JAZZ from Nishinomiya

V・プレミアリーグのJTマーヴェラスを応援しつつ、日々の出来事や雑感を語ります。ときどき毒づきます。

別府の旅_2015.09.19~21_初日_その2

2015年10月05日 02時56分37秒 | 温泉/温泉銭湯/銭湯/スーパー銭湯
【3】往路

19日。甲子園口の始発に乗って新大阪に行き、朝ご飯を購入し、6時3分のひかりに乗車。ひかりに乗ったのも喫煙席(禁煙席は満席)に乗ったのも久しぶりだなぁ。朝ご飯は柿の葉寿司とビール。



なお昨晩は徹夜で国会中継を見ていたので、ご飯を食べながらもいろいろ思うことがありました。

まず、安保法案がひと段落したら、国民は本格的に沖縄のことを考えなければならないな。キチガイ知事のために、現在、世界有数の戦争リスクが高い地域になってしまった。歴史背景といいやってることといい、まさに朝鮮と同じなんだよな。ただ、翁長知事を暗殺すべきという意見をよく聞くけど、それはまさに愚の骨頂、それこそ中国の思うつぼというもの。

百歩譲って、民主主義国家として正式に外患誘致罪をもって死刑に処すべきでしょうけど、それもあまりいい結果をもたらすとは思えないな。

沖縄については、かつては琉球王朝の支配する独立国家であったこと、江戸時代は実質的に薩摩藩の支配下にあったこと(ただし1872年まで琉球王国という独立国の体であった)、太平洋戦争において日本の直轄領で唯一と言っていい地上戦が行われ多くの人が亡くなったこと、戦後はアメリカ統治領となったこと、日本やアメリカに対する不信感は並々ならぬこと。いろいろな歴史背景が現在の県民感情を形成していると思います。

そこまでは理解しなければならないのですよ。とは言っても「お前らに我々の気持ちがわかるか」と言われれば、「わかりません」としか言いようがない。俺は沖縄に住んだことも行ったこともないし、身内にも沖縄出身者はいない。でもそれは、沖縄人が兵庫県民の気持ちをわからないのと同じだよ。「背負ってきた歴史が違うんじゃ!」とか文句言われそうですが、自分たちの歴史だけが過酷で苛烈なものではないだろう。またそれを他と比較してどうこう言うものでもないだろう。

それはともかく、「それはそれとして、日本の都道府県そして日本国民としてあまりにも勝手なことをするのは許されない」と考えるのが一般的な日本人というもの。片や「はいそうですね、おっしゃる通りです」と無条件かつ全面的に支持賛同してしまうのが左翼という人種です。彼らがなぜそういうことができるかというと、結局は自分に関係ないからですよ。沖縄が「独立したい」といえば、左翼どもは同調しますよ。だけど彼らが沖縄に移住して沖縄国民になることはないです。政府に反対できればなんだっていいんです。安保法案に反対している層のほとんどは原発反対だし、普天間の基地問題でデモに内地から参加しているやつらの中に安保法案賛成者がいたらビックリですよ。

最近、SEALDsという学生さんの政治ごっこ連合みたいなのが流行っているようですが、若い人たちは騙されちゃいけません。あんなの中心になってやってるのは元から民青に所属しているとか共産党とつながりがあるとか、そういう子らだよ。参加するなら左翼主義者のレッテルを張られることを覚悟のうえで本気になってやるべきです。「私は左翼主義者じゃないよ、プロ市民でもないよ。おかしいと思ったから声を上げて行動しているだけだよ」とのお考えかもしれませんが、左翼と呼ばれることの覚悟ができていない人は、参加は辞めときなさいとしか言いようがない。名前を出しても一般的な民間企業への就職には影響しないとかいうけど、そもそもすでに自分は就職が決まっているから言えることもあるわけでね。だいたい、企業には本音と建前があるんだよ。どこの会社の人事部がマスコミに対して「影響はあります」などと言うものか。簡単に信用するのは危険ですよ。まあ、いかがわしいNGO団体や共産党の下部組織への「就職」なら、逆に容易になるかもしれませんね。

