春夏秋冬

奇麗なものにはとげがある

いじめともまれる

2019-05-07 03:45:22 | 日記
  今の世の中は昔の子供社会と違い何かがおかしい。  今の大人もそうだ。  なぜ今の子供は親に虐待されたり、育児放棄したりされるのだろう。  そんなニュースがいつもテレビやラジオで必ずと言っていいほど飛び込んでくる。  それに自分の子供が学校でいじめられればすぐに学校とかに訴えに行く。 またいじめる方もほどほどというものを知らない。  そして学校で親と先生が押し問答をする。  それに今のいじめはとても陰険だ。  躾が出来ていないからいじめる方も行くところまで行ってしまって殺人事件に発展してしまうことが多い。  何とも恐ろしい世の中だ。  それに今の親には子供に対する愛と寛容がない。  それに親までも尾が育児放棄をしたりする。  その耽美に児童相談所がたびたび出て行かなければならない。  昔は考えられなかったことだ。  昔は子供が物心ついたころから礼儀や挨拶の躾まず第一に教えていた。 それから常識、非常識、善悪の分別とよく子供に口やかましく言っていたものだった。 だから昔の親は口やかましく、おせっかいを焼くような感じであった。  だから子供はうるさいなあとかまた説教かよといった具合だった。  しかし今の世の中は違う。  躾どころかほったらかしである。  それにしっかりした人間と子供のまま大人になった人間に二分される。  そこに格差社会が生まれた。  だからいじめられた方も躾が出来ていないからすぐ憂鬱になり自殺にはやったりする。  何とも悲しい世だ。  またいじめる側の加害者はそれをどう考えているのだろう。  昔はいじめる方もここのぐらいにしておこうとグループで止めておいた。  それにいじめられた方も泣きながらまた何とかして「悔しさ。」を胸にまたすぐにみんなと仲良くできた。  そうして子供同士で解決をしていた。  しかし今の世の中はそうではない。  今の大人は子供のまま大人になってしまっているので、肉体は大人でも心は子供のままである。 そうした人間が結婚して子供を造るのであるから無理ではないであろう。  だから子育て半人前と私はいつも思う。  それにセクハラだのパワハラだのとすぐに言う。  昔はそんなものがなかったから子供社会では誹謗や中小がものすごかった。  それにそんな言葉は外国から入ってきた言葉ではないか。  今の若者は新しい言葉を覚えるとそれをはやり言葉のようにすぐいう。  例えばハッシュタグとか。 それにいじめは子供社会から大人社会まで一生続くものだ。  昔はいじめという言葉は存在しなかった。  昔は子供社会でも大人社会でもそれを「もまれる。」と言っていた。  そして子供社会のころからもまれていろいろなことを学び大人へと成長していった。  そして知識や知恵をお互い学んだ。  いじめつまりもまれるということはそういうものなのだ。  しかし今の世はそれを知らない親が多い。  昨日も子供が学校で「死ね。」と言われて自殺をしたニュースを聞いた。  なんともひ弱な今の子供であろう。  「悔しさ。」を胸にもてないのだろうか。  親はそういう躾をできなかったのであろうか。  それに今の親も子供も罪といったものがわからない。  「死ね。」など私の子供のころは日常茶飯事であった。  ものすごい誹謗、中傷があった。  今私がそういう言葉を言ったら大騒動だろう。  むなしい風が私の心を去っていく。  今の大人も子供も「物事の分別。」という言葉を知れない。  「働き方解決。」ではない。  「人間改革。」だ。  今の世の中は心無い人間の罪人社会の渦の中にあるようだ。  だから今の世はつかさ人さえいない。  いにしえの世は終わってしまったのか。  そんなことをふと思う私である。  


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