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3人に1人ががんで亡くなる日本 “元気に見える”終末期「残された時間」の見極め方と過ごし方

2021-10-31 15:30:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です。

 日本では、2人に1人が人生で一度はがんを経験し、3人に1人ががんで命を落とすといわれる。誰もががんになる、あるいはがん患者を家族に持つリスクを抱えているのだ。
 そうは言っても多くの人は健康な時にそうした事態を想像することはないし、あえて考えようともしない。だから実際にがんと直面するとうろたえ、恐怖に苛まれ、悲嘆に暮れることになる。
 自分自身ががんになるのもつらいが、家族ががんになり、見送る立場になるのもつらい。そこで今回は、家族ががんのターミナル(終末期)になった時に備えて持っておきたい心構えを、終末期医療の専門医に解説してもらう。
がん終末期のケアは患者さんだけのものではない)
 東京・大森にある「鈴木内科医院」は、創業者である先代院長(鈴木壮一医師)の時代から、いまでいう在宅医療、むかし風に言えば「往診」に力を入れてきた、地域密着型の診療所。中でも在宅型のがん緩和ケアにおいて全国的な知名度を持つクリニックだ。
 二代目の現院長・鈴木央医師も、これまで600人に及ぶ終末期のがん患者の在宅緩和ケアに当たり、看取ってきた経験を持っている。
 そんな鈴木医師に、家族ががんの終末期になった時にどうすればいいのかを訊ねた。
「医療は本来患者さんのためのものですが、がんの終末期医療は患者さんだけでなく、同じくらいにご家族のケアが重要。それだけに緩和ケアに当たる医師や看護師などの医療スタッフは、ご家族とのコミュニケーションを図ろうと努力します。そこで私が常々言うセリフは、『できることを、無理のない範囲でやりましょう』ということ」
「終末期」はどういうものなのか
 核家族化が進み、人の臨終に接する機会が極端に減った現代の日本では、人が死んでいく過程を見て知っている人は少ない。このことが、家族が終末期になった時に、必要以上に慌てさせ、また混乱させることになる。
「終末期のがん患者が辿っていく最後の病態を知っておくだけでも対応は違ってきます」(鈴木医師、以下同)
そもそも「終末期」とは、手術や抗がん剤などによる標準治療が効果を示さなくなった状態を指す。現状の日本の健康保険制度では、ゲノム診断を経て臨床試験に進む道が残されているとはいえ、そこに進める確率はまだ低い。現実的にはこの時点で、人生の幕を閉じる準備に取り掛かることになる。
 長く一緒に暮らしてきた家族にとって、この状況を受け入れることは簡単ではない。というより、これは人が人生で経験し得る最もつらい決断であり、ここでうろたえない人はまずいないだろう。
 しかし、愛する家族の人生の最後を少しでも心安らかに過ごしてもらうためには、ただうろたえているわけにもいかない。そこで知っておきたいのが、鈴木医師の言う「最後の病態」なのだ。
急激な変化が起こる「曲がり角」
「標準治療を終えた、つまり『これ以上の治療法はない』という段階に至った時点での患者さんは、見た目は元気なことが多い。しかし、その後数週間から数カ月経つと、急激に身体機能が低下することになる。こうなると残された時間は長くありません。それまで月単位で考えてきた余命を、週単位、日単位で考える必要性が出てきます」鈴木央医師
 この「身体機能が急速に低下する時点」を、ここでは「曲がり角」と呼ぶことにする。曲がり角を曲がった患者は、ゴールテープを視野に捉える。
 鈴木医師の経験では、終末期と診断されて在宅に戻った患者が亡くなるまでの平均期間は2カ月ほど。しかし、全体の半数は約1カ月で亡くなっている。
 1カ月で亡くなる人も、曲がり角までの2~3週間は、見た目は元気なことが多い。
 鈴木医師は、「この期間を利用して、患者がやりたいことを実現したり、家族との思い出づくりにあててほしい」というのだが、中々うまく行かないことが多い。それは、家族がこの状況を正しく理解していない、あるいは理解できないほど悲嘆に暮れてしまうことによる。
「患者さんにやり残した仕事があるなら、この時期に集大成として仕上げることもあるでしょう。気丈な人なら自分がいなくなった後の指示を同僚や部下に伝えることもできます。もちろん、家族と短い旅行や食事に出かけることも可能です」
 しかし、そうしたことをするには、家族にも身近に迫った死を受け入れる覚悟が必要だ。その覚悟が持てないと、貴重な時間はあっという間に過ぎて、曲がり角に到達してしまう。
残された時間をどう過ごすのか
 終末期のがん患者が人生の最後に持つ要望は様々だ。
