従順に生きるとはどういうことか。素直に生きるとかあるいはすべてのものに従うということなのであろうか。では素直とは何であろうか。正直に生きるということなのか。しかし正直さの中には自己中心に生きてしまう恐れがある。つまりそこに誠実さがなければ正直に生きることは不可能に近いことではなかろうか。誠実に生きる。無条件の愛を持って生きなければならないのである。それでは今生きている人間たちはどうであろうか。人間たちの愛ととは違う。人間の愛は無条件ではない。条件付きの愛なのである。条件とはそれでは何であろうか。人間はどこまで行っても人間であり神に決して近づくことは出来ない。例えばクリスチャンはどうであろうか。主イエスの神一人だけを信じている。日本の国はそれとは違って自由に神を信仰している。やおよるずの神というかそれぞれ自由に拝んでいる。その代表が仏像である。しかし今の仏像は全く考え方が違ってきている。単なる仏教の域を超えて芸術の域まで達しているではないか。それでは仏というか偶像礼拝とは何であろうか。みんな手を合唱して祈っている。しかし仏像には形があるしそれに耳や目や鼻や口が何か言葉を聞くのであうか。ただで黙ったそこに座っているではないか。その仏に向かいその阿弥陀に向かい人は何を祈っているのであろうか?仏は何か我々に何かを教えてくれているのであろうか。何か言葉を語ってくれているのであろうか。否そうではない。弥勒菩薩や四天王やいろいろな神が今仏教にはいろいろとある。それにこの前は日本の神々が出雲大社に集まって何か会議をするという伝えがあった。私は日本にいろんな神々がいては困ると思う。それはどの神々を祈ればいいのかわからないからだ。そうした日本の世の中にどの神を信じていいのか分からないからである。それではどの神に従順に生きればいいのか全く私にはわかりません。真実の神はたった一つではあるまいかと私は思う。神は光である。だから神を見るということはで4きないのである。だから私はたった一人の神を信じて生きようと思う。それならばこの世の中私は従順に生きられると思うからである。神がたくさんいては混乱するではないか。また分裂さえするではないか。従順に分裂が起きたら人間はみだらな生き方をしてしまうのではないかと思う。そう酒に酔ったりしたら男も女もみな乱れてしまうのではないかと思うからである。そこにはもう従順に生きることは出来なくなる。つまり常識も非常識もないのである。私は今そうした世の中に生きているのではないであろうか?そうした不従順の世の中をどう常識ある世の中にすればいいのだろうか。今日本はそうした危機状態にあるのではないか。だから常識のある人間と非常識な人間に完全に分かれてしまっている。そうした分裂した社会を私は格差社会と思っている。格差とは私は絶対あってはならないものだと常に思っている。もう一度書くが子供のまま大人になった人間としっかり大人へと成長した人間に分かれてしまっているのではないか。それが分裂なのだ。そこにはもう「平等。」というものは存在しない。それはもうとても悲しくて今の世の中がっかりしてしまっているではないか。そうした人間の格差のない平等をどのように取り戻せばいいのだろうか。私一人だけではとても考えられない。皆さんの希望意見が必要になってくる。今の若者から年寄りまで常識も非常識もまったくなくなっている。こうした世の中をどうして従順に生きられるであろうか。世の中が誠実に生きる世の中を作るにはどうすればいいのであろうか。自分勝手で、わがままで、それでいいのであろうか。私は何も今の世の中を批判しているのではない。ただ一人の人間として警告をしているだけだ。世の中の人にその辺をよく考えてほしい。日本には春夏秋冬があるではないか。四季というものがきちんと回ってそうして季節が来ているではないか。そして春が来ればきちんとその花を咲かせるではないか。誰に教えられるでもなくきちんとその花は咲く。そして夏になれば緑が深まってくるではないか。秋になれば紅葉になりやがて針葉樹以外広葉樹は葉をすべて落とすではないか。