした。
詳しく検分した結果、石像は元禄時代のお地蔵さま二体と観音さまであることが判りました。
私はそれらの仏さまと対になる台石を探してもらい、
他の石塔や欠片などは埋め戻してもらうことにしました。
私は石屋の秋葉さん、八百屋の長竹さん、
土砂販売の土音さん、伊藤雑貨店のおばあさん達と話し合って、
永い間土中にあって世に出たいと願っていた仏様だから、
橋のたもとにお祀りして上げましょうということになりました。
以下次号
今日のおまけ
早咲きの桜が咲き始めました。一週間前は蕾だったのですが、今は満開です。
桜をもう一枚
冒頭の写真は休憩所まえの木蓮。咲き始めました。
明日、天気がよければ満開でしょう。
お地蔵様のお話楽しみに致しております。
お墓参りに来た時は、すこしゆっくりしていきましょう。
お気楽お気楽!