NUMBER 9
ビートルズのジョン・レノンが生前こだわり続けた数字です。
ジョンは1950年代に‘One After 909 ’(発表は、1970年リリースの
アルバム“LET IT BE ”)を、1968年には‘Revolution 9’を、そして
ソロになった1974年に‘#9 Dream’という「9」にちなんだ曲を書いて
います。
この拘りはジョンのバースデイが1940年10月「9」日、最初に住んだ
家の住所が「9」番地であったために、彼の意識が芽生えたようです。
実際のところ、マネージャーのブライアン・エプスタイン氏が、初めて
キャヴァーン・クラブにビートルズを観に来たのが1961年11月「9」日。
EMIとの契約が締結されたのが1962年 5月「9」日、そして、オノ・
ヨーコさんと出会ったのが1966年11月「9」日です。
あのダコタ・ハウスは72番地(7+2=「9」)にありました(強引)。
ジョンが凶弾により搬送され、最期を遂げたルーズベルト病院は「9」
番街にあり、医師が死を告げた時刻が1980年12月 8日11時 7分(1+1+7=
「9」これも強引)でした。この時、ジョンの生誕地リヴァプールでは
12月「9」日・・・です。
・・・ジョンがマンダラのマトリクスを駆使したり、「○×」ゲーム
に興じていた・・・というハナシを耳にしたことはありませんね。
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