フラワーエッセンスとイーマ・サウンドセラピー

フラワーエッセンスセッション(対面とオンライン)とイーマ・サウンドセラピー(対面)を広島県福山市でおこなっています

BBSHの卒業生無料セッション

2025年02月07日 | その他
BBSH卒業生による無料のヒーリングが受けられるようです。
先日決まったばかりで詳しいことは私も良くわかりません。

日程は以下のようです。

2/15(土), 2/16(日) 新大阪
3/1(土) 東京
3/9(日)福岡
3/23(日)名古屋

場所、時間、お申し込み方法などもまだわかりません。
2月15日は、もうすぐだと思うのですが…。

きっと決まり次第、BBSH公式ブログに掲載されると思います。
興味のある方はぜひ公式ブログをチェックしてみてくださいね。

BBSH公式ブログ→コチラ

シャンブル(福岡県久留米市)

2025年02月01日 | その他
先日、松下幸訓先生のイーマ・サウンドセラピーを受けに
久留米に行きました。

やはりセラピーをおこなう以上は
自分も定期的にそういったものを受けることが
大切だと思っています。

純粋に自分のケアのためもありますし
それプラス、セラピーをするにあたって
自分が整っている必要があると思うからです。

やはり、ヒーリングにしてもセラピーにしても
カウンセリングにしても、何にしても
セラピストのエネルギー場というのは
セッションの土台になります。
フラワーエッセンスやイーマ・サウンドセラピーなどの
方法は、ただ「ツール」なだけなんですね。


ということで、久留米に行ったのですが
とはいえ、いやはや、
セッションまで時間が余り過ぎた。
早く来過ぎた。

ということで
久留米駅から近い「シャンブル」という
喫茶店に行きました。
Googleマップで見つけました。
最近はネットでその場でなんでも調べられて
いいですね。



ちょっと入りにくい外観・・・。


でも
駅からこれ以上離れたくなかったので
ここに決めよう。
ということで、思い切って入店。

コーヒーも紅茶もカフェイン系は飲めないので
グレープフルーツジュースをオーダー。



感動
メニューに「フレッシュ」と書かれてあったけど
本当にフレッシュ。
搾りたて。



横から見たらわかりやすいですが、ちゃんと種も入っています。
絞ったあかし

噛めばプチプチと弾ける果肉も入ってます。
時々ストローに詰まって吸えなくなるのも、懐かしい感覚~。良き~

確か680円でした。
最近はフレッシュじゃなくても
それくらいの値段だわよぉ〜。
フレッシュで美味しい


店内はこんな感じで
すごく趣がありました。
(写真撮影は許可をいただいています。
店内には私しかいなかったので撮らせていただきました)







70代くらいのご夫婦がされているお店です。
思い切って入って良かった〜


と思っていたら
後で久留米駅の構内に
暖房の効いた待合室があるのを
見つけました…。
そういえば前に利用したことが
あったかも。
忘れてた。

いや、もしかするとここに行くために
忘れていたのか?
あのグレープフルーツジュースと
出合うために忘れていたのだろうか。

だって、あのジュースまた飲みたいって思いますもの〜

フラワーエッセンスをするようになった経緯

2021年06月25日 | その他


最近思うこと…。
それはYouTubeで
「薬剤師&エッセンスのかなこです」
というご挨拶をしながら、
薬剤師の発信を何もしていないということ…

まあ、そのうちに…

私がフラワーエッセンスを始めたのも、
元々は私が薬剤師だったことからです。

薬剤師になりたての頃、ご高齢の患者さんなど、
1人がたくさんの種類の薬を持って帰られていました。
確かに薬は大切なものですが、私は調剤をしながら

「私は本当に患者さんを健康にしているんだろうか?」
「たくさんの薬をずっと飲めば、それが健康なんだろうか?」

といつも疑問に思っていました。


その後、『光の手』という本に出合い、私は確信しました。

「やはり、本当に健康になるためには、
薬を飲んで病気の症状を抑えるだけでなく、
心やエネルギーの観点からも見ないとダメなんだ』
と。

そして、『光の手』の著者であるバーバラ•ブレナン女史の
ヒーリングスクールに入学しました。
フラワーエッセンスを知ったのは、その学校でです。

そして、卒業して、十数年後にフラワーエッセンスの活動を始めました。

まだほんの数年の活動ですが、フラワーエッセンスで変わっていく方々を、
個人セッションを通してたくさん見てきました。

フラワーエッセンス、ジェムエッセンス、その他のエッセンスは
私たち人間のマインド、ハート、オーラ場などなどに働きかけて、
人生でうまくいっていないと感じる部分の
解決のためのヒントをくれます。

