毎年1回はオリックスのオープン戦が開かれる姫路球場。
そのすぐ近く、遊園地や水族館が並ぶ手柄山へ、かつて姫路駅からモノレールが走っていました。
2キロにも満たない短い区間を、たった8年だけ行き来していた、姫路モノレール。それから30年以上経った今も、当時の線路や駅がまだ残っています。
姫路モノレールの出発点だった姫路駅は、すでに商業施設になっており、今では見る影もありません。
ですが、少し歩くと、モノレールの廃線が姿を現します。
姫路駅を出たモノレールは、2階建ての焦点が並ぶ上をずっと通って進んで行きます。
モノレールの建設とともに、その下の店舗群も建てられたのでしょうが、裏通りに面したこれらの店舗からは、正直なところあまり活気が感じられません。
姫路モノレール唯一の中間駅、大将軍駅。
ビルの中をモノレールが突き抜けるという、今の感覚からしても斬新な作りをしています。
大将軍駅の西側を、真下から撮ってみました。
大将軍駅が入るビルは、再開発で建設されたアパート。住宅と交通機関を一気に作ってしまうという、非常に野心的な試みでした。
ただ、大将軍は姫路駅から近すぎました。モノレールを待つより歩いた方が早いため、実際の利用客は非常に少なかったそうです。
さらに角度を変えて。レールの奥に、手すりがあるのが見えますね。かつてのホームとして使われていた跡です。
駅の下はかつてビジネスホテルがあり、ほかにもテナントがありましたが、今では店が1軒入っているのみ。
レールを拡大してみました。コンクリートの上に、鉄道と同じようなレールが乗っています。これが姫路モノレールの最大の特徴でもあり、その運命を決定づけたものでもあります。
姫路モノレールができた当時は、モノレールの歴史が浅く、統一された規格がありませんでした。レールの上にまたがる方式(跨座式)のモノレールでも、さまざまな規格があったのです。
そんな中、姫路モノレールが採用したのが、「ロッキード式」という方式。
航空機で有名なあのロッキード社の子会社が考案した方式で、コンクリートのレールの上に、鉄製のレールを敷き、その上を鉄製の車輪で走行するというものです。
この方式だと高速走行が可能になります。一説には、時速160キロでの運転も夢ではなかったとか。
しかし、鉄のレールに鉄の車輪となると、どうしても騒音が大きくなります。さらに、急な坂を登るのも難しくなります。
そして、ロッキード社はモノレール事業から撤退。現在ではゴムタイヤを用いる規格が確立され、ロッキード式のモノレールは姿を消しました。
大将軍駅を出ると、モノレールは進路を南に変え、手柄山を目指します。
JRの立体交差事業の関係で、廃線の一部は撤去されていますが、橋脚は結構残っています。頑丈につくった分、撤去が難しいようです。
それにしても、モノレールの廃線跡だと知らなければ、これが何なのかは見た目だけでは分かりませんよね。
JRの南側に来ると、手柄山駅の手前まで、レールの跡が長く続いています。
終点の手柄山駅にやってきました。高度成長期に建てたとは思えない、レンガ造りの重厚な駅舎です。
現在は中に入ることができませんし、なかば打ち捨てられたまま、外もすっかりツタに覆われてしまいましたが、それがかえって雰囲気を醸し出しています。
手柄山駅の近くから、姫路駅に向かって延びる廃線の跡。
かつて近未来の交通システムとして華々しくデビューした、姫路モノレール。
しかし、その運命はあまりにも悲惨でした。
バスより高い運賃が敬遠され、モノレールのアピールのためにわざと急な坂やカーブを作ったのが裏目に出て、保守点検にも余分な苦労がかかる羽目に。
さらに、規格争いに敗れた企業の撤退で、晩年は車両の部品すら手に入らなくなりました。
冷静に事業として姫路モノレールを見た場合、「失敗」の二文字が下るのは避けようがありません。
ただ、高度成長の真っただ中、未来は間違いなく伸び栄えていくものだった時代の中で、姫路モノレールは近未来への夢を乗せて走っていたのでしょう。
その夢は無残にも散ってしまいましたが、休止から30年以上、そして来年で廃線から30年になる今も、姫路モノレールのことを記したサイトは少なくありません。
未来に夢を抱くこと自体が叶わぬものとなりつつある今、かつて存在した夢の残照は、まだ輝きを失っていません。
手柄山駅、モノレールの出発口。ここから姫路駅に向けてモノレールが出発していた時代がありました。
この中には、当時の車両が今も残っているそうです。
はかなく終わった夢は、今も消えることなく、この中に眠っています。
そのすぐ近く、遊園地や水族館が並ぶ手柄山へ、かつて姫路駅からモノレールが走っていました。
2キロにも満たない短い区間を、たった8年だけ行き来していた、姫路モノレール。それから30年以上経った今も、当時の線路や駅がまだ残っています。
姫路モノレールの出発点だった姫路駅は、すでに商業施設になっており、今では見る影もありません。
ですが、少し歩くと、モノレールの廃線が姿を現します。
姫路駅を出たモノレールは、2階建ての焦点が並ぶ上をずっと通って進んで行きます。
モノレールの建設とともに、その下の店舗群も建てられたのでしょうが、裏通りに面したこれらの店舗からは、正直なところあまり活気が感じられません。
姫路モノレール唯一の中間駅、大将軍駅。
ビルの中をモノレールが突き抜けるという、今の感覚からしても斬新な作りをしています。
大将軍駅の西側を、真下から撮ってみました。
大将軍駅が入るビルは、再開発で建設されたアパート。住宅と交通機関を一気に作ってしまうという、非常に野心的な試みでした。
ただ、大将軍は姫路駅から近すぎました。モノレールを待つより歩いた方が早いため、実際の利用客は非常に少なかったそうです。
