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聖性について―真子様の結婚問題の行方を見て思うこと―

2021-10-03 22:59:09 | 日記

前回の更新から一週間が経ちました。10月に入ると一段と日が短く、朝晩が寒くなってまいりましたね。伊那市のチャイムも6時から5時になり、夕方が一時間早くなったことで、夜が少しだけ長く感じます。

 

さて、秋篠宮真子様(漢字の新旧はご容赦ください)のご結婚問題を見て思うのは、「皇室の聖性(換言すれば「尊敬できる、尊崇に値する理由」)とは何か?」ということです。真子様のご結婚については、一個人に対しては「おめでとうございます」なのですが、皇室に対しては「存続の危機、大丈夫なのか?」ということです。(天皇陛下およびそのご親戚の「人間」のことを「皇族」、その「人間」方を支える「システム全体」のことを「皇室」と呼ぶことにします。)

仏事をお勤めさせていただいていて、いつもありがたく思うのは、一時間余りの読経で、世間の労働者の感覚よりもはるかに多くのお布施を頂けること。それは経済的に見れば付加価値を付けているからなのですが、その付加価値とは「僧侶の聖性」にあると考えています。そして、「僧侶の聖性」の源は、「修行による功徳」であると。師匠からも、「修行に行っていない人には法要は任せられない」と言われております。(※教理的には、「仏法のための仏法」であり、無所得なので、修行の結果としては自らに功徳は何も残らないのですが、修行を経ると「功徳を積んだ」と思っていただけるのはありがたいことです。)

上記のような事情もあり、「聖性」について考えることが多いのですが、僧侶のみならず、世間で所謂聖職者と呼ばれている職業(例えば教師や政治家、あるいはアイドルなども)にはそれぞれの「聖性」があると思います。その「聖性」ゆえに、世間からは尊敬され、或いは時に制約も多く存在します。

 

では、皇室の聖性とは何でしょうか。もちろん、万世一系の血統をお持ちになっていらっしゃるだけでも立派な「聖性」たりえるのですが、やはりそれだけでは十分ではないと思います。例えば、「現人神」あるいは「神の子である」とする聖性を付加することこそ、長い神話やあるいは秘伝の神事が作られた目的ではないでしょうか。しかし、戦後「天皇人間宣言」などにより、その聖性は薄れてしまいました。このような中で、平成天皇(現上皇陛下)が30年余に亘り模索され、現天皇陛下に引き継がれてきた天皇(あるいは皇族)の聖性こそ、「「私」より「公」を優先するというその生き方」ではなかったでしょうか。上皇陛下はストイックなほどに多くの公務をこなされ、国民を励まし続けてこられたと聞いています。

今回の真子様のご結婚は「「公」より「私」を優先した」(不敬ながら言葉を厳しくすれば「わがままな」)ものではなかったでしょうか。何が「公」と考えるかにもよりますが、納采の儀が執り行われないことも、このご結婚が「公ではない」ことを示しています。このような「皇族の生き方」の変化は私の中では「皇室の聖性を脅かす」ものであり、またそのような生き方をしようとする皇族方に、誰も諫言できないそのシステムの衰退には、皇室への尊敬の念が揺らいでいることも事実です。

 

私一人ごときの皇室への忠誠が揺らいだところで、何も影響がないでしょうし、これからも皇室システムは存続していくと思われますが、上皇陛下が30年余かけて模索し築き上げてきた「皇室の聖性」が、このご結婚の一件によりあっという間に瓦解してしまったことを思うと、失望の念がこみ上げてきます。

長くなりましたが、たまには政治の話題も書かせていただきました。この憂いを他人事にせず、いかに自分に還していくか、日日精進です。