沖縄については、翁長知事に代表される層の意見ばかりが聞こえてくるけど、我那覇真子さんのような声にこそ耳を傾けるべきだと思うんです。

「沖縄で人権侵害ない」「知事は尖閣狙う中国の脅威を無視」 国連人権理で辺野古賛成派が反論
http://www.sankei.com/politics/news/150922/plt1509220023-n1.html

その気になれば沖縄は独立できるでしょう。だけど独立国としての体を維持することは無理でしょう。飛行機も軍艦もミサイルもない時代ならともかく、今は21世紀ですよ。沖縄戦でたやすく米軍の上陸を許したという事実があるのに、自衛隊も米軍も撤退したら自力で軍隊を保有しなければならないし、基地の賃貸料も国の補助金も一切なくなり、独立採算でやっていくわけですよ。日本は沖縄の製品など買いません。モノも売りません。人も行きません。

まあそんなことは百も承知で、「日本の1都道府県である限りは中国に併合されることは困難だけど、いったん独立国家の体を取れば併合されることは容易」と翁長知事は考えているのかもしれませんね。

今のところは、中国と日本を天秤にかけて危険な綱渡りをやっているような段階ではありますが、かつての北朝鮮が中国とロシアを天秤にかけて支援を受け続けてきたことと決定的に違うのは、沖縄は北朝鮮のような(一応の)独立国とは違い、あくまで日本領土であり、そこに住んでいる者も日本国民ということです。ぶっちゃけ言ってしまえば卑怯極まりないんですよ。

だけど、日本の世論がそういう方向に行っちゃったらダメなんです。そこにこそ中国の付け入る隙があるからね。なにより海域と海底資源を手放すわけにはいかない。沖縄を手放すわけにはいかない。翁長知事もそれをわかっているから好き勝手やってられるんだよね。

日本が大政奉還後、明治になってなぜ西洋列強の支配下に置かれなかったか。他のアジアの国とどこが違ったか。それは明治維新において大規模な内乱がなかったからですよ。付け入る隙を与えなかったからです。いかにあの時代の日本人が偉大であったかということですよ。

沖縄に関する報道を見ていると、少なくともこちらは「沖縄の人は沖縄のことしか見ていない」という印象しか受けないんですよ。世界から沖縄を見るとか、沖縄から世界を見るとか、そういう視点が伝わってこない。沖縄の新聞やテレビの記事をネットで読んでも同じような論調だし、全国放送のテレビもまたしかり。安保法案にしてもなんにせよ、賛成派はわざわざ声を上げないうえにマスコミは反対派の情報ばかり流す。だから全体が見えてこない。だから怖い。

・・・などと怒りがこみ上げつつ、猛烈な睡魔に襲われ、道中ほとんど寝てました。せっかくペットボトルのワインを持参したのに一口も付けず。それにしても、ひかりだと小倉まで3時間もかかるのね。

小倉ではソニック乗り継ぎに30分ほど時間があるのですが、自由席なので並ばなくっちゃな、と急いでホームに移動したら、3分ほど前に出発していたはずの前便が出発遅れで停車中。迷わず飛び乗ると自由席がいくつか空いてます。ラッキー。というわけで、座れた上に予定より30分近く別府駅に到着することができました。


【4】お昼ご飯~散策

駅では、まずウェストバッグに最低必要限の荷物を詰めて、ダッフルをコインロッカーに預けます。ダッフルは本体込みで総重量12kgもあるので、こんな重いもの持ち歩けるか、と(笑)

そして腹痛に襲われ用を済ませた後は(この報告は必要なのかよ)、お昼ご飯を食べに「海鮮いづつ」さんへ。駅から流川通りに出て下って行きます。下る、というのは文字通り坂を下りるということ。ただ、阪神間の住民の感覚だと「山が北、海が南」なんですが、別府市街地の場合は基本的に「山が西、海が東」なんですよね。これはなかなか感覚的に馴れないですね。

