北海道標津町に行きました。
訪問した日は天気が良く、国後島が見えました。
夏休みということで、暑さから逃れるため家族で北海道へ。
宿泊は阿寒湖で、車で色々行きましたが
標津町行ったときのことを書きます。
標津町は、北方領土の国後島の目の前の町です。
こんな感じです。
訪問した日は天気が良く、国後島が見えました。
北方領土館という施設の望遠鏡だと、
国後島の木々まではっきり見えます。
距離にすると、たった24キロですが行くことは事実上できません。
※ロシアビザを取得しての渡航は、ロシア支配に服する行為として
日本政府によって自粛が求められています。
終戦記念日すぎましたが北方領土占領経緯をおさらい。
北方領土占領はソ連赤軍が昭和20年8月18日に、千島列島最北端の占守島に
攻撃を開始したことから始まります。
この地域を守備していたのは、日本陸軍第5方面軍第91師団。
第5方面軍司令官は樋口季一郎中将。
現地部隊より国籍不明軍の上陸の報を受け、
すぐに正体がソ連赤軍であることと、その目的が北海道侵攻であること
を察知し「断固反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」と命令を下します。
現地部隊は、武装解除中でしたが直ちに戦闘準備を整え反撃を開始。
日本軍は善戦し、ソ連赤軍の南下を阻みました。
特に、戦車第11聯隊の奮戦が有名です。聯隊長は池田末男大佐。
ソ連赤軍は、この占守島での戦いで苦戦したことから
国後島までの占領で終わりました。
占守島での戦いに敗北していたら、北海道の少なくとも北半分はソ連に
奪われていた可能性が高いです。
私のようなオタクは知ってますが、占守島の戦いを知らない
日本人多いと思います。
北方領土館にも、関連の展示がありませんでした。
この歴史は多くの日本人に知ってほしいなあと思います。
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