なぜそんなことができるかというと、
私たちは皆、解決のための答えを自分自身が持っているからです。
エッセンスは、そこに繋がるのを助けてくれるのです。


 






骨粗しょう症のお話し

2020年09月21日 | その他


今日は薬剤師ネタです。
FUSOさんが出している『透析フロンティア』という雑誌があります。
それに載っていた「なぜ透析患者で骨折が増加するのか」という風間順一郎先生が書かれた記事が面白かったので、記事にします。

何が面白かったかというと、まず最初に目を引いたのが
「「骨強度はその70%が骨量によって規定される」という命題は、実ははっきりとしたエビデンス(証拠)に基づくわけではない。ただの都市伝説である。」という一文。

都市伝説て!!
医学雑誌に載せる記事に「都市伝説」て言葉使う!?
一気に興味出たわ〜、この記事。

この記事の内容も面白く、まとめると

◯1994年にWHOが骨量の低下を骨粗しょう症診断に用いる基準に採用し、「骨粗しょう症は骨量が低下する疾患」というイメージがもたれることになった。
◯骨粗しょう症は骨量さえ管理できれば良い、という誤ったメッセージが独り歩きした。
◯骨が折れるのは「中途半端に硬いから」である。柔らかければ折れない。ダイヤモンドはハンマーで叩けば簡単に割れる。金属がなかなか割れないのは「そこそこ硬いのにしなるから」である。
◯ 「骨強度はその70%が骨量によって規定される」というのは、ただの都市伝説である。
◯骨量は「とても少ない」のがダメなのである。
◯現在の骨粗しょう症治療薬といえば「骨量増加薬」である。骨量が著しく低い患者は骨量を増やせば骨折リスクを減らすことができるだろう。しかし安全域に到達することを約束するものではない。
◯骨折予防は転倒予防が大事。転倒の原因はサルコペニア(筋力や運動機能の低下)だけでなく貧血、運動失調、視力障害、平衡機能障害、夜間頻尿、前立腺治療薬や眠剤の服用などもある。
◯透析患者は副甲状腺機能亢進症により骨ミネラル代謝異常が起き、骨の弾力が失われていく。鉄などの金属は「硬いから折れない」のではなく「硬いのにしなるから折れない」。その鉄材も錆びればしなりが悪くなって折れる。ざっくり言えば骨も鉄材も同じ。

という感じ。
だいぶ荒くまとめてしまったが、まあ、こんな感じのこと。

「都市伝説」という言葉に惹かれて記事のまとめを書いてしまった…。


ドロレス・キャノンの手法QHHTを受けて

2020年08月30日 | その他
こないだつくづく思ったのは、
「自分を信じるということは、それを行動すること」
です。

いや、もう、説明不要の当たり前といえば当たり前のことなのですが、
うーん、なんていうんでしょう、
「頭では分かってても、腑に落ちてなかった事」
というか、
「新たなレベルでそれが腑に落ちた」
というか。
(「新たなレベルで」なんて、自分で言うのはおこがましいかも、なのですが

私が以前、ドロレス•キャノンの手法であるQHHTのセッションを受けた時のこと。
QHHTのセッションでは、まず自分にとって大切な過去生に行き、
その後、自分のサブコンシャスに自分が聞きたいことを答えてもらうという流れでした。
(サブコンシャスは日本語にすると「無意識」なのですが、
日本語の「無意識」よりもハイヤーセルフ的な感じなので、
あえてカタカナで「サブコンシャス」と言っている、
とセラピストさんが説明してくれました)

私が行った過去生は、
地球のものか、どこか別の世界のものだったかわからないのですが、
何かの施設ができて皆がそれを祝っていました。
まるでお祭りのようでした。

でも私は
「こんなに浮かれてていいのかな。本当にこれって大丈夫?」
とすごく心配でした。

なぜなら、
その施設には欠陥があるようだ、
と気付いていたからです。

でも、それに気づいているのは私しかいなくて、
そこを管理する立場の人間は私しかいなかったので、
誰にも相談できなかったんです。

私は自分がおかしいと感じていることに対して
何も対処しなかったんです。

そして、案の定、その施設は崩壊して、
とても有害な物質がその施設から流れ出て、
それが原因でたくさんの人たちが亡くなって、
最後には自分もその物質が原因で死んでしまいました。