そして寒い冬がやってくるではないか。それが本当の従順ではなかろうか。私たち人間はそうした自然からそうした従順さを身につけなければいけないのではなかろうかと私は思います。そして人と人が手を取り協力をしたりして思いやりの精神で生きて行かねばならないのではないでしょうか。私はいつもそう思っています。そうして自分の人生を誠実に生き抜くことができるのではないでしょうか。だからこそそこに正直に生きられるのではないでしょうか。そうした心配りができる人間が真の人間ではないかと思います。それが本当の従順に生きることではないでしょうか。世のかはいろいいろな矛盾に包まれています。そうした世の中を私たちは苦しんでい生きて行かなければいけないんではないでしょうか。私はそれが真の人生を歩むものだと思っています。そうして初めて従順さが芽生えてくるのではないでしょうか。そうして皆さんと一緒にそれを考えていきたいと思います。人生を生きるとは大変難しいものですぅね。でもそれでもその患難の門は嫌でも我々人間は通らなければいけないのではないでしょうか。そしてそうした辛いもんはたくさんあります。でもそうした門を通った人こそ本当の大人になれるのではないでしょうか。本当の人間になれるのではないでしょうか。私は一障害者です。でも障害者でもこうした考え方をいつも持っています。一般社会人はどの世な考え方をしているのでしょうか?私はいつも会社でも社会人以上の人間になりたいといつも思っています。薬を飲んでいるので私は会社で働くことができません。しかしいつか必ず社会人以上の人間になりたいのです。そのためにはたくさんの努力が必要だと思いますしそれに知識や知恵をもっともっと身にうつけなければなりません。私にとってはとても厳しい道ですけれどもその苦しい門を通り抜けなくてはいけません。それに私一人でそぷしてい来ることさえ出来ないと思います。だからたくさんの友人を作りたいのですが周りにいる人はみな障害者ばかりですからどうしても視野が広がりません。そうした苦しい中を生きて行かなければならないのです。だからこそ私は世の中を従順に生きて行きたいと思っているのです。そうしていつか必ず社会人に認められたいのです。そのためには世の中を正しくい生きなければいけません。しかしただ正しく言い切ると言っても何が正しいことなのかわかりません。義という言葉がありますが正義の義です。その義を持って生きることができれば必ず私の道とその門をくぐって生きて行けるのではないかと思うのです。とても難しいことですけれどもそれを誠実に守り生き抜きたいですね。だって世の中の人はそうして生きているのではないのですか。会社に仕事をしに行っている人だって誰かが休むと困るでしょう。責任を持って生きるとはそういうことを言うのではないでしょうか。私も障害者ですけれどもその責任を持っていきたいです。障害者だから今の世の中は障害者には責任能力がないと言われていますが私は決してそうではないと思います。例えば会社では障害者は雇いませんがそれはそうでしょう。休みがちになると非常に困るからです。でも障害者は社会で働きたいのです。会社に自分の病気を隠して入って働く人もいますがやはりそこは障害者です。障害者はおとなしくて真面目なのです。真面目だからこそ罪悪感が働くのでしょう。だからそれを会社に打ち分けて結局仕事を辞めていく人が大勢います。これが障害者の実態です。だから従順に生きると言ってもそこには大きな壁が立ちふさがっているのです。障害者と健常者、どのように一緒に仕事が出来るようになるためにはどのようにすればいいのでしょうか。難しい問題ですがなんとかそれを克服して生きて行きたいですね。それがないとお互い絶対に従順に生きるということは出来ないでしょう。生きるとはとても難しい問題ですね。だって障害者は健常者の手を差し伸べてもらわないと生きていけないからです。障害者はだからとても苦しい立場に立たされた人間です。特に目に見えない障害者はとても難しい立場に立たされています。自閉症やダウン症、。あるいは発達障害者や知的障害者はどのように生きて行かなければならないのでしょうか。