【写真:羽幌炭鉱貯炭槽の遺構@北海道・羽幌町 2015年08月31日14時20分撮影】
かつて、北海道では「石炭産業」が隆盛を極めた。夕張を始め1960
年代、昭和30年代から40年代にかけて、日本海側の羽幌・築別地区も
一大鉱山町として栄えた歴史がある。
1961年には年間 100万トンを出炭、人口も30,000人を超えた。その
炭鉱も1970年に閉山。この地から人は次第に離れ、栄華の象徴である
建造物群が大自然の中に屹立する。
国道 232号線の築別で道道 356号線に入り10Kmと少し進むと、曙と
いう集落に到達する。かつて、暫定開通していた国鉄名羽線の駅舎が
あったところだ。その地点を左折し、道道 741号線に。やがて深緑の
森林の中に数々のオブジェが見えてくる。発電所の煙突、アパート群
…。中でも炭鉱のシンボルであった巨大なホッパーが視界に入る。
発電所の煙突
アパート群
巨大ホッパーの内部
さらに奥深く進むと、道は突然「通行止」の標識とともに寸断され
ていた。築炭ゲートである。道道 741号線は、大森林帯を抜け遠別町
正修につながる予定であるのだが…。
築炭ゲート
今、この大炭鉱は北の大地に還ろうとしている。
HERE
↑If this article is quite good, will you please click?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます