あいさつについて考えてみました。
あいさつを漢字で書くと「挨拶」になります。パソコンの「変換」
にすっかり慣れてしまったわたしにとって、いざ漢字で書こうとする
と、難しく感じます。
それはさておき、あいさつの「挨」という字には、「前へ進む」、
「押す」、「接近する」という意味があります。「拶」という字には
「迫る」という意味があり、相手と自分との距離を縮めることを表し
ます。すなわち、あいさつとは「自分から進んで相手に近づくこと」
なのです。
もっとも、中国の古典の世界であいさつは、「前にあるものを押し
のけて進み出る」という意味で用いられていました。昔の仏教書には
修行者間や師弟間で「問答」をし続け、悟りの内容や深さをお互いに
確認し合うことが「挨拶」であると記述されています。
さて、現代に話を戻して・・・。
相手に対して迫るような姿勢は、傲慢さの表れだと思います。自分
から積極的に進み出て、相手に対し敬意を示すことがあいさつの本質
だとすれば、形式的なあいさつがいかに空虚なものであるか、気づく
ことでしょう。
・・・と日常の自分の姿勢を省みるのでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/e8/67e9733b66106b9997c90c0591a78302.png)
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と、難しく感じます。
それはさておき、あいさつの「挨」という字には、「前へ進む」、
「押す」、「接近する」という意味があります。「拶」という字には
「迫る」という意味があり、相手と自分との距離を縮めることを表し
ます。すなわち、あいさつとは「自分から進んで相手に近づくこと」
なのです。
もっとも、中国の古典の世界であいさつは、「前にあるものを押し
のけて進み出る」という意味で用いられていました。昔の仏教書には
修行者間や師弟間で「問答」をし続け、悟りの内容や深さをお互いに
確認し合うことが「挨拶」であると記述されています。
さて、現代に話を戻して・・・。
相手に対して迫るような姿勢は、傲慢さの表れだと思います。自分
から積極的に進み出て、相手に対し敬意を示すことがあいさつの本質
だとすれば、形式的なあいさつがいかに空虚なものであるか、気づく
ことでしょう。
・・・と日常の自分の姿勢を省みるのでありました。
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