17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

5 手術、入院手続き

2025-03-07 12:15:23 | 日記
「3 慢性硬膜下血腫」からの続き

医師から手術についての説明を受ける。後頭部に5円玉(の穴? 5ミリの聞き間違いか?)ぐらいの穴をあけ、そこから管を通して、溜まっている血をはき出すという。この手術事態は極簡単なもので、外科の手術でいえば、盲腸並とのこと。それを聞いたこともあってか、私の中では、ばあちゃんの死というのは全くなくなっていった。

しかし、本人が高齢であることを考えると、いろいろな2次障害も考えられる。若い人なら、すぐにでも血を抜いてできた空間に脳がもどってくるが、高齢者の場合はなかなかもどりにくく、そのまま空洞としてのこってしまうこともある。また、一度、血を抜いても再出血の可能性もある。画面の左側の一部まで、血がたまっているようで、そこも抜き取れなかったら、その近くにも穴をあけなければならいかもしれない。その他、なんらかの後遺症がのこる恐れ、特に高齢者ということで、手術にはもしかしたらの危険が伴うのはやを得ないとのこと。

同意する。

手術は、今日、手術室があき次第した方がいいとのこと。その場で同意書に私が署名した。じいさん(父親)に相談してからの方がいいかと一瞬よぎったが、いまさらどうしようもないと思い電話はしなかった。

また、ばあちゃん(母親)のところに戻り、しばらくすると、看護師が2人来て、これから上に行くと言う。

その時、1人が緊急外来の看護士に、・・はあるかと聞いたのに、何故かはっきり答えなかた。それをもう1人の年配の看護士が、ばあちゃんが点滴の管を触っているのを見て、「完璧にあるよ。完璧だよ。完璧だよ。」と何回も言う。私はその言い方に不愉快を感じた。その言葉は、専門用語らしかったが、痴呆を意味しているのだろう。はじめに聞いた看護士はそのことに全くかまうことなく作業をしていた。どうも、その人は正規の看護婦で、「完璧だ」と言っていた人は、看護師ではないのかもしれない。

(この時は、病院内で医師以外で患者に応対している人はみんな看護師だと思っていた。色は違うが同じような制服を着ている。後にわかってくるのだが、看護師の補助や患者の面倒みている人たち、その他、たくさんの人が働いている)

救急外来をベットごと出て、すぐそばの大型のエレベーターの乗る。中は広いが、ベットごと入ると人がいる場所がかなり狭く感じた。ガシャンというドアの閉まる音はしなかったと思うが、いかにも機械の中にいる感じだ。

着いたところは、4階の脳神経外科で、これから手術の処置をするから、ナースステーションのそばのロビーで待っていてくれと言う。そこで担当の看護師がいろいろ入院についての説明をしてくれた。その人の名前は〇✕さんだった。

頭は剃って丸坊主にするが、いいか・・・同意する。痴呆(実際には、やはり専門用語らしい言葉を使っていた)があるようなので、術後、チューブなどを抜いてしまわないように両手にベルトのようなものをつけて固定してもよいか・・・同意する。また、今日までのばあちゃんの状態について、生年月日、体重、身長、家族構成、病歴、食事の状態など、いきなり聞かれる。ほとんどよくわからない。(これから、いつ聞かれてもいいように、紙に一覧にして何かあった時に持って出るようにした。)

兄の住所まで聞かれたが、携帯では電話番号しかわからず、何処に住んでいるのか、なかなか自治体名が出てこなかった(笑い)。このころ、この病院は保証人が2人必要だった。

いろいろ初めてのことで、戸惑っている私を見て、看護師さんが「初めてだと、わからないことが多くて大変ですよね。」と気づかってくれた。

何時から何時までそこにいたのか、随分とまたされた思う。じいさんに電話しなければと思い、携帯をとりだすが、病院内では携帯電話は使用禁止とどこか病院のパンフレットに書いてあったので、そのすぐ近くにある公衆電話に目を向ける。だが、ちょっと呆けかかったようなおばさんがその前に陣取っていて、電話のところに行きにくい。そう言えば、さっきから年寄りといわず、若者といわず、ちょっと普通じゃない人たちがうろうろしている。その人たちを相手にしている制服をきた人たちの対応も、普通に話が通じる人たちとのそれではない。(この表現は不適切だが)

