らば~そうる “IN MY LIFE”

旅、音楽、そしてスポーツのこと。過去、現在、そして未来のこと・・・「考えるブログ」。

890.ビートルズ・ドラムス音の変化

2008-04-13 | 12.THE BEATLES
【“THE BEATLES”ドラム・ヘッド・ロゴ(ナンバー6)】

 ビートルズの1966年のシングル‘Paperback Writer’から「あれっ
サウンドが変わった」と思われた方も、多いのではないでしょうか。
1965年秋の“RUBBER SOUL ”と1966年春の“REVOLVER”セッションで
は使用する楽器に大きな変化はありません。では、この変化の要因は
いったい何でしょうか。

 そのひとつは「エンジニアの交代」です。それまで長年グループの
サウンド・エンジニアを担当してきたノーマン・スミスに代わって、
チャレンジ精神旺盛なジェフ・エメリックが抜擢されたのです。
 
 1966年に入り、ビートルズはそれまでとは異なったサウンドを得よ
うと模索していました。エメリックは彼らの要求に応えるために、時
として「お決まりのやり方」に固執しない方法を用いたのです。

 エメリックの最初の仕事は‘Tomorrow Never Knows’のレコーディ
ングでした。この時彼は、先進的なドラムスのレコーディング技術を
考案したのです。アマチュア・バンドを経験された方はご存知かもし
れませんが、バスドラが響きすぎるのを避けるために柔らかい衣類を
その中に押し込んでミュートしていませんか。エメリックは、それを
最初に実行したのです。

 彼らのファンの一人からもらった、首穴が4つある毛糸のセーター
 があってね。クリスマス・ショーのときにも着ていたんだけれど、
 そのセーターがスタジオにあったから、僕はバスドラを引き締まっ
 たサウンドにするために、それを中に突っ込んだのさ。そしてバス
 ドラ用のマイクをドラムスのすぐ近くに移動させたんだ。当時は、
 そんなこと誰も考えなかったけれどね。それで僕らはセットの音を
 Fairchild の 660真空管コンプレッサーに通したんだ。

 エメリックによれば、マイク2本を使ってビートルズのドラムスの
音をレコーディングしたそうです。ビートルズのレコーディングにて
4トラックのMTRを使用していた時代は、リンゴのドラムスの音は
最終的に1つのトラックにまとめられていました。エメリックはその
理由について語ります。

 当時のアビイ・ロードのミキサーには8チャネルの入力と4チャネ
 ルの出力しかなかった。やろうと思えば1つの入力チャネルの前に
 4チャネルの入力があるサブ・ミキサーをカスケード接続すること
 ができたけれど、サブ・ミキサーにイコライザーが付いていなかっ
 たんだ。

 2本のマイクは、ドラムスのバスドラ用にAKGのD20を、オー
バー・ヘッド用に同じくD19Cを採用しました。ただ、よりオン的
効果を創出したいときは、リボン型マイクを使用しました。

 これらの「基本的組合せ」の上に「バスドラのミュート」と「音源
に近接したマイク・セッティング」そして、「コンプレッサーの利用」
により、‘Tomorrow Never Knows’の衝撃的なパルス音が生み出され
たのです。そのパルス音は、ポールが弾くリッケンバッカーのベース
による「持続的なオクターヴ音C」と呼応し、曲をより神秘的なもの
に昇華させています。



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2 Comments

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リボルバー (タケチャン)
2008-04-13 22:43:30
ギターを直接アンプにつなげるとか、今は普通の
手法のいくつかは、ビートルズが始めたものです
よね。

トモローネバーノウズではジョンの声もポイント
でしたね。
返信する
>リボルバー (らば~そうる)
2008-04-13 23:59:14
to:タケチャンさん

リボルバー。
このアルバムを境にポールがビートルズの活動において
主導権を握っていった感があります。
エメリックのエンジニア就任により、アイディアを
具現化できる「パートナー」を得たことも
大きいでしょうか。
返信する

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