【写真:フェリーのデッキ 2006年10月13日22時00分撮影】
7月から8月の盛夏の時期ならば、観光客でごった返すフェリーの
デッキ。10月中旬ともなると、ご覧のとおり。
ただいま、出航3分前。気温8℃、風速5m。やがて22時、船が
岸壁を離れる。しばらくして港の灯りが遠く小さくなくなったころ、
閑散とした2等室の大広間へゆっくりと向う。
この船はいずこへ・・・。
来る2006年12月 1日より、八戸~苫小牧航路の運航船社が川崎近海
汽船(株)に一本化される。今後、東日本フェリー社は川崎近海汽船
(株)に対し、「べが・べにりあ」の2隻を提供する船主として参画
することになる。
八戸~苫小牧航路は、1973年 4月、シルバーフェリー(現)川崎近
海汽船(株)が営業を開始、以来東日本フェリー社と2社により今日
に至るまで、実に30有余年にわたり、北海道と本州を結ぶ幹線中距離
航路として、その役割を担ってきた。
しかしながら、時代の推移とともに本州~北海道間における物的・
人的交流の減少、規制緩和による自由化が加速したことにより、輸送
運賃の低廉化を余儀なくされた。さらに昨今の急激な原油価格の高騰
は、国内外を問わず、各方面の経済に少なからぬ影響を与えており、
東日本フェリー社においても事業の最も大きな費用部分を占める船舶
燃料油価格の値上がりは、顕著に運航コストの増加を示している。
このような状況の中、景気が緩やかに上向き基調とされながらも、
原油の高止まり、物流の減少等、経営環境は依然厳しいところである。
東日本フェリー社においては、一部航路の運休、経費の削減等、大幅
な合理化対策を断行し各航路の運営に努めているのだが、今後の利用
者への安定供給、幹線中距離航路としての役割を顧みれば、各社単独
での合理化努力ではもはや限界であり、窓口業務の一元化(連携)に
よるコスト削減こそが、航路の維持、発展、そして利用者への安定的
サービス向上に繋がる唯一の方法であると確信し、鋭意協議を重ねて
きたわけである。
1984年以来お世話になった、東日本フェリー社の八戸~苫小牧航路。
それは、わたしの「北」の旅をずっと支えてくれた。まさに歴史その
ものである。「べが」は引き続き運航されるものの、やはりひとつの
時代の「終焉」を感じないわけにはいかない。
川崎さんは、いろいろ割引があって私は好きですよ。
この前、2等から、船内グレード変更で、2等寝台に変更してもらったんだけど、ドライバーズルームに案内されました。
個室でGOODなんですね。通常はとれないんだけど、混んでいたから特別で。ラッキ~~~~・・はつむじ風。
東日本フェリーは数年前から「福島~大畑」間や
「室蘭~八戸」間の航路が廃止になるなど
いろいろと「兆候」はありましたね。
やはり「事業拡大」路線のひとつの結末を
迎えようとしているのでしょうか。
>ドライバーズルームに案内されました。
これ、いいですね♪
東日本フェリーのドライバーズルームって
乗ったことがないのですが
カプセル・ホテルみたいな感じですか?
風呂もあるのでしょうか?