 以前取材した北陸地方のある民間病院では、病院スタッフが手弁当で終末期のがん患者の「最後の願い」を叶えるための取り組みをしていた。
 その願いとは、お花見をしたい、お墓参りをしたい、行きつけの店で食事をしたい、パチンコに行きたい……。
 中には当時開通したばかりの北陸新幹線に乗りたい、という望みを持つ患者もいた。その望みを叶えるべく、医師や看護師らがJRに相談し、列車に酸素ボンベを積み込んで一駅区間を往復し、患者の願いを叶えたという話も聞いた。その患者は新幹線に乗ったことに満足して、2週間後に穏やかに息を引き取ったという。
 こうした望みを、愛する家族と一緒に叶えられたら、患者にとっての喜びはひとしおだろう。
「どこかに行く、何かをする、誰かと会う……。患者さんとご家族が同じ目標を持つことが重要。それが双方にとっての生きがいになるから」がんの病態では、終末期でも「見た目は元気」なことも多く、そこから一気に身体機能が悪化するため「残された時間」に気を向けきれない場合も 
 しかし、がんの最後の病態を知らず、また患者の置かれた状況を理解できない家族の中には、「見た目が元気」ということもあり、抗がん剤治療の継続を要望したり、科学的な根拠のない民間療法などに踏み込んでしまう人が一定数いる。結果として、最後に残された貴重な時間を消費してしまうのだ。
「患者さん自身がそれを希望しているなら別ですが、多くは家族の意向が強く働いてしまっている。ただ、家族も善かれと思って、藁にもすがる思いでそうした判断をされるので、真っ向から否定することもできない。悩ましいところです」
 残された時間を有意義に過ごすためにも、がんという病気から目を背けるのではなく、希望する最期を話し合っておくべきなのだろう。
ストレスの症状は人それぞれ
 緩和ケアの技術が進んだ現在、がん性疼痛の多くはコントロールが可能になってきた。それは病院の緩和ケア病棟やホスピスなど専門の施設だけでなく、在宅でも苦痛の多くを取り除くことはできる。
 一方で問題になるのが、家族にのしかかる大きなストレスだ。
「大切な家族が次第に弱っていく姿を見つめるつらさ、刻々と迫る別離への恐怖、そして介護によって積み重なる疲労――。こうしたストレスは決して甘く見ることはできません」
 しかも、このストレスが引き起こす症状は、同じ家族でも違いがある。疲れが表面に出る人もいれば、内に閉じ込めてしまう人もいる。そのため、「私がこんなに苦しんでいるのに、息子は平気な顔をしている」などと考えて、軋轢が生じることもあるという。
 患者が亡くなった時に備えて、兄弟や親戚が銀行預金や生命保険の手続きなどを進めるように患者の配偶者や子どもに声をかけることがあるが、それに反発して揉め事になることもある。こうした事務的な手続きは重要で、あとで落ち着いて考えれば感謝に値することなのだが、人によっては“薄情”に映ることがあるのだ。精神的に余裕がなくなるからのことなので、責めることはできない。
家族のフォローまで含んでの緩和ケア
 がんは老衰などに比べて終末期が比較的短いため、家族は最期まで頑張り通してしまうことが多い。結果として患者が亡くなり、葬儀など一連の行事も済んだところで、強烈な喪失感に襲われることになる。
「まず頭の中が真っ白になり、悲しみとつらさに襲われる。次に周囲の人間を責める時期が来る。それを過ぎると『あの時にああしてあげればよかった』と自分を責めるようになる。そうしたプロセスを経て本当に諦められるまでに、数年という時間がかかると言われています」「ケア」は患者だけのものではない iStock.com
 じつはがんの緩和ケアは、患者が亡くなったあとの家族のフォローまでを対象としている。在宅診療であれば担当していた訪問看護師が遺族に声をかけ、話を聞き、必要があれば医師の受診を勧める。病院や施設で亡くなった患者の家族には、遺族会への参加を呼び掛けることもある。
「遺族会には“先輩遺族”がいて、悩みや苦しみに耳を傾け、体験談を語ってくれる。そうして内に秘めていた苦しみを吐露することで次第に心が落ち着いていくのです。一種の集団療法のような役割があるので、つらい時には積極的に参加してほしい」
患者と家族の「がん医療」
 現代のがん医療は、病める患者だけでなく、患者をサポートする家族をも対象としたサービス提供体制を整備している――ということを知識として持っておくだけでも、精神的な負担は軽減される。
 そして、つらい時、困った時には、遠慮しないで医師や看護師、医療スタッフに相談してほしい。眠れない、食べられないなどの症状が出ている人には、それに応じた治療が必要になるし、治療によって状況は改善に向かうはず。
 一人で悩まなければならない理由はない。
 あなたの悩みを聞いてくれる人が、必ずいます。
長田 昭二
ジャーナリスト


