インターネット、e-mail 、携帯電話、携帯電話のメール・・・。
本当に便利になったものです。プライベートだけではなくビジネス
においても然りです。その中で今回は携帯電話のメールについて取り
上げます。
あなたは携帯電話のメールを使用していますか。それはどんな時に
使用していますか。便利だと思いますか。便利だけれども、時々困惑
したことはありませんか。
私も携帯電話のメールを活用しています。便利です。ビジネスでも
プライベートでも活用しています。但し、活用の際に注意している点
があります。それは・・・。
簡潔な文面で構成すること
事実だけを書くこと
用件のみを相手に伝えること
この3つを「ポリシー」にしています。例えば、ビジネスで約束の
時間に遅れそうな時、「電車事故で30分遅刻します。」これだけ。
プライベートの飲み会が終わった電車の中、「今日はどうもありがと
う。また会おう。」これだけ。
何が言いたいのでしょうか。携帯電話のメールでは行間を読み取れ
的な複雑な機微を示すような文面や、伝聞推定の世界を表現するとか
考え方を延々と披露するようなそんなやり取りは好ましくないと思う
のです。少なくとも私はしません。なぜならば、以上のことを表現し
ようとすると、文章がとても複雑になるからです。複雑になるという
ことは、受け手が送り手の予想しない解釈をする危険性を孕み、トラ
ブルが発生しやすくなるのです。受け手に対し、正確に思いを伝える
こと、正しい日本語を書くことは簡単なことではありません。いや、
間違いです。正しい日本語を書くことは簡単なのです。但しそのため
には、表現をシンプルにすることが必要なのです。
長文を書くと次第に自分の文章に酔ってきます。私もブログに書く
文章を読み返してみてそう思います。送り手の長文を受け手が読んだ
ときどう思うのか、送り手は送信する前にちょっとだけ考える余裕が
欲しいところですね。送り手はそう思っていなくとも、受け手が心を
傷めたりすることがあります。よく送り手が受け手に対し「このよう
に回答してくれ」と無言で期待するケースが散見されますが、これは
論外。「以心伝心」とは聞えがよいですが、表現されていないことは
読み取れません。結果、受け手から期待していない回答が返信された
のを見て「期待はずれだった」とよせばよいのに受け手に対し送り手
がクレームのコメントを発信してしまうのです。これでは、あまりに
独善的です。受け手はその後送り手に対してどのように接していけば
よいのか、迷ってしまいます。
なにも携帯電話のメールに限ったことではありませんが、コミュニ
ケーションの根底には「相手を思いやる気持ち」があります。私自身
完全なやり取りができているとは思いませんが、少なくとも受け手が
「?」と思わないような表現を常に心がけたいものです。
・・・
掲示板の書き込みやブログのコメントも同様ですが、やはり基本は
「対話」ですよね・・・と、最後に便利なネット世界の現状と逆説的
なことを表現しお開きにします。
↑If this article is quite good, will you please click?
本当に便利になったものです。プライベートだけではなくビジネス
においても然りです。その中で今回は携帯電話のメールについて取り
上げます。
あなたは携帯電話のメールを使用していますか。それはどんな時に
使用していますか。便利だと思いますか。便利だけれども、時々困惑
したことはありませんか。
私も携帯電話のメールを活用しています。便利です。ビジネスでも
プライベートでも活用しています。但し、活用の際に注意している点
があります。それは・・・。
簡潔な文面で構成すること
事実だけを書くこと
用件のみを相手に伝えること
この3つを「ポリシー」にしています。例えば、ビジネスで約束の
時間に遅れそうな時、「電車事故で30分遅刻します。」これだけ。
プライベートの飲み会が終わった電車の中、「今日はどうもありがと
う。また会おう。」これだけ。
何が言いたいのでしょうか。携帯電話のメールでは行間を読み取れ
的な複雑な機微を示すような文面や、伝聞推定の世界を表現するとか
考え方を延々と披露するようなそんなやり取りは好ましくないと思う
のです。少なくとも私はしません。なぜならば、以上のことを表現し
ようとすると、文章がとても複雑になるからです。複雑になるという
ことは、受け手が送り手の予想しない解釈をする危険性を孕み、トラ
ブルが発生しやすくなるのです。受け手に対し、正確に思いを伝える
こと、正しい日本語を書くことは簡単なことではありません。いや、
間違いです。正しい日本語を書くことは簡単なのです。但しそのため
には、表現をシンプルにすることが必要なのです。
長文を書くと次第に自分の文章に酔ってきます。私もブログに書く
文章を読み返してみてそう思います。送り手の長文を受け手が読んだ
ときどう思うのか、送り手は送信する前にちょっとだけ考える余裕が
欲しいところですね。送り手はそう思っていなくとも、受け手が心を
傷めたりすることがあります。よく送り手が受け手に対し「このよう
に回答してくれ」と無言で期待するケースが散見されますが、これは
論外。「以心伝心」とは聞えがよいですが、表現されていないことは
読み取れません。結果、受け手から期待していない回答が返信された
のを見て「期待はずれだった」とよせばよいのに受け手に対し送り手
がクレームのコメントを発信してしまうのです。これでは、あまりに
独善的です。受け手はその後送り手に対してどのように接していけば
よいのか、迷ってしまいます。
なにも携帯電話のメールに限ったことではありませんが、コミュニ
ケーションの根底には「相手を思いやる気持ち」があります。私自身
完全なやり取りができているとは思いませんが、少なくとも受け手が
「?」と思わないような表現を常に心がけたいものです。
・・・
掲示板の書き込みやブログのコメントも同様ですが、やはり基本は
「対話」ですよね・・・と、最後に便利なネット世界の現状と逆説的
なことを表現しお開きにします。
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