それにしてもモアブはやっぱり痛い。新しいインナーソールのおかげか足裏は大丈夫なんだけど、右足の特定の個所、具体的には右足の一番前の内側の靴ひもを通すホール?が当たるところだけ痛くなる。左足は大丈夫なんだけどなぁ(俺は左足の方が1cm大きいにもかかわらず)。これはもう仕方がないのかなぁ。後日ネットで調べたら似たような症状は散見されておりますね。。。

と、まあしばらく歩いているとアーケードを入ったところに「いづつ」さんを発見。11時オープンで到着したのが11時5分。なのに店の前には数人がたむろってます。「開店が遅れてるのかな」と思って店内を除くと、狭いお店は満員(苦笑)。たむろっていた団体さんは「45分待ちらしいから、他のお店に行きますわ」と言い残して去って行きました。俺もどうしようかと思ったけど、とりあえず待つことに。後から来た人たちも「並んでるんですか?」「45分待ちだそうですよ」と言ったら退散する人も結構いました。まあ、結局35分待ちで入店できたんですがね。

メニューはいろいろあったけど、俺は関サバかりゅうきゅうが食べたかったので、「関サバ刺身定食」にするか、もしくは「りゅうきゅう丼」+単品で「アカエイのレバーの刺身」にするか迷うところ。結局後者を注文したんですが、アカエイが売り切れたとのことで関サバにしました。食べたかったな、アカエイのレバ刺し。俺はこういう珍しいものが大好きなんですよ。ちなみに、りゅうきゅうってのは大分の名物で、簡単に言うと「魚の漬け」ですね。衛藤美彩さんの雑誌の酒飲み企画で知りました(笑)。だから食べたかったんだけど・・・またの機会に。

関サバの刺身は、驚いたことに半身も出てきました。20切れくらいありましたよ。



刺身好きにとって生サバは堪えられんもんがあります。〆サバはどこでも食べられるけど、生サバはなかなかないからね。味については、サバのメインシーズンってのが9月後半から冬にかけてなので、旬ではない。だから脂の乗りはそれほどでも。でも、その分さっぱりした味わいで、これはこれで美味しかったですよ。満足しました。昼ごはんにしては高かったけどね。2,300円+税だもの。でも関サバ自体が高いものだから仕方ないよね。これでもリーズナブルなほうだと思いますよ。ちなみにこのお店、魚以外の料理は普通の味です(個人的感想です)。

店を後にして、今度はパンを買いに。九州出身の上司が「別府には美味しいパン屋があるよ」と言っていたので。正直、腹は膨れているんですが、いづつさんから近いみたいなんで、散歩がてらに。

アーケードを歩いて、途中から路地に入る。少年が猫と遊んでいたので、俺も猫にちょっかいを出してみたら、逃げられた。「逃げてしもた、ごめんね~」と少年に謝って立ち去ろうとしたら、少年が「さいなら~」と挨拶してくれた。子供ってのはこうじゃなくっちゃな。ナイスボーイだよ。

そこからほんの少し歩いたら、お目当ての「友永パン屋」が見えてきました。



看板には「創業大正五年」。って、いつだ。あとから調べたら1916年。おお、今年は100年目じゃないか。

店内から店外まで20人ほど列ができていたので、セルフの整理札を持って並ぶ。またここでも並ぶのかと少々うんざりしたけど、3分くらいでレジにたどり着きました。有名らしきアンパン(小倉)を1個、だけ買うのもなんなので、チョコフランスも1個購入。諸々50個くらい買って帰るお客さんもいたよ。こっちでいうと老祥記の豚まんみたいなもんですかね。いや、でも友永さんは、もっと庶民の生活に根差しているような、そんな感じ。

肝心の味ですが、チョコフランス(110円)は、美味いことは美味いけど、まあでも普通かなぁ。一応俺はパン&洋菓子王国の阪神間に住んでますからね。ちょっとやそっとでは褒めへんで(笑)。片やあんぱん(小倉が100円)は・・・これがめっちゃ美味い。奇をてらわない昔ながらの素朴な風味、だけど味はしっかりしている。まさに王道。俺が食べたのはまだ暖かかったから、餡がとろとろで幸せな気分になりました。大きさも小ぶりなので3~4口で無くなってしまいました。そりゃ大量に買って帰る人もいるわけだ。あんぱんはこしあんもあるし、他にもいろんなパンがあるけど、観光客に人気は小倉のあんぱんで、地元の人たちに人気なのはこしあん(こちらは90円)だそうな。あとバターフランスというのも美味しいらしい。今度はそのふたつを食べてみよう。

