震度7と言う衝撃的な地震から2週間が経ちました。
土砂崩れによる被害の拡大や、
震災関連でお亡くなりになっていると聞いて、とても心が痛みます。
また、避難所の様子をテレビで見ても、どうにか改善されないものかと心配です。
プライバシーの確保には、より早い仮設住宅の住宅の着工、
みなし仮設住居の確保が必要・・・。
(仙台市でも市営住宅を用意→詳しくはコチラ)
東日本大震災時にも思いましたが、政府レベルの対応はどうなんでしょうね・・・
やはり、永田町は別世界?
実際に経験した県や市町村レベルの自主対応の方が、
はるかに迅速で、今まさに必要なニーズを的確に把握しているように感じました。
こちらの宮城でも、震災を経験したからこそのアドバイスができると、
各々の市町村で、熊本へ現地入りしています。
刻々とお役所の役割も変わるので、
経験した職員を派遣しすると聞きました。
ボランティアの皆さんによって、個人レベルの片付けが始まっていますね。
その膨大な震災のゴミは、とても地域では処理できるはずはないので、
東日本大震災と同様に、近隣地域の協力なしでは処分できないはずです。
衛生上も良くないので、早く処理方法を決めないと大変・・・
各々の家屋の判定も決めてもらわないと、
その後の罹災証明書関連にも影響がありそうですが・・・
また、いつまでもガレキの状態をずっと見ているのは、
後々、頭の中に残りますからー。
私は、近くで見た津波で流され無残な形の車が幾重にも重なっている光景や、
その後の荒涼とした津波の砂埃の光景は今でもしっかり覚えています。
生活をしていくための基本「衣・食・住」
清潔な服が着れて、バランスのとれた食事ができて、安心できる住まいがある。
何もない時には、当たり前の事で、何とも思っていませんでしたが、
東日本大震災を経験した時、それはとても幸せな日々だったんだと感じました。
こんな時に、自分の事を書くのはどうかと思ったのですが・・・
日々の不自由な生活(ガス停止1カ月)や、変わり果ててしまった状況で暮らすのは、
自分で感じているより負担が大きかったようで、
無理をして必要以上にこなした結果ー
ライフラインの復活と共に、「何もしたくない」無気力のような状態になってしまいました。
自分が思っているよりも、かなりの重荷になっていたようでー
数か月経っても、テレビの中の内容や音楽が非現実的に思えて、
受け入れられない自分がいました。
そして、「頑張れ」の言葉も。
だから、熊本・大分の被災地の皆さんは無理をせず、必要以上にこなさず、
頼れる事が出来る時は、遠慮せずにお願いしたり、
いつもよりも休息を取りながら日々を過ごして欲しいと思っています。
難しい事でもあるのですが・・・
あたりまえの日常がおくれない事が既にストレスですからー
熊本・大分の地震関連のテレビやニュース、必ず見ています。
ここ宮城だけではなく、東日本大震災でお世話になった地域は、
様々な方面で尽力して下さった方々を決して忘れません。
私は、九州地方には行った事がありませんが、
私なりにできる事はしようと、強く思っています。
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