【写真:りんかい線・天王洲アイル駅付近 2009年05月16日22時04分撮影】
★この写真はイメージです。
先日、こちらの記事で「自信のコントロール」について考えを展開
しました。その数日後、バスの中で60歳前後の女性のかたがたがこの
ような会話をしていたのを耳にしました。
最近の子供は、自己主張が強いわよね。
親にいろいろと向ってくるんだけれど
親の言うことを聞こうとしないんだから。
どうやら、このかたのお孫さんが「親にはいろいろと要求するけれ
ども、親の指導を受け入れない」ことを嘆いているようです。・・・。
そこで思い出したのですね。「自信」ということを。
少し考えてみました。こどもを直接指導する立場にある親や教師の
することは(わたしもそうです)すべて正しいとは限りませんよね。
こどもに対する「大人」としてとらえてみると、大人は内心そのこと
を変に意識しすぎて、こどもたちを導く自信を失っているのではない
でしょうか。
自信は無くても、目の前にいるこどもがどんなことをしようとして
も放っておくわけにいかず、あれこれと世話をやき褒めたり叱ったり
するのが親であり、教師だと思うのです。そのいっぽうでこどもは、
大人のそのような「自信の無さ」を看破しているので、ますます大人
に対して反抗的になります。大人は自分のことで「いっぱいいっぱい」
なのでしょうか。自分に執着し、自分だけを愛し「わたしが、オレが」
などという態度で相手に接し導こうとした時、はたして相手が共感し
ついてくるでしょうか。
親や教師に反抗するこどもを目の前にして、「悪いのはこどもなの
だから、正しい大人である自分がこどもの心を入れかえてやろう」と
するのは、「自信の無い大人の自分へのこだわり」ではないでしょう
か。
七歳のこどもであっても、自分よりすぐれた者である
ならば、わたしはそのこどもの考えを受け入れ、知ら
ないことをそのこどもにたずねよう。
百歳の年寄りであっても、自分に及ばない者であれば
わたしはその老人を教え導くことにしよう。
中国・唐の時代の仏教学者である趙州従諗のこの言葉を知った瞬間
思わずハッとしたのです。
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