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リューブログ

「コンテナ物語」を読んでみた

ひろゆきと岡田斗司夫の2人が面白いというので読んでみた。

1900年代初頭からコンテナが普及していく様をアメリカを中心に歴史的観点から考証していて、とてもおもしろかった。

現代では普通に世界基準で普及しているコンテナだが、その生い立ちからいかに世界基準までになったのか、意外と知らないことである。更にそのコンテナが世界経済を大きく変える一因となったとは誰が想像しただろう。

そもそもコンテナ導入以前は沖中仕と言われる港湾労働者が、まさにマンパワーで荷物を一つずつ手運びしていたのだ。

これでは船が港に着いても荷下ろしに数日、積み込みに数日かかってしまう。労働者の人数も必要なことからコストも莫大になり、積み下ろしだけで運賃コスト全体の6割以上を占めてしまっていた。

さらに荷物の盗難も日常茶飯事で、時計や酒など小さな物は特に盗難された。それは他ならぬ沖中仕達によるものだったのだが、、、。

これがコンテナになれば、船の停泊期間も短くなり、労働者の人数も少なく、コンテナは船から降ろせばトラックにすぐに積載して走り出せる。今まで港の近くにあった工場は内陸にあっても良くなった。

さらにコンテナは輸送コストを劇的に下げ、同時に工場が国内に置く必要が無くなった。部品は賃金の安い海外で作って送られることから、製品自体を海外製品に移行させ。国内の産業は輸出をいやがうえにも意識しなければならないようになった。そうでなければ安い輸入品に負けてしまうからだ。

ところが、黎明期においては紆余曲折があり、中でも輸送コストの多くを占める沖中仕、その労働組合とのやり取りには10年ではきかない時間が必要となった。沖中仕達にとっては自分の仕事を取らる、失業の危機なのだから当然だ。

当時のアメリカの沖中仕は親子で同じ沖中仕は珍しくなく、親戚一同沖中仕なんてこともあり、横のつながりが大変強く力仕事故の粗っぽさも加わりギャングの語源になったぐらいだから、推して知るべきだろう。

現代でも港関係はガラが悪いとも聞いたりするが、その名残だろうか?

しかし、時代の流れには勝てずコンテナ化は確実に進んで現代のようになったのは言うまでもない。

歴史的な動向やコンテナ化を進めた功労者のマルコム・マクリーンもそれに反対した沖中仕や行政府の動きなどなど、コンテナ一つでこんなにも大きく変わるものかと非常に面白かった。

一読をお勧めしたい本だ。全550ページになる大書だが、大丈夫、後半150ページぐらいは注釈ばかりなので読まなくても何とかなる。


今書を読んだ後に考えるに、現代のAIは実はコンテナに当てはまるのではないか。

コンテナに限らず、人力で行ってきた仕事を機械化し生産効率を上げてきたのは周知の事実だが、今後はAIの活用又は進出によって感情労働や頭脳労働においても労働者の席が脅かされることになっているのではないだろうか。

そうなった時に人は労働から解放されて怠惰な生活手に入れるのか?ディストピア的な世界が待っているのだろうか?

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