以前「
癒しと捨てること(生前整理、遺品整理、捨て活、終活)」
という記事で捨て活について少し触れたのですが
今回はその補足です。
YouTubeには捨て活についての動画がたくさんあがっています。
先日見たのはミニマリストのYouTuberさんの動画でした。
その方自身がミニマリストであり、ミニマリストを目指す視聴者さんのお宅に行って、一緒に捨て活するのです。
視聴者さんたちは、お家にたくさんのモノがあり、自分だけでは要不要が判断しにくく、なかなか捨てられない、
というところを、そのミニマリストYouTuberさんがサポートしてあげるわけです。
ある回では、視聴者さんは私とだいたい同じくらいの年齢で、
そして、持たれているものも全体的に質の良いものでした。
そしてそれほど部屋が乱雑なわけではないのです。
その視聴者さんはYouTuberさんに
「これももう何年も使ってないんだったら(捨ててもいいのでは)・・・」
というアドバイスをされて
「え?これもですか?」
となかなかの抵抗を見せていて、コメント欄も
「この方なかなか手ごわいですね」
(捨てる決心をなかなかされない、という意味)
というのが多かったです。
私はその視聴者さんの気持ちになんとなく共感しました。
部屋がモノであふれて乱雑になっていて
「ああ、そういえばこんなのも買ってたんだっけ」
と忘れ去っていたものではないのです。
きっと質の良いもので、思い入れを持って大事に傷まないように保管されてきたのだと思います。
それが・・・最近出番がなくなってしまってる、ということなんですよね、きっと。
それにまつわるたくさんの良い思い出があったら、捨てるの、決心がいるよね。
って勝手に共感してました。
ですが、最終的にはその方はたくさんのモノを捨て、捨て活を成功させました。
これは自分の経験からも思ったのですが、やはり捨てることができるというのは
自分自身の「人生を前に進めよう」という決意がかかわっていると思います。
「これを転機にしよう」というような。
さて、そんなヒトとモノの関係をエネルギー的に見ますと・・・。
これは『光の手』上巻P141に書いてあるのですが
「(幼少期の)子どもは、自分のエーテルフィールドからアメーバのような突起物を送り出し、自分の持ち物の周りに配置する。ファンタジーの世界を構築する上で、大切な物であればあるほど、それを取り囲む子どものフィールドからのエネルギー意識は強くなる。その物は自己の一部となる。それが子どもの手から無理矢理奪い取られると、フィールドが引き裂かれ、子どもに肉体的にも、感情的にも苦痛を与える」
と。
これは子どもの話しですが、大人でも多少あるかも、と思います。
さすがに肉体的に痛い、まではないでしょうし、個人差もあるとは思いますが。
捨て活というのは、やはり、何か、自分の思い入れだったり、愛着というものを、
自分とモノとの間にあるそういったものを断ち切りながらおこなうものなのだなぁ、
と上の文章を読んで思ったのでした。
そして、YouTuberさんがお宅に行ってそれを手伝うのは
そういったものを断ち切る一種のイニシエーション(儀式)でもあるのだなぁ、
と思ったのでした。