球界の「親分」元日本ハムファイターズの大沢啓二さんが10月 7日
の朝に息を引き取りました。78歳でした。
また一人、球界から「厚く熱い」人物が去っていってしまった感が
あります。大沢さんの印象でいちばん残っているのは、日本ハムファ
イターズが讀賣ジャイアンツと「後楽園決戦」をやっていた頃ですね。
1981年でした。当時のファイターズは今のファイターズとはまた一味
違う「粘り強い野球」をやっていました。新生西武ライオンズが大沢
親分にその年の後期、何度か挑んでいきましたが、9月中旬の後楽園
4連戦で見事に4連敗した記憶が今でも蘇ってきます。
その時のファイターズのラインナップは・・・
8 島田誠
6 高代
7 クルーズ
3 柏原
D ソレイタ
9 岡持
5 古屋
2 大宮
4 菅野
ポジションは怪しいですが、こんな感じだったのかなって記憶して
います。当時クローザを務めていた江夏豊氏は、このようにコメント
しています。
父親の代わり、父親以上の存在だった。
思い出は星の数ほどある。
走馬灯のように頭の中を駆け巡っている。
昨年末から体調が気掛かりだった。
あれは確か1976年のシーズンのことでした。後楽園でファイターズ
と阪急ブレーブスの対戦がありましたが、その時に「事件」が起こり
ました。
中盤、ブレーブスT投手投じたシュートが、ファイターズの打者の
頭部に当たってしまったのです。今であれば「危険球退場」でしょう。
それが伏線でした。次の回のファイターズの攻撃の際、ブレーブスの
T投手が再びシュートを頭部に当ててしまったのです。打者が地面に
倒れたか倒れないかのタイミングで、一塁側ベンチから脱兎のごとく
マウンドに向って疾走する大沢監督の姿がありました。そしてその右
フックがT投手に炸裂・・・。結果は「出場停止1週間、罰金5万円」
の処分を受けました。
行為そのものは確かにいけないことなのでしょう。しかし、その時
大沢さんは自軍の選手を守る気持ちと同時に、相手のT投手に対して
「なにやっとんじゃ、ばかたれ」と本気で「喝」を入れたのではない
でしょうか。このように本気で叱れる人は、なかなかいません。大沢
さんの「熱い気性」が伝わってくる「事件」です。
しかし、大沢さんの物凄いところはその後の行動そのものなのです。
その頃の監督は、処分を受けるとたいてい自宅で謹慎していました。
しかし、大沢さんはスコアブックを手にしながら私服で球場に現れた
のです。それだけではなく、代行監督として二人のコーチを日替わり
で指名し、その采配ぶりをネット裏から観察し、評価していました。
とかく「親分」「豪快」「暴れん坊」などのイメージを持たれる大沢
さんですが、ある意味緻密な側面も持ちあわされていたのですね。
それにしても、西武ライオンズを統率していたあの広岡達朗氏と、
「肉野菜戦争」を繰り広げていた時代が懐かしく思われます。
つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。
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の朝に息を引き取りました。78歳でした。
また一人、球界から「厚く熱い」人物が去っていってしまった感が
あります。大沢さんの印象でいちばん残っているのは、日本ハムファ
イターズが讀賣ジャイアンツと「後楽園決戦」をやっていた頃ですね。
1981年でした。当時のファイターズは今のファイターズとはまた一味
違う「粘り強い野球」をやっていました。新生西武ライオンズが大沢
親分にその年の後期、何度か挑んでいきましたが、9月中旬の後楽園
4連戦で見事に4連敗した記憶が今でも蘇ってきます。
その時のファイターズのラインナップは・・・
8 島田誠
6 高代
7 クルーズ
3 柏原
D ソレイタ
9 岡持
5 古屋
2 大宮
4 菅野
ポジションは怪しいですが、こんな感じだったのかなって記憶して
います。当時クローザを務めていた江夏豊氏は、このようにコメント
しています。
父親の代わり、父親以上の存在だった。
思い出は星の数ほどある。
走馬灯のように頭の中を駆け巡っている。
昨年末から体調が気掛かりだった。
あれは確か1976年のシーズンのことでした。後楽園でファイターズ
と阪急ブレーブスの対戦がありましたが、その時に「事件」が起こり
ました。
中盤、ブレーブスT投手投じたシュートが、ファイターズの打者の
頭部に当たってしまったのです。今であれば「危険球退場」でしょう。