そして世の中であるいは会社でどのように生きて行かねばならないのでしょうか。目に見えない障害者はなかなか会社に入れてくれません。よっぽど会社が良心的でないと一人ぐらい入れてくれないでしょう。たったの一人です。そうした厳しい門を目に見えない障害者は生きて行かねばなりません。だからこそ従順に生きるということはとても難しい問題なのです。特に目に見えない障害者はとても真面目でおとなしいです。ただあっちが痛い、こっちが痛いとかすぐに頭が痛いと言ってすぐに会社を休んでしまいます。そこに会社側が困った点があるのだと思います。だから責任を持たせることだってできないのでしょう。私もそうだと思いますがそこを何とか我々人間は克服しなければいけない点ではないでしょう。だってたとえ目に見えない障害者だってこの世に生きているからです。生きた人間をそのように扱っていいのでしょうか。だからいつまでたっても偏見や差別は消えないのでしょう。人間とはなんと冷たい生き物なのでしょう。世間が目に見えない人を心無い言葉で関心を持ってくれないのもその所にあるのではないでしょうか。だから障害者は自分の顔を隠したりして家を出て行くのではないでしょうか。そこまで追い込んだのは誰でしょうか。障害者が顔を見られたくないと追い込んだのは誰でしょうか。世間一般ではないでしょうか。彼らを引き込ませず堂々と世の中の道を歩ませてください。社会を堂々と生きられるように通した門をくぐれるようにしてください。障害者に私たちだってみんなと一緒に生きているのだと訴えられるようにしてください。誰もがみんな平等に生きられるようにしてください。そこには健常者も障害者の壁もない生きた世の中にしてください。障害者は弱者です。その弱者の上に立つのが健常者です。強者は弱者を助けるのが当たり前ではないですか。そこに私は大きな矛盾を感じるのです。たとえその人が障害者であれ人間らしく生きるのは当然ではないでしょうか。そういうところに健常者は目を向けて生きてほしいのです。そうでないと決してともに共有することは出来ないと思います。壁を取り払って下さい。誰もが皆助け合って生きられる世の中を作ってください。そうでないと共存共栄はないと思います。もっと世界を見てください。外国のいい点をどんどん導入してください。先ほど共有と書きましたが私はそうしたいろいろのものを視野を広げてみないと絶対行かされないと思うからです。そうでないと真の従順さは生かされないと思うのです。それでは真の従順さとはいったいどのようなものでしょうか。従順さは人に従うという意味ではないでしょうか。従うという意味は使えるという意味です。人に仕え、それは今の世の中ではとても難しいのではないかと思いますが、強者が弱者に使えるのは当たり前のことではないのかと思います。だからこそ共有が生かされてくるのではないでしょうか。私はそうした世の中に生きて行きたいです。弱者を助ける世の中こそ真の世の中ではないでしょうか。そこに初めて共存共栄が生かされてくるのではないでしょうか。だからこそそこに従順さが存在するのではないでしょうか。人に仕えてい生きるということはもしかしたら難しいかもしれません。しかしもし一人の人間なら必ず私は出来ると思います。弱者に知恵や知識を与えること、それが一般社会人の弱者に対する生き方ではないウでしょうか。それが教えるということではないでしょうか。弱者には強者が必要です。「責任。」とは何かを教えることが大切な社会人の責任ではないでしょうか。そこに「使える。」という意味が大きく存在するのではないでしょうか。決してそれは義務から来るものではありません。義務とはやらねばならぬことという意味ではないでしょうか。責任と義務ではなく当たり前のことだ思ってもらいたいものです。強者が弱者に仕えるという意味です。私はこれを何度でも書きたいです。またそれが生きるという意味につながってくると思うからです。ただし「従う。」「使える。」には愛情が必要です。愛がなければすべてが空になるからです。