その人生で悔いたのは
「自分を信じることができなかった」
ということでした。
これはセッション中に自分の口から話されたことです。

こないだこのことを思い出していて思ったのですが、
「自分を信じることができなかったのではなくて、
自分が信じたことを行動できなかったんじゃん」
と。

「だって、信じるというのは、それを行動することだよ」
と。

言葉にしたら当たり前なのですが、
学びのプロセスって、何度も同じところ通りますね・・・

自戒を込めて記事にしました

ちなみに私は、過去生というのはただのシンボルであって、
本当にその人生を自分が送ったかどうかはどちらでもいい、
と思っています。

ドロレスも
「過去生には実際に生まれて体験した生もあれば、
アカシックレコードからダウンロードしたものもある。
どちらであるかは誰にも区別できない」
と言っています。

大事なのは過去生から学んで、それを今の生に活かすことですもんね

フラワーエッセンス以外の、
自分のこんな日々の気づきもYou Tubeにアップしています。
よかったら遊びに来てください♪
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変化と変容

2020年07月31日 | その他
勝手な思い込みですが、スピリチュアル用語としての「変容」の意味。

内観していって、
現実に対する間違った思い込み(信念体系とかビリーフとか言われるもの)を手放していったら、
外界に対する自分の反応が「変化」する。
でもやっぱり、また元の方へ引っ張られたりする。
内観は1回やれば終わり、というものではないから。

それでも変化を繰り返し続けていたら、
あるとき、自分はもうそこへは戻らない、という場所へ到達する。
それを「変容」というのかな、なんて勝手に思っている。

それでも「ここで終わり」というのはないのだけど。
人間やっている以上は
「私の中には、もうそれはありません」
ということはない。
そして、人間を卒業した後も、道は続く。

道は長くて気が遠くなることがある。
だから、楽しむしかない

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紫陽花(とハチのお尻♪)

2020年07月01日 | その他


ジメジメした日が続きますね。
皆様も体調崩されませぬようご自愛ください。

手洗いうがい、自己免疫強化、継続していきましょう。

『アミ 小さな宇宙人』

2020年06月11日 | その他

(手に入らない方、図書館を探してみてください〜)

2年くらい前だったかブログでオススメされているのを見かけて読みたいと思いつつ、ずっとそのままになっていて、最近Amazonとメルカリで調べたらすっごく値段が高くなっててビックリしました。
定価1300円+税が、今では1万円前後に!!

困ったときは図書館です。

「この本すごいわ」
がまず最初の感想。
最近歳をとって感受性が鈍ったせいか、あまり映画や本で感動することがなくなってしまっていたのですが、この本はすごいと思いました。
真理をついているというか、なんというか。
この本のすごさを説明するのは難しいし、私の言葉で説明すること自体がナンセンスな気すらしてきます。
すごい真理があちこちに散りばめられていて、それをかき集めるのも難しい。
そういった内容が、難しくない、やさしい言葉で書かれている。
「ま、ちょっと、読んでみてください〜」
と言いたい。
これは、たくさんの人たちで読んで、感想をシェアし合いたい感じです。
なぜなら、みんなそれぞれ違ったところに焦点を当てて、違った感想を持ってそうだからです。
そんな読み方ができる本なんです。
深いことがたくさん書かれていて、それは読者が自分の人生と重ね合わせて読んでいく類のもので、いろんな見方ができると思うのです。
それをシェアしあうとすごく楽しそう。

と、なんでこんなことを思うかと言えば、昔「読書会」というサークルに参加していたことがあって、その時に自分が感動した本と同じ本を読んだ方と話したことがあるのですが、自分とは焦点の当て方が違ったんです。
私は「色んな人が色んな役割を果たしつつ同じ目的に進んでいく」という見方をしていたのですが、その方は「一人ひとりの才能の発揮」という見方をされてて、「同じ物語を読んでもこんなふうに焦点の当て方が違うんだ〜!」と一種の感動を覚えたことがあるんです。
だから、他の人の感想を聞いて自分と全然違った見方をしていたら面白いし、自分もまた新しい視点が持てたり、刺激を受けたりしそうで、楽しそう♪