それが伏線でした。次の回のファイターズの攻撃の際、ブレーブスの
T投手が再びシュートを頭部に当ててしまったのです。打者が地面に
倒れたか倒れないかのタイミングで、一塁側ベンチから脱兎のごとく
マウンドに向って疾走する大沢監督の姿がありました。そしてその右
フックがT投手に炸裂・・・。結果は「出場停止1週間、罰金5万円」
の処分を受けました。
行為そのものは確かにいけないことなのでしょう。しかし、その時
大沢さんは自軍の選手を守る気持ちと同時に、相手のT投手に対して
「なにやっとんじゃ、ばかたれ」と本気で「喝」を入れたのではない
でしょうか。このように本気で叱れる人は、なかなかいません。大沢
さんの「熱い気性」が伝わってくる「事件」です。
しかし、大沢さんの物凄いところはその後の行動そのものなのです。
その頃の監督は、処分を受けるとたいてい自宅で謹慎していました。
しかし、大沢さんはスコアブックを手にしながら私服で球場に現れた
のです。それだけではなく、代行監督として二人のコーチを日替わり
で指名し、その采配ぶりをネット裏から観察し、評価していました。
とかく「親分」「豪快」「暴れん坊」などのイメージを持たれる大沢
さんですが、ある意味緻密な側面も持ちあわされていたのですね。
それにしても、西武ライオンズを統率していたあの広岡達朗氏と、
「肉野菜戦争」を繰り広げていた時代が懐かしく思われます。
つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。
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岡持は日本シリーズ中継で初めてその存在を知ったものでしたね~。
ソレイタは今で言うカブレラやブランコのような特大Hrの
はしりのような凄い“外人”選手で、オソレイタと形容されたものです。
その彼を唯一手玉に取った投手が○射だったのも懐かしい思い出です。
インテリ風の広岡、武闘派的な大沢
肉より野菜の広岡、肉を食えの大沢
すべてが好対照でした。
この頃「セニョール・パ」なんて漫画にも両者は出演していて面白かったです。
Fs(いや当時はFでしたね)が後楽園をホームとしていた頃
よく「通い」ました。
1981年や1982年あたりがいちばん思い入れがありましたね。
永○投手の話題が出ましたので
書いておきますと
1981年の平和台球場で柏原選手の敬遠のボール(キャッチャーは吉本)を
見事に本塁打され唖然としました。
そのシーズンは前期10勝 3敗とFをカモっていたのですが
後期見事にお返しをされました。
9月の後楽園4連敗はまるで今年の対H戦3連敗のよう・・・。
1982年、広岡政権初戦が後楽園のF戦でした。
1回表いきなり5点を先取するも
雨天の中でコントロールを乱した兄やんが打たれ
終わってみれば7-10。
今年の終盤戦の敗戦のシナリオのようでした。
しかし、その年のプレーオフで江夏投手を
束になって攻略したことは
今でも鮮明に記憶しています。
(片平のプッシュバントなど)
この雰囲気が今のチームに欲しいですね。
大沢親分のニュースを見ていて、懐かしく思い出しながら、皆様のブログをめぐっておりました。
工藤投手の包帯事件とか、肉野菜戦争とか懐かしいですね。
それから私の記憶も曖昧なのですが、たしか、1981年は岡持選手ではなくて、井上弘選手がレギュラーじゃなかったでしたっけ??
なんて話が出来る方がいることだけでも、ちょっとうれしい気がするファイターズファンでした。
http://news-paper.jugem.jp/?eid=527
はじめまして。お越しいただきありがとうございます。
ご返信が遅くなり、すみません。
工藤投手(ボウリング投法もありましたね)が在籍していたころ
ファイターズには岡部、木田、間柴など
先発陣が鉄壁の活躍をしていましたね。
井上選手の件はおっしゃる通りだと思います。
なにせ記憶が曖昧でして
岡持選手が出てきたのは9月のL4連敗や
日本シリーズのときの印象だったのかも
しれません。
これからもよろしくお願いいたします。
T投手については後日談ありますね。
そのT投手が自由契約になったときに、最初に声をかけて1からやりなおすきっかけを与えたのが大沢親分だったとか。
さすが!! さすが親分!!
ですね。
ご無沙汰しております。
お元気ですか?
T投手のそのエピソードは知りませんでした。
親分、本当に篤い方だったのですね。
よいお話をいただき、ありがとうございました。