“日本人みんなの父だった”88歳で亡くなった小林亜星さんの意外な功績

2021-10-31 13:30:00 | 日記

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「この木なんの木」(’73年)や「パッ!とさいでりあ」(’91年)等のCMソング、『魔法使いサリー』(’66年)や『ターンエーガンダム』(’99年)等のアニソン(主題歌)、さらに『寺内貫太郎一家』(’74年)の主役・寺内貫太郎役等俳優としても活躍した、作曲家・音楽家の小林亜星さんが去る5月30日に亡くなった。死因は心不全。享年88。奇しくも「この木なんの木」(正式な曲名は「日立の樹」)や「さいでりあ」等でコンビを組んだ、名作詞家の伊藤アキラさんも本年5月15日の、同じ時刻に亡くなっており、勝手ながらお二人の強い繋がりが感じられてならない。小林亜星さん 
一度聞いたら忘れられない!『魔法使いサリー』の主題歌を考案
 とにかく小林亜星さんの業績はすさまじい。万城目学原作の映画『鴨川ホルモー』(’09年)でも印象的に使用された、レナウンのCMソング「ワンサカ娘」(’61年/歌:弘田三枝子)が亜星さんの出世作だが、この卓越したセンスには半世紀を経てなお驚かされる。
 その数年後、“魔女っ子アニメ”の偉大なる元祖『魔法使いサリー』の主題歌はじめ音楽全般を担当。「マハリクマハリタ ヤンバラヤンヤンヤン♪」のフレーズは生涯、耳から離れることはないだろう。また昭和42年生まれの筆者には『超電磁ロボ コン・バトラーV』(’76年)や、フィリピンでまさかの実写映画化もされた『超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)』(’77年)等の巨大ロボットアニメの主題歌や音楽も忘れられない。というか体の一部と化している。『コン・バトラー』は特にエンディングが鮮烈で、「身長 57メートル 体重 550トン♪」というスペック歌詞により、主役メカの基本設定を学習できてしまうシステムは画期的という他はない。この歌のお陰でコン・バトラーVだけは身長と体重が一生ものの知識となってしまった。「魔法使いサリー」DVD BOX(販売元:ユニバーサルミュージック)超電磁ロボ「コン・バトラーV」VOL.1(販売元:東映ビデオ)
 そんな亜星さんの偉業は、他の有識者の方たちが綴られることと思うので、ここからは亜星さんのもうひとつの顔である、“俳優”という側面にスポットを当てて、故人を偲ばせていただく。
向田邦子さんも脱帽。寺内貫太郎の名演技
 なんといっても驚いたのは、TBS系往年の傑作ドラマ『寺内貫太郎一家』の主人公、老舗石材店の主人で、典型的な頑固親父の寺内貫太郎役だろう。当時小学2年生だった筆者は、芝居の良し悪しも満足に分からぬまま、「この人、なんかすごいな……」と肌で感じつつ毎週『貫太郎一家』を楽しみに観ていた。小林亜星さん 
 ある夜、いっしょに観ていた母がひと言。「この人、ホントは作曲家なんだよね」。「えっ!?」と驚いた私は瞬時に奇妙なデジャ・ビュ感に襲われた。いつもオープニングの「小林亜星」というクレジットが気になっていたからだ。「この名前どこかで……」と思ったらそう、先の『サリー』や『科学忍者隊ガッチャマン』(’72年)等々の主題歌や音楽欄でよく目にするお名前。「こんな人があのかっこよくってオシャレな歌をいっぱい作ってたんだ!?」と驚いた。向田邦子さん 