さらに角度を変えて。レールの奥に、手すりがあるのが見えますね。かつてのホームとして使われていた跡です。
駅の下はかつてビジネスホテルがあり、ほかにもテナントがありましたが、今では店が1軒入っているのみ。
レールを拡大してみました。コンクリートの上に、鉄道と同じようなレールが乗っています。これが姫路モノレールの最大の特徴でもあり、その運命を決定づけたものでもあります。
姫路モノレールができた当時は、モノレールの歴史が浅く、統一された規格がありませんでした。レールの上にまたがる方式(跨座式)のモノレールでも、さまざまな規格があったのです。
そんな中、姫路モノレールが採用したのが、「ロッキード式」という方式。
航空機で有名なあのロッキード社の子会社が考案した方式で、コンクリートのレールの上に、鉄製のレールを敷き、その上を鉄製の車輪で走行するというものです。
この方式だと高速走行が可能になります。一説には、時速160キロでの運転も夢ではなかったとか。
しかし、鉄のレールに鉄の車輪となると、どうしても騒音が大きくなります。さらに、急な坂を登るのも難しくなります。
そして、ロッキード社はモノレール事業から撤退。現在ではゴムタイヤを用いる規格が確立され、ロッキード式のモノレールは姿を消しました。
大将軍駅を出ると、モノレールは進路を南に変え、手柄山を目指します。
JRの立体交差事業の関係で、廃線の一部は撤去されていますが、橋脚は結構残っています。頑丈につくった分、撤去が難しいようです。
それにしても、モノレールの廃線跡だと知らなければ、これが何なのかは見た目だけでは分かりませんよね。
JRの南側に来ると、手柄山駅の手前まで、レールの跡が長く続いています。
終点の手柄山駅にやってきました。高度成長期に建てたとは思えない、レンガ造りの重厚な駅舎です。
現在は中に入ることができませんし、なかば打ち捨てられたまま、外もすっかりツタに覆われてしまいましたが、それがかえって雰囲気を醸し出しています。
手柄山駅の近くから、姫路駅に向かって延びる廃線の跡。
かつて近未来の交通システムとして華々しくデビューした、姫路モノレール。
しかし、その運命はあまりにも悲惨でした。
バスより高い運賃が敬遠され、モノレールのアピールのためにわざと急な坂やカーブを作ったのが裏目に出て、保守点検にも余分な苦労がかかる羽目に。
さらに、規格争いに敗れた企業の撤退で、晩年は車両の部品すら手に入らなくなりました。
冷静に事業として姫路モノレールを見た場合、「失敗」の二文字が下るのは避けようがありません。
ただ、高度成長の真っただ中、未来は間違いなく伸び栄えていくものだった時代の中で、姫路モノレールは近未来への夢を乗せて走っていたのでしょう。
その夢は無残にも散ってしまいましたが、休止から30年以上、そして来年で廃線から30年になる今も、姫路モノレールのことを記したサイトは少なくありません。
未来に夢を抱くこと自体が叶わぬものとなりつつある今、かつて存在した夢の残照は、まだ輝きを失っていません。
手柄山駅、モノレールの出発口。ここから姫路駅に向けてモノレールが出発していた時代がありました。
この中には、当時の車両が今も残っているそうです。
はかなく終わった夢は、今も消えることなく、この中に眠っています。
手柄山駅、公開してくれるんですね。これは楽しみです。
その頃には、水族館もリニューアルされていることも期待したいところです。
手柄駅は、一般公開されます。
播磨の子どもたちのためにも、ぜひとも復活してほしいのですが……
考えてみると、これほど寂しいものもないんですよね。
そもそも、廃墟や遺構にするために、モノを建てる人はいないですし。
考え出すと止まりませんが、せめて往時を偲ばせるものが残っていけば、
とは思いますね。
Wikiの解説を読んで、なるほどなぁと思いました。
それでも、最後は車両の致命的な不具合が出たわけですが……
>姫路おでん
ウェブではよく見かけるんですけど、実際姫路に行ってみると、
案内や宣伝らしいものがないんですよね。
現地でもアピールしておかないと、意味がないような気もするんですが。
駅前におでんの銅像を建てろとは言いませんけどね(笑)
狙いとしては、悪くないんですよね。
ただ、モノレールに乗るより歩いた方が早かった、ってのがトホホですが(苦笑)
>ルスツリゾート
鉄道法に則った営業路線なら、乗りに行かないといけないんですけどね。
って、いけないってことはないんですけど、気分として[;;0J0]
>無料
市営だったんで、正当な理由があれば運賃を抑えられたとは思うんですよね。
とはいえ、最後は車両の部品に事欠いて、定時運行すらできなかったそうで、
そういう面でも、命運は尽きていたのかも知れません。
結局は、そういうことなんですよね。
関心のない人にとっては、ただただ厄介な代物なんでしょうなぁ(苦笑)
とはいえ、保存する分には問題ないと思うんで、
手柄山駅と中の車両ぐらいは、なんとかしてもらえれば嬉しいですね。
大将軍駅は、たぶんビルの建て替えで取り壊されそうな(涙
一度狂った歯車を立て直すことが、どれほど難しいかを思い知らされました。
大阪の新今宮駅近くには、戦前からあった鋼管製造の会社の跡地があります。
それと、新しく立っている大型家具店の対比が、何とも寂しくて。
そうだあれも数年前まで残っていました。
確かに橋脚は一見立派に見えるけれど、長年放置されてきたことで、痛んでいるでしょうね、普通に使っているものでも何年かたつと補修が必要ですから。
ところで姫路は最近「姫路おでん」で町おこしをしていると聞いています。
大将軍駅の構造!大胆すぎる!!w
北海道にも、一応モノレールはありますよ。知ってますか?