ここが、脳の障害を扱っているところなのだと実感する。

ばあちゃんを担当する看護師は、さっきの〇✕さんともう1人。病院内で着る物は、始めは病院で貸し出すものを使ってもらうが、手術が終わった次の日から、自分で自宅で使っているものを持ってきて、それを着た方がいいと言う。それと、履物は、リハビリをするのに都合がいいので、スリッパより、学校ではくような紐のない上履きがいいので、それを持ってくるようにと(これはすぐに下の売店で買った。わからないので、なんでも初めは買ってしまう)。

この病院、この地域の救急病院で、他にないので、救急車で運ばれたら大概ここに来る。それで、うちでは、じいさん、ばあちゃんで、10回はお世話になった。それで不思議なのだが、はじめ、入院の説明とか手続きとかの対応をしてくれる看護師さんがいるんだが、この人たちにその後、一度も会ったことがない。

実際には、ウサギさんチームだか、ネコさんチームとかがあって、そのチームの看護師さんが交代で面倒見を見てくれる。

もっと不思議なのが、17年間、何回も入院しているのに、担当してくれた看護師さんにその後会ったことがほどんどない。

3時半ごろから手術が始まるという。そのまま、ナースステーションの前で待っていた。

(この間の記録なし。何してたんだか?)

5時半終了。窓から見る景色はすでに薄暗い。

面会。看護師さんについていくと、どこの部屋だったのか?なんか薄暗いところに入れられて居たような。個室ではないようだったが、そのこ居たのはばあちゃんだけだった(ずうっと後になってわかるのだが、そこはナースステーションの奥の部屋で緊急性の高い患者や世話がかかる患者が入れられる所だった)。

そばに行くと、ばあちゃんが、トイレに行きたいと何度もごねる。手首にはめているバンドを何度もはずしてくれと言う。はずしてくれる? はずしてくれる? 何度もきかれる。 お便所にいきたい。 もらしてもいいの? ここでしていいの? 出ない。言われるこっちはただ困る。これはどうしたものかと、別室にいた看護師に、その旨伝えると、尿道に管が入れられているので、そのまましていいと。それをばあちゃんに伝えるが、ばあちゃんには、そのことが理解できない。その後もずっと言われて参った。実際には、尿は出ていたが。

薄暗い暗い部屋に1人入れられて、腕は縛られ、トイレにも行けない、その姿に可哀想だったが、どうすることも出来ない自分の方が哀れだった。

初めてのことなので、いつまでここに居ればいいのか、いつここを出ていいのか、わからない。確か、看護師さん方から、もう帰ってもいいと、言ってくれたような・・・ もう7時だ。

ナースステーションの前のエレベーターで下に降る。ここは普通のエレベーターだ。だが、1階に着いてみると、そこが何処なのか、出口が何処なのかわからない。どっちに向かったらいいのか方向すらわからない。初めて来るところだ。もうあたりの照明は消され薄暗くなっている。

ようやく正面玄関らしきものを探し当てたが、すでに鍵がかかっていた。そこに警備員室があり、そこに居た人に、どうやって出るのかと聞いた。救急外来の方から出てくれと言われた。なるほど(これも後でわかることだが、ドアの前にその旨書かれた掲示板が置かれていた)。

今日は、入った時も出る時も、救急外来だったということか。

夜になっている。救急車で家を出てから、昼飯も食べず、今まで飲まず食わず。夜道を歩いて帰る。10分ほどだけど。

さぞ疲れたと思うが、覚えていない。どう感じていたか書いてもいない。緊張して感じていなかったか。

兄に電話。

写真は、術後3日目のもの。私が待たされていたナースステーションの前。頭は丸坊主にされ、帽子のようなものをかぶされている。