 この驚きは決して間違ってはいなかったようで、『貫太郎一家』の原作者・脚本家である向田邦子さんは当初、小林亜星さんが実の父親をモデルにした貫太郎役を演じると聞き、「父のイメージとかけ離れすぎ。父がかわいそう」と漏らしたそうだ。ところが実際のドラマを観て、その思いは消し飛んだという。そこには、頑固者でまるで融通が利かないながらも、誰よりも家族を愛し、誰にも温かく接する亡き父親の面影が見事に宿っていた。向田さんは亜星さんを抜擢した久世光彦プロデューサーの慧眼に感服し、以後、プロデューサー(番組スタッフ)のキャスティングには信頼する姿勢を貫いたという。
『太陽戦隊サンバルカン』では、息子のためにゲスト出演
 その亜星さんの実の息子さん、小林朝夫さんも俳優となり(現在は引退)、東映スーパー戦隊シリーズ第5弾の『太陽戦隊サンバルカン』(’81年)で、黄色い豹の戦士・バルパンサーとなって戦う豹朝夫役を演じた。そんな息子のためにと亜星さんもなんと、父親役で第38話にゲスト出演。サブタイトルもズバリ「豹朝夫のおやじ殿」だった。
 サンバルカンの秘密は親にも内緒、てっきり東京に出て真面目に働いていると思った息子がプータローまがいの生活を送っていると知った、亜星さん演じるバルパンサーのおやじ殿は怒り心頭。実家に連れ戻そうとする。だが、息子の真剣なまなざしを信じたおやじ殿は、黙って訳も聞かずにひとり実家へ帰……ろうとしたところを、敵組織・ブラックマグマに捕らえられ……という展開。結局最後は、バルパンサーはじめサンバルカンに助けられ、秘密はバレてしまうものの、再び父子の絆を取り戻すという同作屈指のハートフルなエピソードとなった。「太陽戦隊サンバルカン」VOL.3(販売元:東映ビデオ)
亜星さんの中に息づく、“古き良き日本の父親の魂”
 後年、本話脚本を執筆した上原正三さんにこのお話について伺ったところ、当然のことながら亜星さんが父親役を演じることはあらかじめ決まっていたとのこと。上原正三さん
「僕の父と亜星さんは、外見もイメージも全然違うんだけど、“最後まで息子を信じる父親像”はいっしょ。僕の父も、作家になりたいという僕の夢と想いを信じてくれて、30近くになってもパチンコ暮らしを続けていた僕を、文句も言わずに養ってくれた。“自分のやりたいことをやりなさい”というのが父の口ぐせだったね。亜星さんは、そんな僕の父の想いを見事に演じてくれたし、亜星さんの中に父の面影を見出すことができた。あのお話は僕にとっても忘れられない1本ですよ」と上原さんは語った。小林亜星さんと梶芽衣子さん 
 向田さん、上原さんもその演技に、それぞれの父親の面影を見出したという小林亜星さん。亜星さんの中には脈々と受け継がれてきた“古き良き日本の父親の魂”が息づいているのだろう。亜星さんは朝夫さんやバルパンサー、そして西城秀樹さんや梶芽衣子さんだけの父親でなく、日本人全員の父だったのだ。そう考えると子供の頃、さんざん聞いていた『サリー』などのアニソンの数々は、亜星さんが我々子供たちに聞かせていた“日本の子守唄”だったといえよう。
 亜星さん、素敵な歌の数々、そして、いつの時代も変わらぬ、温かくって厳しい“日本の父親”像をありがとうございました。ゆっくりじっくり天国で骨休めしてください。
岩佐 陽一
いわさ よういち


