第2子出産を期にブログをはじめてみました

出産のこと。子供のこと。一日の出来事。

h25.2月
上の子 4歳    保育園
下の子 1歳3ヶ月 保育園

第2子出産

2011-11-20 04:42:22 | 日記
出産予定日は11月15日だったのだけれども、
10月20日ぐらいから、休んだり、仕事したりしていて、
10月最後の土日は上の娘と、1日中遊んだりしていて、
本格的に休んだのは11月1日。
そしてこの日、妊娠検診に行ったら、
「羊水が少なくなっているので、正産期に入っているし、
今日から入院して産みましょう」と言われ、
産前休暇ほとんどなしで、出産することとなってしまいました。

入院準備や赤ちゃん用品はだいたい揃えてあるものの、洗濯物が山積みで、あわてて帰り、洗濯機を2回まわし、家の中に干して、冷蔵庫の中の野菜類を片付けられないまま入院。

この日は子宮口を広げる管を入れて、8時間後にはずし、お終い。
子宮口が2cm開いていたのが、5cmに。
これで、陣痛誘発剤が使えるそうで、次の日に。

陣痛誘発剤を点滴するも、陣痛までには至らず、
あした、またと言うことになり、暇。
上の子のときは、CDや小説やエッセンシャルオイルやら、DS(携帯ゲーム機)やら、持って行ったんだけど、ぜんぜん使ったり、読んだりする時間がなかったので、今回持って行かなかったら、やることがない。
あわてて、出てきたから、持ち合わせも少なかったが、TVカードを購入して普段はろくに見ないTVをみる。

昨日もそうだけど、今日も分娩室で陣痛誘発剤を点滴。
昨日から、陣痛で頑張っている人がいる(叫び方、声が同じだ)みたいなのに、私が分娩室、使っていていいのかなあと思いつつ。

14時ごろ、お腹につけたモニターが定期的に陣痛に近い数値を出しているので、内診しますと。
これが、効き、本格的な陣痛の波が始まる。
時同じくして、おじいちゃんが上の娘を連れてやってきた。
タイミング悪いなあ。
14時30分ごろなんとか、娘をなだめて、退去。
「お手洗いに行きたくなった」と告げると、
「もう、行かない方がよさそうだ」と助産師さん。
どうしても行きたいなら管でと。準備してきますと、出て行ったら、
他の助産師さんたちが、「赤ちゃんの心音モニターできなくなった」と騒ぎ出し、「別のモニターもってきて」「ドップラーで心音聞いて」
誰もいなくなちゃった一瞬、
陣痛の激しい波がきて、腹部に力が入ってしまったら、
 あら、どうも、これは、頭が出たみたいだな と。
すぐに戻ってきた助産師さんたちが、「もう少しです」「頭が出ました」「頑張って」「次の陣痛で体出しましよう」
つぎの陣痛がこない。

こりゃ会陰が裂けたなと思う場所の痛みに「痛た」と声を出すと、
「いきんでください」と言われるも、モニターみていた助産師さんが、
「陣痛来ないみたいですね」「息はいて、力入れていきましょう」と言い、
するっと出た感じがして、「産まれました」「おめでとうございます」「女の子です」と声がかかり、簡単に体を拭いてもらった子が渡されました。

にしても、陣痛の痛苦しみよりも、会陰の裂けた方が痛い。切ってもらった方が痛くなかったかもしれんが、間にあわなかったのかな、ぎりぎりまで、そういった処置はしない方針のようだから。

3年前の第1子出産

2011-11-20 02:11:31 | 日記
平成20年8月の陣痛の始まった朝
04:00 痛みか?目が覚める。寝る。
04:05 自分のうめき声。目が覚める。寝る。
04:15 痛み。お手洗い。寝る。
04:20 痛み。寝る。
04:30 痛み。起き出して風呂を沸かす。
04:35 痛み。
04:45~05:15 風呂。痛みは3~4回
05;30 朝ご飯をつくる。うどん。旦那が起きてくる。
05:45 朝ご飯。「自分の分だけつくれば良かったのに」と言っていた。
06;05 片付け出す。「俺やるよ」と言っていたが、いつやるのかわからないのでちゃちゃと片付けだす。
06:15 DSゲーム「どうぶつの森」をやる。
07:05 TV見ながらごろごろする。
07:30 漫画や出産に関するの本を見ながらごろごろする。