この物語は3部作になっていて、2冊目は『もどってきたアミ』という題名です。
読む前にちょっと心配だったのが、「2作目って1作目よりインパクトは薄まるよね…」ということ。
そしたらいきなり「エゴの一枝を折る」ことについて書かれていて、「あ、すごいわ」ってまた思いました。

統合のための内面の探究をしていくと、どうしても自分のエゴとぶつかります。その根深いものは、ぶつかった時に「だって…」と言い訳したくなったり、「これだけは」と他のもののせいにしてみたくなったりする「こればっかりはどうしても」というものであることもあります。

でも私たちは新しい地球に、それは持っていけないんだ、ということが書かれてあります。

すごい。ホンマすごい。

こんなすごい本を自分の手元に所有しておきたい、と思うのはこれもまた私のエゴなのだろうか
(物語には「所有する」ことについてのお話も出てきます。それとかけたオチです。実際にはお値段的に無理ですが…。
って、オチを説明しちゃった〜)


現在過去未来は同時に存在。「ゲートが閉じる」の別比喩表現も

2020年05月29日 | その他
現在過去未来は直線ではなく同時に存在する。
というのはよく言われますが、私がこの概念をなんとなく受け入れられたのはこの本のおかげだったと思います。


(海の網状模様の表紙)

リチャード・バックの『ONE』です。
リチャード・バックの著書で有名なのは『かもめのジョナサン』で、題名を聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
当時、私は歌手のKATSUMI(←カメリアダイヤモンドのCMの「危険な女神」という曲が有名)が大好きで、この物語をモチーフに作られた「ONE」という曲が入ったアルバムを聴いていました。


(今調べたら発売が1991年だった。そんなになるんだ…)

それが縁で『ONE』を読みました。

地球にいれば
「だって、過去は今より前のことだし、未来は今より先のことだし、時間は直線に決まってるじゃん」
と思うのは当たり前で、自分もそう思っていました。
それがどうしてこの本で新しい概念が受け入れられたかというと、自分が知っているものにうまく例えられていたからです。

30年も前に読んだ本なので、もしかしたら記憶違いもあるかもしれないのですが、ストーリーをかいつまんで説明すると、

主人公は著者であるリチャード・バック自身と奥さん。
彼は奥さんと一緒に自家用飛行機に乗って(彼は現実でも飛行機の操縦が好き)出発します。
海の上空で、つまり空中で、飛行機が止まってしまうという不思議なトラブルにみまわれ、このトラブルを解決するために海への着水を試みます。
着水すると、そこで今の現実とは違う現実を体験します。
リチャードが死んで奥さんが生き残る世界。
若かりし頃のリチャードが戦争に参加し、飛行機で爆弾を落とすことになるのですが、その街にはまだリチャードと会っていない奥さんが住んでいるという世界。
などなど。
1つのバージョンの世界を体験し終わったら飛行機に戻ってきます。そして再び着水するとまた別の世界を体験するのです。
下に広がる海には『ONE』の表紙のような網状模様があります。どうやら、その網目の一本一本がいわゆる平行現実、パラレルワールドになっていて、着水するたびにその一つ一つを体験しているようなのです。

というお話です。(間違っている部分があるかも)

海の網状模様になっているパラレルワールド(タイムライン)。
今とは違うバージョンの現実も、過去も、未来もすべてが同じ平面上にあり、上空の飛行機から見たらただ場所が違うだけ。
網目の一本一本は交差して影響を与え合っている場所があるかと思えば、またわかれる。
近い場所の世界同士は交差しやすく状況も似ているだろう。
遠く離れた場所の世界は全くかけはなれたバージョンの世界になっているだろう。

この時はまだスピリチュアル的なことにふれていなかった頃なので、ただの物語として読んでいました。
後に、「時間は直線ではない」という概念にふれたときに一番に連想したのがこの物語の「海の網目」でした。

今の自分自身がいる現実の隣の網目には、あの時あれを選択しなかった自分がいるだろう。
ある場所の網目には過去の自分がいる。その隣には違ったバージョンの過去があるだろう。そこから少し離れた場所には、前世の自分が。
またある場所には未来の自分が。その隣には別の選択をした未来の自分が。その隣にはまたほんの少し違う未来の自分が。
もっと離れた場所には来世の自分が。
こんな風に世界は数限りなく存在する。
そしてそれは同じ平面上に、つまり同時に存在する。

