リューブログ

自然とは

熊の続きではないけども、自然との共生について考えてたことを。

バスの雑誌にも自然を大切にしよう、昔に帰ろうと書いてあったりするが、
書いてる本人はバスボートで霞ヶ浦を自足100キロでぶっ飛ばしてる。
加藤登紀子も昔の生活に帰れば原発も要りませんと、電気を使って
テレビに出てコンサートをする。

自然は人が居なくても機能するし、おおよそ人がどうこうできるものではないと
思う。もし自然を守りたいのなら人が立ち退けば長い年月をかけて自然は
勝手に元に戻るだろう。

人は罪深い。業が深いともいえる。人一人ではそうは思わないけども人類は
生態系のトップだ。そして数が多く、生きていくに必要最低限以上の
資源使う。それは業だ。そして欲は限りなく際限ない。しかし、資源は限られ
自然も有限である。
この辺はマンガの「美味しんぼ」のクジラ編がわかりやすく共感を得るのだけども、
但し作者は極端な反米左翼なのでその辺は相容れないが、業が深いからこそ
その様に生きていくしかないい。残念ながら、今後電気のない生活は誰も
受け入れられないだろう。ならば電気を使いながらも、自然に配慮しながら
生きていくしかないのである。
もし自然を食いつくしたら、それは生態系を維持できない人という生物の役割の
終焉ではないか?科学でその限界をさらに伸ばせるかどうかはわからないし、
それが自然と言えるかどうかはわからない。

自然に帰る、昔に戻るなどは確かにわかりやすいし言うのも簡単な言葉だ。
しかし誰が江戸時代の生活を今この日本でやっているだろうか?

熊を殺すのも確かに可哀そうだ。しかしこれから先人を襲うかもしれない。
それが自然だとどれだけの人が受け入れられるだろうか?テレビの向こう側なら
好きなだけ言えるだろう。熊を目の前にして言えるだろうか?
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