長曽我部盛親とは、この様な人であったのであろうか?
関ヶ原の戦いの少し前に土佐の領主となり、東西どちらに付くか選択を迫られる。
一時は、東軍につこうとしたのにも関わらず、ただ流れに乗って西軍についてしまう。
西軍は敗れ、土佐一国を奪われて牢人となった盛親の生きざま。
>才あって骨細き者じゃ。いわば、鎌倉のむかし、九郎判官義経もそのような者
>であったろう。
と書かれている。そういえば、司馬遼太郎氏は、小説「義経」のなかで、義経の事
を”政治的には痴呆であった”と書いていたと思う。
平凡な気質の盛親が、ただ名門に生まれただけで一軍の将となり、確たる決断が
できず土佐を失い、それでも好人物なゆえにひとに慕わる。
大阪冬の陣・夏の陣に、自分の生き方・死に場所を見つけるよりほかはなかった
のだろうか。
司馬遼太郎氏の歴史小説は、その時何があったかを書いているのではなく、その
時を生きた人たちの考え方・生き方のようなものを書いているようで面白い。
私のお気に入り度:★★★★☆
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