上空の自分はそれらの全てを取りまとめる自分で、それはより神に近い自分であり、ハイヤーセルフよりももっと高い次元の自分。
何を学ぶかを決め、その網目のどこに落ちるか、その網目のどこに焦点を当てるかを決めている「大いなる自分」。

というイメージでした。

そして今地球で起きているのは、上空にいるのは人類の集合意識で、「今までの地球の周波数を手放して、目覚めて新しい地球に行きましょう」という人たちは東の海へ、「今までどおり眠ったままで」という人たちは西の海へ向かっているようなものだと、私はイメージしています。

この分岐点にいる今、東の海に行こうと思った人たちへの波の後押しがすごくて、海流に乗ってどんどん東に流れて行くことができる、ということです。
そして、東を選んだ人たちと西を選んだ人たちがどんどん離れていって、網目も交わらなくなって、太平洋にある網と大西洋にある網くらいにわかれてしまって簡単には行き来ができなくなる、わかれてしまう、というのをゲートが閉じると表現されているのだと、私は解釈しています。
もちろん東の海と西の海も『ONE』を引き合いにした、ただの比喩表現で、本当に物質世界で東や西に行くわけではありません。
単に自分がすでに知っていること、理解していることに例えたらわかりやすいのでそういう表現にしているだけで、「ゲート」も同じようなものだと思っています。
ドロレス・キャノンなど「地球が2つにわかれる」と表現している方たちもおられます。

と、ちょっと小難しいことを書いてしまいました。
最初は現在過去未来は同時に存在するとだけ書こうと思ったのですが、「ゲート問題」にからめてしまいました。
というのが、以前書いた「ゲート問題がYoutubeですごいことになっていた」という記事がいまだに読まれていて、多分このブログで一番読まれている記事なんです。
フラワーエッセンスの記事よりも読まれている・・・
あ、もちろん書いた文章をたくさんの方に読んでいただけるのはうれしいです。
それで、また書いちゃいました。
はい、そうです。ちょっと釣り入ってます…

*「ゲート問題がYouTubeで…」の記事を改めて読み返してみたら、「ゲートが2020年冬至に完全に閉まる」って書いちゃってました。正しくは2021年ですよね。どうもすみませんでした










マスクが…

2020年03月15日 | その他
今日、ヤ◯ダ電機に行った。
店員さんはみんなマスクをしていた。

男性の店員さんと話をした時にマスクをよく見たら、きっと何回も洗って使っているのだろう、ものすごく毛羽立っていて、薄くなっていて、一部鼻の肌の色が透けて見えた。

そんなに?!
そんなになるまで?!

お店に立つにはマスクをしなければならない。
でも新しいマスクは手に入らない(もしかしたら会社から支給されるのかもしれないが、毎日は支給されないのだろう)。
となると、洗って使うしかない。何度も。

薬局に勤務していると、毎日「マスクはありませんか?」と聞かれる。
患者さんから聞かれるし、いちげんさんに聞かれるし、電話がかかってくることもある。
幸いうちに来られる方は良い方ばかりで、マスクがなくて暴言を吐かれたことはない。ありがたいことに。
こちらも「キッチンペーパーで作る方法もありますよ」など伝えさせていただく。
が、正直、ないものを毎日毎日聞かれると、
「もう、ないんだから仕方ないよ〜」
と思ってしまうこともある。

でも、もし自分の家族があのようなマスクをしていたら…。
不憫でならないと思う。
ヤ◯ダ電機はちゃんとしたお店なのでキッチンペーパーの代用品ではダメなのだろう。
それなら、自分が家族のために、なんとかマスクを手に入れてあげたい、と思うかもしれない。
薬局があればダメもとでマスクがあるか聞いてみるかもしれない。
開店前のドラッグストアにも、並んでみるかもしれない。

うちの薬局に「マスクないですか?」と聞いてこられる方たちも、いろんなバックグラウンドを持ってマスクを求めていたのだろう。
自分は、そんな背景をきちんと受け止めていただろうか。
「すみませーーーーん、ないんですよ〜」
と軽々しく言っていたような気がする。
明日からもっと心を込めて対応しよう。

そんなことを考えるほど、今日出会ったマスクは不憫でならなかった…。