にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔青森・鉄道残日録〕(4)十和田観光電鉄乗車記録

2012-02-07 22:23:32 | さすらいブロガー旅情編
 暇潰しのネタもつき、さすがに手持ち無沙汰になってきたところで、十和田市行の改札がようやく始まった。福島でも青森でも見た、元東急の電車である。



 2両編成の電車には、新たな年を記念したヘッドマークが取り付けられていた。最後となる、新年のヘッドマークである。
 十和田観光電鉄は、三沢と十和田市の間を結ぶ1路線のみの電車である。「十和田観光」とは名乗るものの、十和田湖に通じているわけではなく、地元の足としての性格が強いと思われる。
 多分に漏れず、この路線も長年乗客の減少に苦しんできた。それに追い討ちをかけたのが、東北新幹線の七戸十和田駅開業。在来線から人の流れが離れることで、乗客はさらに減っていった。
 さらに大震災で関連事業も減収、もはや鉄道線の赤字を支える余裕はなくなっていた。電車の本数が極端に減っていたのは、十分な本数を走らせられなくなっていたからだったのだ。
 窮地に陥った電鉄側は、地元自治体に支援を要請したものの不発に終わる。そして十和田市駅が入居する駅ビルから撤退を求められたことで、ついに廃線の方針が決まったのだった。

 電車は地元の人々と、私の同業と思しき一団を乗せて発車した。三沢から最初の大曲までは距離があったが、あとは小さな駅が互いに離れあうことなく並んでいて、その間をスピードを上げることなく電車は走っていく。
 駅の名前を見ると、「三農校前」一つ離れて「北里大学前」「工業高校前」と学校が目立つ。さらにその次は「ひがしの団地」。
 これなら通学客も通勤客も見込めそうなものなのに……いや、もはや詮無いことだ。ひがし野団地を出た電車は、ほどなく終点の十和田市に着いた。
 十和田市はホーム1本だけの駅。そのホームから件の駅ビルまで陸橋が延びている。階段を上って陸橋を渡り、駅ビルに着いてみると……



 駅から一歩離れると、そこは、すべて、閉店した跡だけ。駅を利用する人がなければ、この建物に用のある人はまずいまい。すでに廃墟となっておかしくない代物である。
 これまでもいくつかの地方都市で、スーパーやショッピングセンターが撤退した跡は見てきた。しかし、それらではわずかなりともテナントが残って、わびしいなりに営業はしていたのだ。
 しかし、ここは駅以外すべて閉店状態である。手洗いを借りるついでに見渡してみたが、まったく生気を失っている。幽霊屋敷に迷い込んだような薄ら寒さすら感じてきた。



 駅の待合スペースに戻る。人の気配があることに安堵を覚える。とはいえ、定期券販売終了の貼り紙が、その駅の命すらあと僅かしかないことを宣告している。



 ようやく改札が始まった。とにかくホームに行かなくては。ホームに降りて太陽の光を浴び、生きた世界に戻った気分を味わった。



 十和田市から先の留置線に電車が止まっていた。土曜・祝日は朝だけ2本の電車が行き交うが、後は1本だけが行ったり来たり。もう1本の電車は、その日はお役御免となる。



 こちらは一日中動いている電車。当然ながら先ほど三沢から乗ってきたのもこちらである。これから三沢に引き返すのもこの電車である。もっとも、一日中と言っても夜9時過ぎには営業運転を終えるのだが。



 十和田市を出た電車は、行きと同じように走っては止まり、走っては止まり。その途中の七百駅で、車庫を通りがかった。行きしなには撮影ができなかったので、荷物を妻に任せるや、カメラを持って一番前に移動。
 一番手前にあるのは屋根なしの貨車、その奥の緑色は元東急の電車だが、こちらは鋼鉄製である。



 さらに向こうに止まっているいるのは他の私鉄の中古ではなく、十和田観光電鉄のオリジナルの電車だ。地方の決して大きくない私鉄で、自社発注の電車が残っているのは珍しい方に入る。



 逆方向から撮影。電気機関車以下、先ほどの車両が並ぶ。これらはすべて第一線を退いた保存車だが、鉄道がなくなったあとどうなるのかは分からない。



 当然であるが、七百駅では現役の電車も休んでいる。ここで降りて撮影したい気もあったが、この後青森まで向かう必要もあるし、何よりこの気温で1時間20分も外に出るのは、さすがに不安である。



 そんなわけで、ここはおとなしく乗り通す。ここにいる電車たちが、廃線後も長くその姿をとどめることを祈りつつ……



 七百から10分ほどで、電車は三沢駅に着いた。改札を見上げると、「またどうぞ」の一言。
 しかし、その「また」は、もうない。



 十和田観光電鉄の三沢駅ともこれでお別れである。接続が悪いせいで、名残を惜しむ時間はたっぷりある。駅の中にあった、これまた時代の流れから外れた雰囲気のそば屋に入った。



 そば屋なのに10円の駄菓子。学生の利用客が多いのだろう。



 そばで一息。ようやく人心地付いて、十和田観光電鉄を後にした。

 十和田観光電鉄線は3月31日で営業運転を終了、4月1日からは運転を休止する。そして再開することなく、翌年に廃止となることが決まっている。

【参考記事】
■ 青森の十和田観光電鉄、廃線へ 新幹線開業で乗客減
(朝日・2011年10月7日)

■ 十和田観光電鉄:運輸局に廃止届 3月31日に営業終了 /青森(毎日・2012年1月25日)
■ 十鉄の路線バス、鉄道運行本数削減の背景(デーリー東北・2011年05月16日)


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