【写真:丘の上のロール(記事内容と無関係) 2002年08月10日12時01分撮影】
北海道へ毎年旅に出かけている。稚内も好きな街で必ず訪れている。
サロベツ原野を巡り、利尻富士に落ちる夕陽を見ては毎回新たな感動
に浸り、稚内へ入る。故郷へ帰るかのように毎年立ち寄る店がある。
「天勝」と「ランチョン」。
私はけっしてグルメではない。北海道を周る際は、コンビニの弁当
で食事をすませることも多い。そんな私であるが、「天勝」で寿司と
タコしゃぶを楽しみ、「ランチョン」の塩ラーメンで締める。
「天勝」では店のおばあさんとよく話をした。中でも天気のハナシ
が多かった。「ランチョン」は、おじいさんとおばあさんが切り盛り
していた。ここの「塩ラーメン」はとびきり旨かった。俗に、「ラー
メンは北へ行くほど旨い」と言われているが、これはまさに魚介類系
のダシの賜物だと思う。
しかし、そんな平和な稚内に2002年 6月末、大事件が起きた。
2002.6.29 稚内火災
「稚内火災」。2002年 6月29日(土)18時15分頃に出火し、11時間
燃え続け、翌日30日の 5時25分に鎮火した。死者こそ出なかったもの
の、建物23棟、延べ床面積9068㎡が焼失する大規模の木造建造物密集
市街地の全焼火災となった。
その年の 8月。恐る恐る稚内へ訪れた。やはり・・・。そこにいる
はずのひとがいない。そこにあるはずのものがない。これほど悲しい
ことはない。「天勝」も「ランチョン」も、そして他の店も。しばし
茫然自失となり、その場に座り込んでしまった。しかし、その時は、
「きっと再興するさ」と信じていた。だから、その数年後ランチョン
のご主人がお亡くなりになったことを、「竹ちゃん」のご主人からお
聞きし、その願いも叶わなくなったことを思い知ると、「ポッカリ」
と心の中に穴が開いたようになった。
街は復興を目指している最中である。毎年訪れるたびに、少しずつ
ではあるが、街は確実に変化している。
そして、2005年の10月。いつものように稚内へ訪れた。もう初冬の
様相。風が強く、これからやってくる厳しい季節を予感させる。
防波堤ドームの近くに車を停め、「車屋源氏」の角を曲がり、焼失
した中心部を歩く。すると。「天勝」の看板の店が。建物も新しい。
「もしかして・・・」と思うや否や、のれんをくぐった。間違いなか
った。4年前の10月を最後にお会いしていなかった「おばあさん」の
変らぬ姿が、そこにあった。救われた気持ちになった。この3年間の
ご苦労をお聞きし、思わず落涙してしまった。
稚内の市街地火災を過去のものにしてはいけない。市街地中心部に
は、防災上脆弱な木造密集地や既存不適格建築群がまだ数多く残存し
常に火災の脅威にさらされているという。「安心」、「安全」のキー
ワードの尊さをあらためて感じる。
追伸。JR稚内駅前にある西條デパートが閉鎖されていた・・・
いやぁ、らば~そうるさんのボウリング解説は素晴らしいですね。
写真やイラスト付きで分かりやすいです。
私は、日曜の夜にボウリング大会に行って来ます。
うなれ、レブミッション!
光れ、メカテクター!(光りませんが)
・・・・・ガンバリます。
コメント、ありがとうございました。
ブログの方へお返事させていただきます。
to:みかちびさん、まこにゃんさん
ロール、クリックすると動きます
さすが。
北海道に詳しすぎるので、読みすぎですな♪
もっとも、この写真から中頓別の地名が出てくるところが
脅威なのですが・・・
単純に、豊富の風景です。ジャン、ジャン。
ほら。牛乳飲みすぎて、その後たいへんだった
ところですヨ。
町営大規模牧場のあたりでしたか。
なかとんあたりだと、バックにもっと山が控えてるので、今ひとつ地震なかったんですが。ぐらぐら...。
あそこの牛乳、まいう~だったですね。
その後のことを考えなければ。(笑)
ちなみにあそこにも、SLが走っていたというのは、ちょっとマニアックな事実であります。
その奥の本流・豊幌ってところに炭鉱があったんですよ。
>その奥の本流・豊幌ってところに炭鉱があったんですよ。
1984年の夏、初めて北海道へ上陸した時
サロベツ原野から豊富温泉を訪れました。
その後、浜頓別方面へ行こうと思ったのですが
ジャリ道で道幅が狭く鬱蒼とした感じだったので
「恐怖感」から引き返しました。
まだまだ「青かった」ですね。