元横綱大鵬の納谷幸喜さんが19日午後、死去しました。享年72歳。
1960年代の大相撲は「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期でした。大鵬は
1961年(昭和36年)秋場所後、ライバルの柏戸とともに21歳の若さで
横綱に昇進、「剛の柏戸」「柔の大鵬」と呼ばれ大相撲ファンを魅了
しました。
私自身、大相撲の最初の記憶は大鵬さんでした。確か1971年の初場
所で横綱玉の海と優勝を争い、32回目の賜杯を手にしたときのシーン
をテレビで観た記憶があります。その時は既に力としてピークを過ぎ
「もはや引退…」とささやかれていた頃のことでした。しかし「巨人
大鵬・卵焼き」の言葉とともに、その時のことは今でもよく覚えてい
ます。
引退は1971年の5月。台頭してきた新鋭貴ノ花との一番を最後に、
現役を退きましたが、「1971年5月」というのは私的な事情で悲しい
ことがあり、そのことと合わせて忘れられません。
誰にでも、人生においていくつもの「分岐点」が至るところにあり
ますが、私にとっては大鵬さんが引退された1971年5月がその一つで
あったと思います。
大鵬さん死去の悲報とともに、そんなことを回想しています…。
合掌。
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1960年代の大相撲は「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期でした。大鵬は
1961年(昭和36年)秋場所後、ライバルの柏戸とともに21歳の若さで
横綱に昇進、「剛の柏戸」「柔の大鵬」と呼ばれ大相撲ファンを魅了
しました。
私自身、大相撲の最初の記憶は大鵬さんでした。確か1971年の初場
所で横綱玉の海と優勝を争い、32回目の賜杯を手にしたときのシーン
をテレビで観た記憶があります。その時は既に力としてピークを過ぎ
「もはや引退…」とささやかれていた頃のことでした。しかし「巨人
大鵬・卵焼き」の言葉とともに、その時のことは今でもよく覚えてい
ます。
引退は1971年の5月。台頭してきた新鋭貴ノ花との一番を最後に、
現役を退きましたが、「1971年5月」というのは私的な事情で悲しい
ことがあり、そのことと合わせて忘れられません。
誰にでも、人生においていくつもの「分岐点」が至るところにあり
ますが、私にとっては大鵬さんが引退された1971年5月がその一つで
あったと思います。
大鵬さん死去の悲報とともに、そんなことを回想しています…。
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はい。そうなのです。
平成2年のころに初めて行きました。
川湯の温泉街のウラに「ゆり食堂」さんという
飲食店があり、そこのラーメンを食しました。
メニュー
・親方ラーメン
・横綱ラーメン
・大関ラーメン
美味しかったです。
ご提案のあった記念館はぜひ伺いたいと思います。
北の湖(壮瞥町)、千代ノ山・千代の富士(福島町)でしたっけ。
北の富士、金剛、大受や北勝海・大乃国の記念館は
ないのでしょうか…。
実は大鵬記念館もだいぶ前(昭和60年だったと思う)に訪れました。
この時の見学者は自分だけだったのですが、大鵬の記録映画を
上映してくれました。殆どが白黒フィルムの映像だったのですが、
最期の貴ノ花戦だけカラーだったような記憶がかすかにあります。
道内には他にも北の湖記念館や千代ノ山・千代の富士記念館があり、
これらも見学したことが有ります。(機会があれば是非お勧めします)
北海道に訪れるようになった初期、川湯温泉街にある横綱大鵬相撲記念館に訪れていました。
屈斜路湖と神秘的な摩周湖に囲まれ、硫黄山の麓に位置する川湯の街。
実感した大自然のパワーにこの地で育った大鵬さんの
強さと偉大さを重ね合わせたものです。
玉の海との優勝争い!
私も印象に残っています。覚えているのは最後の優勝を飾った
1971年一月場所のシーンですね。
引退となったその年の五月場所は、いろいろな意味で感慨深いものがあります。
ここが大鵬の出身地なのですね。
大鵬については後世の書物等で知る部分が殆どなのですが、
「柏鵬時代」と言われる割には柏戸よりも佐田の山や玉の海らと
優勝を争ったことが意外に多かったことに驚いたものです。
時代は下って平成3年夏場所、千代の富士×貴花田の取組に
かつての大鵬×貴ノ花を重ね合わせた相撲ファンは多かったようですね。