堺 街角 ミュージアム ブログ(BLog)

堺の風景写真、堺の観光地、堺 面白い興味深い写真を掲載。日常生活の中の写真ギャラリー。

堺 街角 ミュージアム/緑のある街/緑ある通/堺市 櫛屋町東

2005-05-28 | 堺 街角 ミュージアム/緑のある街 堺
綺麗に季節の花が植えられた 通 この道は 俗称 大和高田線 奈良の大和高田まで向う古くからの街道沿いの道 
左手は 殿馬場中学校(殿様の 馬場があったところにできた中学校 由緒ある名前 ただ 俗称はババ中) 向かいは 与謝野晶子の出身校 泉陽高校  
その通沿いに アドプトロードがある。
沿道の住民や団体が前の道の清掃 緑の管理を行う制度だ。
泉北でも盛んに行われている。
アドプトロードのあるところは、町並みが綺麗で清潔である。
草木の植栽は住民との協議で希望が言える。管轄は大阪府の鳳土木 
けれども 合併で管理は堺に移る予定。 堺のアドプトロードは清掃のみ 自分たちの植栽に関する意見は通らない。 清掃の下請けのみ行う変な制度。

合併で後退するだろうか。 この綺麗なアドプトロードが なくなる日は近いかも?

アドプトロード 殿馬場


堺 街角 ミュージアム/歴史探訪/糸割符会所跡/堺市 櫛屋町東3-1

2005-05-28 | 堺 歴史探訪/堺の寺院・仏閣・史跡
糸割符会所跡
江戸時代 生糸は 貴重な輸入品であった。
その取り扱いを許されたのは、江戸・長崎・京、大阪、そして堺の商人であった。
しかもその取扱量は堺商人が最も多かった時代がある。
ちなみに 大阪で 堺筋は 豊臣秀吉によって堺商人が住まわされたことによって、生まれた地名である。
地方都市においても 堺 という名の地名があれば、この堺商人がかかわっているといってもいいだろう。
堺市櫛屋町東3-1
糸割符会所跡

堺 街角 ミュージアム/歴史探訪 /晴明辻/堺市熊野町東1

2005-05-28 | 堺 歴史探訪/堺の寺院・仏閣・史跡
堺のメインロード 大小路シンボルロードと阪堺線が走る大道筋が交わるところ
そこに晴明辻がある。 この名前の由来は 平安時代 安部晴明 が占い書きを埋めた場所とされ占い辻 晴明辻と呼ばれ ここで占いをすれば必ず当たったといわれる。

大道筋は 紀州街道となっており、昔の紀州に向う幹線であった。
紀州に向う途中に あの有名な 葉稲荷神社(くずのはいなり)がある。
・・・清少納言が「枕草子」で「もりはしのたのもり。」と称えた信太の森の鎮守。
 竹田出雲作江戸時代中期の浄瑠璃「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」に取り上げられた「葛の葉」伝説所縁の地。安倍保名と狐の化身、葛の葉姫との悲恋の舞台である。

(平安時代の実在の陰陽師安倍晴明(おんみょうしあべのせいめい)は安倍保名(あべのやすな)と葛の葉姫との間に出来た子と作り話になっているが、実際は晴明が号で保名は名前の同一人物である。) そんなわけで あの陰陽師 安部晴明は この地を通って信太の森の葛の葉稲荷に向ったのだろう。

その折 、安部晴明は、どんな想いでこの地に立ち寄ったのだろう。
この石碑の前しばし立ち止まり 古のロマンに思いは駆け巡る。
晴明辻