ちなみに、この「友永パン屋」さん、大分県で一番古いパン屋さんらしい。あと、ここはレジでパンの種類と個数を注文するという対面販売。たしかに決して広くはない店なので、棚に並んでいるパンを客がトングでトレーに乗せてレジに持って行くセルフ方式なら、瞬く間に店内大渋滞となってしまうだろう。焼き上がったパンが厨房から始終レジ裏の棚に補充されていたり、もしくは厨房からダイレクトに大量のパンが客に渡されたり、なんといいますか、とても活気に溢れており、客がみな軽く興奮している(ように見える)のがいいですな。一刻も早く食べたいんだろう。実に幸せな雰囲気です。店内入口脇にある番号札も、先に並んでいる人が手渡しで後ろの人に渡してあげたりとか、暖かい感じのお店でしたよ。俺もまるで常連のごとく番号札を渡してました(笑)

なお、翌20日~23日まで4連休だそうで、この日に来ておいてよかったな。

そういやパンを食べながらアーケードに戻る途中、さっきの猫がゴロゴロしていたので再アタックしてみると、今度はじゃれてくれました。いやあ、昼間っから生サバと美味いあんぱんが食べられて、おまけに猫と戯れる。なんてすばらしい休日なんでしょうか。

そうこうしているうちに、またしても腹痛に襲われる。なんか今日はお腹の調子が悪いな。というわけで、偶然にもアーケード脇にあった公衆トイレで用を足す(だからこの手の報告は必要なのかよ)。トイレから出ると、そばに祀られている小さな石仏(別府はこの手の仏様があちこちにある)に、これまた小さな女の子が手を合わせている姿を眺めてほっこりしつつ、一方で道を挟んでソープランド(裏口)があるという、そのなんともいえない対比が面白かったり。この後に立ち寄った(入湯はしなかった)竹瓦温泉など別府温泉のシンボルとでもいうべき存在ですが、小道挟んで隣が風俗案内所ですからね。



竹瓦温泉は風俗街のど真ん中にあるから嫌だ、と言う人もいるけれど、ここは市営の共同温泉です。2階なんて、現在は公民館ですからね。別府は面白い街で、それはもういろんな要素が混然一体となっているのですが、どこを切り取っても非常に人間臭いところが良いのです。人の息吹、もっとベタな表現をするなら生活臭がプンプンするのです。住宅街、歓楽街、風俗街・・・どのようにして街が形成され発展していったか、その中で温泉がどういう位置づけなのか、そんな歴史を紐解きながら、この堂々たる竹瓦温泉の破風を眺めていると、また違った解釈ができると思うんですよね。俺はこの決して「文明先行型」になっていない別府の街が大好きです。これぞ文化というものですよ。

そんなことを思いながら咥え煙草で路地を歩いていると、まあ真昼間の風俗街にオッサンひとりですから、呼び込みのおじさん達に「お帰りですか?」とことごとく声を掛けられるわけですよ。つまり、事は済んだんですか?ってことです(ソープは昼前から営業しているので)w

でもですね、最近は「竹瓦かいわい路地裏散歩」なんて少人数参加型ツアーもあってね、ガイドさんがいろいろと案内してくれるそうですよ。俺がさっきから風俗街だのなんだのばっかり書いているから誤解されそうですけど、竹瓦小路アーケードは現存する日本最古のアーケードであったり、そのほかにもいろんな見どころがあって面白いと思いますよ。


そんなこんなで竹瓦温泉をあとに駅に向かってテクテク歩き、駅前高等温泉の前を通ると、なにやら工事が行われていました。新たな泉源でも掘削中でしょうか。なお営業は風呂も宿泊も通常通りだそうですよ。




