いろいろと各メーカーについても書きたいのですが、ますは一番衝撃だったハーレーダビッドソンについて。
例年よりもブースも狭くなっているし、車両も少ない気がする。人気はあるようだが、BMW、ドカティに比べると人も少ない気がする。
そんなハーレーの問題?の新作がストリート750だ。
水冷2気筒、750cc、価格も90万ほどと今までのハーレーにはない新しいモデルだ。車重も軽く、車体も小さくシート高も低く扱いやすそうだ。
が、それがハーレーだろうか?
この安っぽさ。価格を考えると仕方のないことかもしれない。が製造国はインドだ。
https://youtu.be/kClcbj6y85c
この動画を見ると、このストリート750が今までのハーレーとは全く違うとわかるのではないだろうか?これなら国産のアメリカンで十分だ。がっかり以外の何物でもない。
ハーレーという名前だけで買うと大いに後悔するだろう。
自分自身はハーレーというバイクは嫌いでは決してない。アメリカらしくかっこいいと思う。ダガースタイルなんかもすばらしい。自分では乗らないとは思うけどね。
そんな自分からしてもこのストリート750はハーレーの将来を心配させるようなモデル気がしてしょうがない。
「何乗ってるの?」と聞かれて「ハーレー」と答える分にはいいだろうが、見せるには躊躇したくなるモデルだ。
ビッグツインに横に並ばれた日にゃ、尻尾撒いて逃げるしかないだろう。
排気量のヒエラルキーというのはバイクは車以上にあると思うが、ハーレーはその最たるものだと思う。結局ハーレーはエンジン音を意味することであり、そのエンジン音は排気量に応じて、エンジンの効率化に背を向けることで存在意義を発揮するものだからだ。
ところがストリート750はアクセルに対してドコドコとは唸らずヒュンヒュンと鳴く。ハーレーがハーレー足らしめている一つを自ら放棄したのはマーケティングの結果だと言うが、マーケティンで左右される程度のアイデンティティというのならその程度の物だろう。
あるいはハーレー自身がハーレーらしくない新作をあたかもこれからのハーレーを象徴するように見せかけ、その実、今までのトラディッショナルなビッグツインや883をこれまで以上に価値あるものとしての噛ませ犬的存在としてのストリート750というのなら、その存在意義も理解できないこともない。実にアメリカらしいイメージだけの販売戦略として納得できる。
しかし現実には日本でも導入されており、大型バイク初心者やリターンライダーがハーレーというブランドと価格の安さから買った場合、本人の好みや意思に関係なく否定されたり時には嘲笑の的になるのではないかと心配で仕方ない。実用性が少なく趣味性が高い物ほどその傾向が強く、価格の高い物、イメージのより良い物が好まれ正義となるのが趣味の世界だ。スーパーカブは実用車としては素晴らしいが趣味の対象として素人にも認められるかというと、それは微妙だ。
ハーレーは増えすぎた。
日本での大型バイクで1番売れているのがハーレーではないか?そこそこのモデルを買うのに200万以上するのにだ。しかも車重は300キロを超え取扱いしにくいことこの上ない。さりとて速さは言うに及ばず、まさにアメリカ文化の象徴とハーレーに乗るというイメージでしかない。それはハーレー自身が「ハーレーというライフを買うのだ」というところに語るに落ちるという奴だ。
オーナーは決まってレザーとデニムを好み、すぎちゃんの様に袖を切りひげを生やし髑髏を身に着ける、と言えば言いすぎか?しかしそんなイメージで片付けられるほどオーナーはコスプレの様に似た格好をする。そして爆音。
ハーレーというバイクはかっこいいのもあるし速いだけが性能のすべてではないと教えてくれるし、ディスカバリーチャンネル等の番組に出てくるハーレーはかっこいい。しかしみんなが同じスタイルで乗っているわけではない。日本人もそこに気が付くべきだ。フルフェイスで乗ってもいんだぜ。
随分と長くなってしまったが、それほどに強烈なハーレーの新作でした。
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