海外メディアが報じた「女性皇族」の過酷な現実

2021-10-31 11:00:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です。

日本で女性にとって最も厳しい場所は皇室である。
30年近く前、皇后美智子さま(当時)は明仁天皇(当時)の妻として至らないという世間からの批判を受け、話すことができなくなった。それから10年後、皇太子妃雅子さま(当時)は、跡継ぎとなる男子を生めないことをメディアに非難され、うつ病の治療に専念するために公務を休むことになった。
「自分は価値のない人間だと考えている」
今月初め、宮内庁は美智子上皇后の孫娘である眞子さんが、フォーダム大学ロースクール卒業生で26日に結婚した小室圭さんとの婚約について世間から厳しく反論されたことから、心的外傷後ストレス障害と診断されていたことを明らかにした。
会見で眞子さんを担当した精神科医は、「彼女は人としての尊厳が踏みにじられたと感じていた」とし、さらに「自分は価値のない人間だと考えている」と話した。
皇室に入った理由が結婚であれ出生であれ、日本の皇族の女性はメディアや世間だけでなく、彼らの日常生活を管理する宮内庁からも厳しいものさしで測られる。天皇と皇族が伝統的な日本の象徴であるなかで、今でも女性を型にはめるという保守的な風潮のある、日本国内に広がる男女格差を凝縮したものが皇族の女性にふりかかる。
皇族の女性は皇位につく資格を与えられないものの、彼女たちが受ける批判は、相続順位に近いことで守られている男性たちのそれよりも厳しいことがある。
「皇族としての任務を果たすだけでなく、美しさも保ち、結婚後は出産という目的を与えらえるのです」と立教大学の教授であり精神科医の香山リカ氏は話す。
また、「『いい母でいられていますか』とか、『義理のお母さまとの関係は良好ですか』『どのようにしてご主人を支えていますか』などと聞かれます。多くの仕事を抱え、それらを完璧にこなさなければならない。皇族の男性がこれほど見張られているとは思えません」と香山氏は付け加える。
直近の自民党総裁選で、2人の女性が首相の座を目指すなど、日本も少しずつ変わってきてはいる。また、一部の企業は女性の登用に会社全体で取り組んでいる。
だが、日本社会はまだ多くの意味で女性を二級市民として扱っている。夫婦別姓は法律で認められておらず、実際に多くの女性が夫の姓を名乗ることしかできない。そして企業の経営陣、国会、名門大学では、いまだに女性は少数派だ。
不平等な扱いに抵抗したり、男女平等の権利を訴える女性は、出しゃばり過ぎだと非難されることも多い。ソーシャルメディアで眞子さんが浴びた批判は、性的暴力や、職場でハイヒールを履かなくてはいけないという職場の決まりについて声を上げた女性たちに対するメディアの扱いを彷彿させる。
皇族は「時代を超越した存在」との見方
皇室の中で、女性は昔の価値観に従うことを期待される。
「皇族は時代を超越した存在であり、現代社会に属さないというような考えがあります」と話すのは、マイアミ大学の人文科学センター創始者兼ディレクターであり、君主制における女性に関する本を執筆してきた鈴木美穂子氏だ。伝統主義者というのは、「古くて馴染みのある、長く続く男女の役割を皇族に映したがるものだ」と彼女は指摘する。
第二次世界大戦後、アメリカに押し付けられた新憲法の下、天皇は神のような地位を失った。そして多くの意味で3代にわたる皇族の女性がそれから何十年における日本の進化を反映している。
戦争の歴史から日本が解き放たれ、美智子さまが過去何世紀のなかで初めて一般人として皇族と結婚した。子どもたちを皇室の侍従に預けず、自ら育てた。夫である明仁天皇とともに国内外を回り、災害の被害者や障害を持った人々には膝をついて話すなど、それまで遠い存在だった皇族に人間らしさをもたらした。
だが、皇居を改築したり、色々な洋服を着ると、メディアは批判した。宮内庁や美智子さまの義理の母親は、彼女には敬意が足りないと考えていたという噂も広がった。
1963年、結婚して4年目に胞状奇胎で人口流産をし、御用邸で2カ月以上過ごした美智子さまがノイローゼになったという憶測が広まった。それから30年後、極度のストレスにより声を失い、回復には数カ月を要した。