 この間。痛みは5~15分おき。再三「とっとと産院行け」と言われるが放置。
「痛みが10分間隔になったら産院に来てください」と言われていたが、
「初産は15~16時間かかります」とも言われていたし、あんまり、早く行くと
「一回帰って又来てください」と言われることも多いと聞いていたし。
まだまだ、のんびりしていた。
また、この間になんとしても、排便しておこうと努力した。
10回以上はトイレにこもり、階段を上ったり降りたり。
出たのでもう一回風呂に入る。
08:05 そろそろ持ってく荷物を点検。
08;15 父に車を出してもらう。
08:30 産院到着。
08:45 まずは体重測定。検尿。大分血が混じっていた。
分娩代に案内される。胎児心音モニターを付けチェックしようとするが
うまくできず。
「右下向きに寝られますか。左下向きに寝られますか。仰向けになって
もらえますか。」繰り返す。出産時まで。
 診察 子宮口7~8cmの開き具合。
09:40 旦那が自転車で来た。聞けば休みを取ったとのこと。
その予定で会社には伝えてあったとのこと。ちょっと吃驚。
09:55 とりあえず堅い分娩台ではなくお布団で休んでくださいと、畳の部屋に
案内される。
10:00 診察後 分娩室へ、と 〈布団の部屋に行く必要なかったような〉
10:15 ここから陣痛が激しくなる。12:15まで、夢現、無我夢中。

喉が渇いて仕方がなかったが、陣痛がきつくうまく飲めない。ストロー付きの水筒があれば良かったたな。「ペットボトル取って」と言うのもきつい】

10:15より12:03まで
この2時間は私の感じでは5分間。もう、時計を見ている余裕はなくなった。

-「胎児の心音モニターが心音をとらえられないのか、胎児の心臓が時々
、止まってしまっているのかわからないので、帝王切開します」と言われる

点滴用の血管がなかなか確保出来ず、暖めた布巻いたり、左腕縛ったり、
右腕縛ったり。何回か針をさされた。
やっと入った。
聞こえてきたのは
      「帝王切開前の最後の診察です。」
      「子宮口全開。吸引分娩にします。」
      「吸引分娩機械入ります。」
      「いや、待て。これは出るぞ。このまま、出しましょう。
       次の陣痛のピークでいきんでください。
私「いきむってどうやるんですか」
      「さっきのです。勝手に力が入ったとおしゃっていたのをお願いします」
私「あれは自動的に力が入ったんで、自分でしたわけではないんですが。」
      「お通じをする感じです。」
      「はい。お願いします。」
私 とりあえずふんばってみる。
      「そのまま、もう一息。続けて。」
-その陣痛は3連弾であった-
      「もう一回」
      「もう一回」
   「もう一回」
      「でました。」
私「えっ。 ものすごく痛たいもんなんじゃなかったんですか。」と言いたかったが、声がでない。
12:03 目を開けるとそこに医師の手で持ち上げられた、血と液体まみれの体をぎゅっと縮込めて丸くなった赤ちゃんがいた。
     「赤ちゃんの体拭いてきます」と連れて行かれた。
-眠。

陣痛時間 8時間3分

12:15
私 「はっ、なにしてたんだったけ? あっ、寝てた。なんかしてたのに寝ちゃった。なんか結構大事なことだったような。」
旦 那 「なにを寝ぼけている」
助産師 「赤ちゃん拭いてきました。3160gのかわいい女の子ちゃんです。今すぐお抱きになられますか?」
私 「あっ、そうか産んだんだった。あれっ、どうやって産んだんだ? って12時15分! 今10時過ぎたとこじゃなっかった?
おお、記憶なくなった? ああ、そうか産んだんだった。案外楽なもんだね。」
 旦 那 殴る仕草をしながら「なに言ってる。あんだけ叫び散らしておいて」
私 おお、そう言えばそうだな。