ま、ルスツリゾート内の移動用なんですけど^^;
たしか、遊園地とかがあるところから国道230号をもぐり(越え?)、温泉などもあるルスツタワーへ行けたはずです。
たしか、無料で乗れたはずです。
姫路モノレールも無料にすればお客がたくさん乗るのに・・・
って、んなことしたら会社即倒産^^;^^;^^;
JRの高架化で橋脚の多くはルートとして使えなくなってるし、「解体するには丈夫すぎるけど、再利用するには古すぎ」なんですよね。
長いこと放置されていたので、交通機関としての信頼性を確保するにはかなりの補修が必要なはずです。
さらにすでに失われた技術のロッキード式車両/レールは使えません。
これを復活させるくらいなら、現行式モノレールに置き換えた方がずっと安上がりでしょう。
ポートライナーのような新交通システムならもっと安くなるけど、あの細い橋脚では無理だろうからほとんど全部新規で作ることになってしまう。
結局、残っているものは立派だからなんとかなりそうな気がしてくるけど、現実に再利用できるものはほとんどないってことで。
(JR高架化で大将軍駅への接続は不可能なので、使えるのは手柄山駅舎とその周辺の橋脚くらい)
今では消失してしまったロッキード式ってのが、どうしてもねぇ……
ただ、手柄山駅や車両の公開計画はあるそうで、ぜひとも実現させてほしいです。
姫路は兵庫県西部の要となる街ではあるんですが、
それがゆえに、いろいろなことを試みては失敗している感はありますね。
ただ、箱モノでダメなら、ソフトでアピールすればいいわけで。
幸い、駅そばや姫路駅地下の明石焼風たこ焼き、さらには姫路風おでんなど、
マニア心をくすぐるB級グルメには事欠かないので、
この辺りを大々的に売り出してみればいいんじゃないかと思いますね。
HSSTになるという話が浮上した時は、私も期待しましたもの。
ただ、確かに「栄華」と言われると、疑問はありますけどね。
むしろ、未来とは何の疑いもなく明るいものだった時代に咲いた、
いわば仇花のようなものだったのかも知れません。
だからこそ、こんな花を咲かせることができた時代への憧憬とともに、
今のこの時代を生きるわたしたちに訴えるものがあるのだろう、
とは思いますねぇ。
姫路という街は、天下の姫路城を中心に、播州地方の中心地としての役割を担う中核都市ではあるものの、地方都市にありがちの保守的な感じがして、行政も市としての発展を考えているのかわからない部分(空港計画→一応凍結状態/姫路城直ソバの商業施設開発事業→空きテナントが目立ったまま/JR姫路駅高架化に伴う跡地再開発事業→特に目立った効果なし)と、一応近隣の市民ではありますが、裏目裏目に出ている印象があり、個人的にはあまり重要な街とは捉えていません
もう少し都市計画綿密に練れば良さそうなものなのになぁ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%B7%9A
こっちはホント、名前まで夢の国なんですが、たった一年で廃止になったといういわくつき。
でも数年前まで橋脚があちこちに残っていました。
でも橋脚は見たことあってもモノレール本体
を見たことのない人のほうが多かったでしょうね。
こう短期間過ぎるとこのモノレールを取り上げているHPの中には例によっての「高度成長期郷愁?」から「過去の栄華」なんて銘打っていたりするけれど、果たして栄華のうちに入るのかなあ、という気もします。
>未来に夢を抱くこと自体
ポストバブル世代にありがちな思考だけれど、
今回の金融危機がそういった志向からの一つの転換点になればと思っています。この約15年、いや、遥か前から内需拡大を叫びながら、やってきたこと(中国、東南アジア等に工場移す、輸出企業のために円安シフトなど)はその逆で地域経済を疲弊させるだけでしたからね。