雅子さまは、ハーバード大学を卒業し、外交官として将来を期待されていた1993年に、徳仁皇太子(当時)と結婚。多くの論評者は、彼女が古臭い皇室の近代化を手助けし、日本の若いキャリアウーマンにとっての手本となることを期待した。
ところが、雅子さまの行動はすべて、子どもを授かることができるかどうかという視点で分析された。流産を経験した後、愛子さまを生んだが、男子の後継者を望む者たちはがっかりした。彼女の子宮を守りたい宮内庁は旅行に制限をかけ、結局公務も休むことになった。雅子さまは、「積み重なった心身の疲労」に苦しんでいるという声明を発表した。
誰もが結婚について発言したがる奇妙さ
眞子さんに関する直近のケースでは、眞子さんが結婚とともに家族から離れることを余儀なくされるにもかかわらず、皇室の期待に応えて欲しいという世論の一部が見える。
世間は小室さんとの結婚という彼女の選択を残酷に非難し、小室さんの母親の経済状況を攻め(さらに彼に逆玉狙いというレッテルを貼り)、皇族の娘の結婚相手として相応しくないとした。それなのに、法律の下で眞子さんは入籍と同時に皇族の地位を失うことになるのだ。
眞子さんのほかにこれまで8人の女性皇族が結婚をして、皇室を離れているが、その中の誰も眞子さんほど攻撃は受けていない。
「日本人が、眞子さんが誰と結婚すべきかということについてどんな形であれ発言すべきだと信じていることは非常に奇妙だ」日本の皇族が専門分野の歴史家であるケネス・ルオフ氏は話す。
眞子さんの父である秋篠宮さまは、2017年に2人が婚約を発表した当初、自分よりも前に世間に2人を認めて欲しいとして、承諾を控えた。
秋篠宮さまの言葉を真に受けた人もいたようだ。
(秋篠宮さまは)「2人が人々の祝福を受けるべきだとおっしゃっています。つまり、私たちが意見を言ってもいいということです」と皇居の庭園で散歩していた西村ようこさん(55)は話す。「皇族はある意味日本人の象徴ですから、私たちも意見を言う権利があると考えています」と。
秋篠宮さまは結局許したが、マスコミやソーシャルメディアからの絶え間ない批判は犠牲を生んだ。
2人は皇室の華やかさなしで、ひっそりと私人として婚姻届けを準備していたが、攻撃は止まなかった。ここ数週間は銀座で「呪われた結婚で皇室家を汚すな」「結婚前に責任を果たせ」と書かれたプラカードを掲げた抗議者たちが行進している。
週刊誌『現代ビジネス』に執筆するある作家は、眞子さんは「日本をさらし者にして国際的に恥かしめた」と主張し、その選択を激しく非難した。
ツイッターでは、約1.4億円の皇室持参金を放棄する旨決定したにもかかわらず、眞子さんを「税金泥棒」と呼ぶ者もいる。心的外傷後ストレスは偽りだと非難する者もいる。「数カ月後によくなったと発表すれば、大衆はあなたを疑う」とあるツイッターユーザーは書き込んでいる。
王族や皇族がメンタル問題を話す意味
イギリス王室との比較は必然と言えるだろう。ハリー王子との結婚前、メーガン妃は自身の素性を理由に何か月も攻撃の的となった。メーガン妃とハリー王子同様、眞子さん、そしてフォーダム大学のロースクールを卒業した小室さんも、彼がニューヨークの法律事務所で働くためアメリカに逃げるのだ。
ハリー王子もメーガン妃も、自身らのメンタルヘルスの代償について率直に話している。うつ病と摂食障害に苦しんだ母、ダイアナ妃の死で経験したうつ病について話すハリー王子の正直さは、イギリスにおけるメンタルヘルスに関する話し合いを広げるのに役立った。
日本の皇室の女性たちも同じく、いまだにメンタルヘルスがデリケートなトピックである日本において、議論を始めるきっかけになるかもしれない。
「皇族の女性たちは、メンタルヘルスの問題について公言し、対話を始めようとしてきたとは思えない」と、兵庫県立大学国際商経学部の田中キャサリン准教授は話す。「もっとも問題があると認めただけでも勇気のあることだ」。
(執筆:Motoko Rich記者、Makiko Inoue記者)
 The New York Times Company


