岡村屋本舗地下1F通路(年中不定休) 和太鼓奏者岡村柳侍の活動や、月兎園の事だったり、その他諸々。

和太鼓奏者 岡村柳侍の活動。群馬県榛東村にある多目的スタジオ付きの施設「月兎園」の情報や全く関係ない事など

回顧録その2(月兎園の原点)

2017年08月14日 00時18分50秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その1

えーと、前回は群馬に引っ越しした経緯から。
今回は月兎園の原点になるアイデアの出所の話をひとつ…

群馬に引っ越ししたときは5〜6歳の時だったかな⁇
何せあの時の記憶がそんなにハッキリしてないけど…国分寺の某団地で、ワーワーはしゃいでいたあの場所から急転、家族3人沼田駅の改札降りて見渡した景色のギャップに子供ながらに違和感を覚えた所からがこの群馬での生活のスタート。
それからバスに揺られて老神温泉まで。

老神温泉の最初の印象は…
ハァッ⁉︎Σ(゚д゚lll)
何、この山々と人の居なさは⁉︎(笑)

東京とのギャップに慣れる事なく既に住む場所と、母親が働くホテルも決まっていて、保育園通いが始まりました。
親父も入退院と体調は安定してませんでしたが、こちらで生活する事に。
既にグループは解散して、親父はホテルのラウンジで歌ったり、ピアノ弾いていたり、自宅ではエレクトーンのレッスンを始めたりしていました。

そう、ここから‼︎
月兎園の原点になるアイデアが出て来たのが…

話の起点はどこからだったか、ただ母親のおろむろに出した、親父に向かっての「もうあんたも第2の人生を考えなさいよ」と発したのが原点。
既に親父は30後半、そして一回大病によって一線を引いてしまった為、音楽で生計を立てる選択肢がかなり狭まっていました。

そこで母親が出したアイデアが、「民宿でもやりながら音楽やればいいじゃない」←原文ママ

…ハァッ⁈( ゚д゚)←今の俺ならこうなるね(笑)

まあ関わった方々はご存知かと思いますが、うちの母親かなりの変わり者で、ただアイデアと実行力がハンパ無い!方でして(笑)
ただあの当時親父が生きていた時にはそれを感じる事なく、程なくして親父は都内の病院に再入院、で、親父は東京の実家に戻ったのですが、そこで亡くなりました。

3月3日、38歳没
21日には39歳の誕生日。
そして来月は小学校の入学式でした。

入学式で木の苗を貰ったのですが、入学式後その足で木の苗を植えに行った所が、密かに母親が購入していた100坪の土地。
ここに将来民宿を建てようと話して帰ったのを覚えています。

つづく。

東京やんちゃ時代


兄貴と


群馬引っ越しして最初の家。
唯一親父と群馬で過ごした家でした。


岡村屋本舗
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