-会陰縫合中だったので、旦那に抱いててもらう
簡単に身支度をしてから胸に抱く。もうおっぱいを探しているようなので、当ててみる。すごい吸い付き方。もう一生懸命。
そのまま、分娩台で2時間程休憩。
13:00 赤ちゃん診察します。連れてかれた。
「今日のお昼はカレーですがお食べになりますか?」もちろん喰う。
が寝たまま食べてくれと言われる。無理だ。ごねたら少しだけ分娩台を起こしてくれた。
なんとか食べる。偉い時間かかった。
後、お手洗いへ行ってみましょうと言われる。分娩台の背もたれを上げていくと、
視界が茶色くなってきた。貧血だ。なるほど寝たまま食べてくれと言われたわけだ。
分娩台を寝かせ、また2時間程休憩。後なんとか起きあがる。耳鳴り。
でも、なんとか動けそう。
赤ちゃんを袋(非常事態時赤ちゃん持ち出し袋)に入れて首から提げて、車イスに乗り病室へ。
おむつ替え等をして08.21 終了



感想 出産は楽しい!!
10:15頃から12:03の生まれましたと言われるまでの時間は、自分の感覚では5分間ぐらいに感じた。だが、良く考えてみれば点滴の血管を確保するのに、5分以上かかっているだろうし、、、と考えても30分ぐらいにしか感じられなかった。本当にきついと感じた陣痛の時間は私的には5分。産んだ瞬間も痛みなし。と思っている。見てた方は違う意見だが。こんなに楽なら何人でも産めるなと思った。
また、「生まれました」と聞こえたときには、「これで、もう、いつ死んでも良い」との思いが頭に浮かび、あわてて、「育てなきゃダメじゃん」と考えました。どんなに軽かったと思っていても、それなりの負担がかかっているんだなと思い直しました。


妊娠初期
生理は不順とは言い切れない程度の間隔だ。
2週間できたこともあったし、2ヶ月近くあいたこともある。が、
一応ぎりぎりおおむねは毎月あった。
だから、こないなあとは思っていたが妊娠しているとは、全く思わなかった。
最後に生理があったのは11月半ばだと旦那が言う。私は覚えてない。
旦那が心配しだしたのが1月半ば。もっとも仕事が忙しくなったときだった。
医者に行け行け言われていたもの、日々の生活と仕事で一杯だった。
この頃に風邪を引き、医者に行き薬をもらってきたが、もしかして? と思い、その足で薬局に行き、妊娠検査薬を買った。結果は当たりだ。
だが、99%的中のとは書いてあるもの、前に使ったときは、陽性と出たが、次の日に生理がきた。このときは、自分に産み育てる覚悟はなかったから、陽性と出たショックで流れてしまったのかもしれない。

2月に入り、産婦人科を探して、行ってみた。
私が生まれた所と聞いている病院に行ってみた。「産婦人科は今閉めてます。」他を紹介される。休みだった。この日も仕事を休んだし、1月半ばと2月頭で2回風邪を引いて、何日か休んでいる。また次も休まんといけないかな。

超音波検査。居た。赤ちゃんだ。頭に胴に手足。「おめでとう」と言われた。
そうか めでたいのか。めでたいことなんだな。
まだ、産むかどうかは決めてなかった。
そう言うと、「まだ法的にはおろせるけど体の負担はかなりのものだよ。」と。
また、このクリニックには産む施設もおろす施設もない。と他を紹介される。
(超音波検査の赤ちゃんの写真、一番良く撮れていると思うのがこのクリニックのだ)
この写真を見てしまうと、おろす事が罪を犯すような感覚になってくる。

できたとき が やっぱり産み時だろうと思う。

旦那は今はおろして、つくるならつくるで、酒を断って食生活を見直して作り直した方が良いんじゃ等と言っているが無視。
おろすと簡単に言うが、体への負担は、かなり大きいものだ。また、100%安全とはいいきれないものだ。今気軽にされているが、これはおかしいことだと思っていて欲しいものだ。
子供を産んだら今までのようには働けないだろうが、旦那がいなくてもなんとか一人で育てられるだろうと覚悟し、別れることとなっても、産もうと決心する。


おまけ
20歳頃から一緒にいて、いたしたのはいつの頃だったか覚えていないが、きちんとした避妊処置もとらず、妊娠しなかったのは、私の骨盤がずれていた為かと思われる。腰痛が無くなったと思ったら妊娠した感がある。
もし、いまから不妊治療をと思っている人がいたら、つらいきつい大変だと言われる不妊治療を始める前に、カイロプラティックスか整体を2~3年試してからにしてみてはと提案したい。