【写真:第一幾品川橋梁@北海道・斜里町 2015年09月02日13時55分撮影】
1984年の夏に北海道を回った当時、「国鉄」の路線が道内に敷き詰
められていたことを今でも記憶している。道東エリアもそうで、かつ
ての根室標津駅前で野宿したものだ。
根室標津駅は標津線(厚床・標茶~根室標津)の終着駅。しかし、
かつて、そこから北西に延びる鉄道の建設計画があった。大正時代の
ことである。
根北線
釧網本線の斜里(現:知床斜里)駅と根室標津駅を連絡するもので
ある。しかし、その着工は大きく遅れた。ようやく斜里から越川まで
が完成したのが1940年。そして、時代は太平洋戦争に突入。敷設した
レールは供出された。
戦後、地元の熱心な建設促進運動の末、1957年に斜里~越川間が再
着工され開業に至った。着工から既に19年の歳月が流れていた。だが
開業も束の間。1970年に道内における廃線のトップをきることになっ
てしまったのである。越川~根室標津間はついに着工されず、根室と
北見間の連絡の夢は儚く消えてしまったのだ。
その夢自体は消えてしまったが、夢の痕跡となる建造物が現存して
いる。国道 244号線沿いにある第一幾品川橋梁(いわゆる越川橋梁)
だ。
国の登録有形文化財として保存されている
橋梁を真下から見上げる
この橋梁は鉄不足の時代に設計された橋であるが、この上を列車が
走ることはなかった。しかし、現在でも根北線のシンボルとしてその
雄姿を示している。
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