小室さん文書を絶賛…眞子さんを矢面に立たせ続けた宮内庁の問われる責任

2021-10-31 10:30:00 | 日記

下記の記事は女性自身オンライン東からの借用(コピー)です。

「体調が万全ではない中で、お考えやお気持ちをご自身の言葉で真摯にお述べになられた」

こう語ったのは宮内庁の西村泰彦長官。

10月26日に結婚した、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さん。2人は同日の午前中に入籍を済ませ、午後に「小室夫妻」として揃って結婚会見に臨んだ。

眞子さんと圭さんは事前に用意した原稿を読み上げ、会見はわずか11分で終了。さらに前日には質疑応答の取り止めが急きょ発表され、文書での回答に変更されるといった異例の形式がとられた。

各メディアによると、西村長官は28日の定例記者会見で、冒頭のように会見に臨んだ眞子さんを慮ったという。そして「あそこまで苦しまれてこられたということに、お支えする立場として大変申し訳ない」と話し、質疑応答がなくなったことについては眞子さんの体調を配慮したとして「止むを得なかった」とコメント。

’17年9月の婚約内定会見から4年あまり、眞子さんと圭さんがゴールインするまでの道のりは波乱に満ちていた。圭さんの母・佳代さんに金銭トラブルが報じられたことを発端に、小室さん親子にさまざまな疑惑が浮上した。

圭さんは今年4月、金銭トラブルについて約4万字に及ぶ文書を発表するも、多くの人の納得を得られる状況にはならなかった。しかし、宮内庁はこれらの疑惑について“スルー”ともいえる対応を見せた。

「西村長官は圭さんが発表した文書を、『非常に丁寧に説明されている』と評価しました。しかし圭さんが“保身に走っている”といった厳しい批判も多く、西村長官の“ベタ褒め”は世間との温度差が浮き彫りになりました。そもそも宮内庁は、婚約までに圭さんの身辺調査をどれくらい行なったのかさえも不明なのです」(皇室担当記者)
■「詳細を承知していない」