【5】豊山荘さんへ

駅に着きロッカーから荷物を取り出し、別府観光ではいつもお世話になっている観光案内所へ。これから向かう旅館「豊山荘」(ほうざんそう)さんへのバスを教えてもらいました。結局、別のバスで行きましたけどね。というのも、案内所のスタッフさんは親切だから、最寄のバス停に停まる路線を教えてくれるわけですよ。駅西口の2番乗場のバスに乗って「ベネフィットフォーユー前」で下車、という具合にね。だけどこれは便が少ないんです。ところが明礬温泉行きのバスに乗って坊主地獄で降りても、数分歩くだけで到着するわけですよ。電車と違ってバスはわかりにくい。だけど別府ではバスがとっても便利。これはもう、慣れるしかないでしょうな。「よくわかる 別府バス路線図」なんてのがあれば(あるのかもしれないけど)、有料でも売れると思うんですけどねぇ。バス路線図ってのは地図とは違うじゃないですか。もっとこう、地図に路線図とバス停を落とし込んだ、そういうものが欲しいんですよね。

さてバスで揺られること15分ほど、坊主地獄で下車して徒歩で2分ほど南下、お目当ての豊山荘さんに到着。背中の荷物が重いぜ。



立ち寄り湯に入りたいことを伝えたところ、大浴場(それほど大きくはないですが)が混んでいるということで、ロビーでしばし休憩。15分ほどしたら「そろそろ入れますよ」ということで、入湯料を支払い、無事に入湯できました。ここはたしか日祝は立ち寄り湯はやっていないはずなので、ぜひとも今日(土曜日)入っておきたかったんですが、なにせ到着したのが14時すぎ。立ち寄り湯の営業は15時までだから、入れなかったらどうしようと多少焦っていたのです。

ところで、なんでここのお湯に入りたかったかというと、中性~酸性のお湯が多い別府では珍しく弱アルカリ性のお湯なんです。アルカリのお湯は入ると皮膚がヌルヌルして気持ちがいいんですよね。ご存知の方も多いと思いますが、これはアルカリ成分と皮脂が反応して石鹸のようになるためです(鹸化といいます)。泡立ちはしませんけどね。そもそも石鹸の起源が動物の油脂と植物の灰(アルカリ性)を混ぜたものと言われているくらいです。鹸化イコール皮脂が溶けて肌がきれいになるわけです。関西だと高槻の某スパ銭などでヌルヌルを味わうことができるんですが、惜しむらくは大阪府内の施設ゆえに塩素消毒が行われていること。しかもアルカリのお湯は通常よりも多めの塩素をぶち込まないと消毒効果が期待できないと言われているので、風呂場がとても塩素臭いのです。良いお湯だけに、あれは本当に残念。

なお、立ち寄り湯をやってるくらいだからお風呂も立派できれいなんだろう、と思ったあなた、残念ながら答えはNOです。いや、決して不潔とかいうわけじゃないんですが、別府のお風呂は地味なところが多いです。これはあまりにも人々の生活に温泉というものが溶け込みすぎていて、他の温泉地のように「特別なもの」という感覚が少ないからだと思っています(※)。どこにでも温泉があるからね。豊山荘の大浴場も、風呂の作りや浴槽だけ見たら、西宮の双葉温泉とかの方がよっぽど立派ですよ。俺のような泉質第一主義の人間には問題ないのですが、大きな露天でゆっくりしたいとかいう人には物足りないかもしれません。

※)別府温泉保養ランドの休憩所には別府に関するいろんな記事が掲示しているんだけど、その中のひとつ、どこかの学者さんだかの印象的な言葉があります。

「別府八湯は恐るべき温泉地で、たとえて言うと他の温泉地は『温泉』という小さなダイヤモンドをうやうやしく床の間に飾り立てている。一方、別府という屋敷では庭の砂利が全部、ダイヤモンドなのである」

まさに別府という温泉地の特長を的確に言い表した言葉だと思います。

さてさて、15時になったので風呂から上がりましょう。スタッフの人に「ありがとうございました、また来ますね」と挨拶し、重い荷物を背負って坊主地獄のバス停まで歩いて戻りました。

バス停脇にも石仏が。国東半島に代表されるように、大分は石仏が多いのかな?俺は宗教に疎いからよく知らないけど。




(続く)


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