眞子さんは会見の中で、圭さんの金銭トラブルの対応や留学について「私がお願いしました」と明かしていた。その一方で、「本日まで、私が公に発言する機会は限られてきました。そのために生まれてしまった誤解もあったと思います」とも話していた。

「眞子さんが主導したことについて西村長官は、『私は詳細を承知していないので、答えを差し控える』と回答するにとどまったのです。これでは宮内庁は、“他人事として傍観してきた”と捉えられても仕方がないのではないでしょうか。結果的に、眞子さんが矢面に立って圭さんを擁護した形になってしまいました。こうなってしまう前に、宮内庁には積極的に情報を発信していくなど、できることがあったのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)

西村長官をはじめとする宮内庁の姿勢に、ネット上では疑問視する声が相次いでいる。

《なぜ詳細を承知していないの?》

《宮内庁として分かること全て、どんな経緯で婚約内定会見をすることになってから延期して結婚に至ったのか説明してほしい》

《今回の件で一番納得がいかないのは宮内庁の対応ですね。皇室の活動をサポートするのが宮内庁の役割で、国民との良い関係を維持するためのサポートは宮内庁の重要な責務の一つではないのでしょうか》


小室圭さん不合格で勤め先〝クビ危機〟 来年2月に再試験「ダメなら日本出戻りも」

2021-10-31 10:00:00 | 日記

下記の記事は東スポWebからの借用(コピー)です。

 景色が一変した。秋篠宮家の長女・眞子さん(30)と結婚した小室圭さん(30)が米ニューヨーク州の司法試験に不合格だったことがわかった。
 小室さんは米フォーダム大ロースクールを卒業後、7月にニューヨーク州の弁護士試験を受験。その結果が29日、同州司法試験委員会のホームページで発表されたが、そこに小室さんの名前はなかった。
 試験は9227人が受験し、5791人が合格。全体の合格率は63%、初めて受験した人の合格率は78%だった。また、圭さんが卒業した米フォーダム大ロースクールなど、米国内で法律の勉強をしていた生徒の初回合格率は87%というデータもある。
 NHKによると、小室さんは日本で勤務していた弁護士事務所の所長・奧野善彦氏に同日午前に電話し「今回の試験の結果は不合格でした。大変申し訳ございません」と報告。来年2月の司法試験に再チャレンジすることを明かしたという。
 26日に結婚したばかりの眞子さんは夫の不合格を受け止め、今後も「支えていく」と決意。現在パスポートを取得している最中で、渡米の意向に変更はない。

 ただし、不合格で人生プランに狂いが生じたことはたしか。小室さんはすでにニューヨークの法律事務所「L」でLaw Clerk(法律事務員)として働いているが「ドライな米国社会では司法試験に2回連続で落ちるとクビになりかねない」(米国在住ライター)という。
 しかも〝弁護士見習い〟的な位置付けのLaw Clerkですら、1年目は寝るヒマもないほどの激務だ。
「再チャレンジに向けてどうやって勉強時間を確保するのか。司法試験の合格率が初回ほど高いのはそのためで、仕事と試験勉強を両立させるのは難しい。小室さんはいきなり厳しい現実に直面したことになります」(同)
 収入の面でも弁護士と事務員では雲泥の差があり、司法試験に合格した前者なら年収2200万円程度、後者は600万年程度になる。
「夫婦の置かれた状況を考えても、来年2月の試験がラストチャンスになる可能性が高い。ここで合格できれば問題ないが、万が一ダメなようだと、日本に戻ることも考えなければいけない」(キー局皇室担当ディレクター)
 入籍後の会見で眞子さんは小室さんの留学について「前倒しして海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました」と語っている。〝自由の国〟アメリカで暮らしたいのは眞子さんの方なのだ。
 夫婦はいきなりの試練を乗り越えられるか――。