弱者はみんな愛情に飢えています。ほとんどの家族がそれは自分の子供に障害者がいるからと言って隠したがり、あるいは、遠くの家に無理やり暮らさせたりしているからです。世の中の社会人はそれをどれだけ知っていることでしょうか。そして多くの障害者が私の目の前から自殺をしていった人が大勢います。私はそれに対してみんな若者だったので、それが残念で仕方がありません。だってまだ若いのにさあこれから楽しい人生が始まるところだからです。これか人生の「喜び。」あるいは「楽しみ。」を知る人生が始まるからです。それが私は残念で仕方がないのです。世間の人はおそらくそうした真実を知らないと思います。事実ではなく真実です。こんな人生があっていいのでしょうか。だから私は「使えろ。」「従え。」と皆さんに訴えたいのです。それが本当の人間の生きる道ではありませんか。そこに人間の『真理』があるのです。心理と真理は違います。そこのところを皆さんは十分理解しておいてください。「使える。」これはとても難しいことですが一般社会人には絶対に実行してもらいたいのです。それができて初めて人間同士の共有が存在するのでしょうと私は思います。難しいことをたくさん書きましたが皆さんには必ずできることです。ぜひ実行してもらいたいですね。だってそれが人間に与えられた道だからです。障害者は「愛情。」に飢えているのです。それを社会人が与えて包んであげて愛情を教えてほしいのです。それもまた人間の『真理。』の実行です。昔の人間はそれをやってきていたのです。日本の戦後派の人間にはそれをよく知っておいてほしいのです。今の人には難しいですけれども戦前、戦中、戦後の人はそれをやって来ていたのです。私はその辺を自分の母親から戦中の話を聞かされて来ました。母親は戦争中の話は絶対したくないと言っています。それほど戦争というものはむごたらしいものだったのです。そうした中にも障害者たちは大勢いたと思います。そうした戦争中は障害者(弱者)はどうしていたのでしょうか?今の人にそれが想像つきますか。空襲で逃げて、防空壕に入って、またその防空壕に入れ中立った人が大勢います。それで何人の人が死んだでしょうか?そして日本は空襲で焼け野原になりました。それを知らない人は東日本大震災を見た人が想像できると思います。しかし空襲で焼け野原というのはそんなものではなかったと私の母は言っています。そして終戦。戦争が終わりものがどこにもなくなりました。昔はあるところにはあったと言われますが終戦の時はあるところにも何もなかったと当時の日本を母は言います。そして配給や闇市が立ったと言います。今の人に闇市ということがわかる人が何人いるでしょうか?終戦を迎えたときは明日という日は考えられず今日をどう生きるかということでした。そう明日はなかったのです。今日をどうい生きて食べて行くくかで精一杯でした。私の母もその一人です。母は四国出身ですが四国も焼け野原になったそうです!私には全く想像できませんがそれが現実だと私の母は言っていました。そして闇市などが立つとすごい行列ができたと言います。そんな中をもきっと障害者たちも生き抜いてきたのでしょうね!それはもう従順を通り抜けた世でした。つまりそうした夜を生きるには従順に生きるとは死を表す意味になるからです。ですから今生きている人たちはとても幸せですよね。今では戦中を生き抜いた人は八十歳を超えた人たちだけですよね。今現実を生きた人が戦後の人に伝えないといけないけないといけないひとが何人いるでしょう!今の人はテレビなどを通して聴くぐらいでしょうね。こう聞くと母はどのような気持ちで話してくれたのであろうと思います。また弱者は置いてけぼりで大勢死んで行ったのではなかろうかと思います!そして戦後どう立て直すかを男たちが働きに働いて今の日本を築いたのだと思ます。だから今の日本は仕事第一主義になったのでしょう。それで家庭は男たちは家庭第二主義になってしまったのであろう。しかし欧米ではそうではありません。家庭第一主義です。話は変わりますがシアトル・マリナーズの監督が試合中に家で何かが起こり試合中に家に帰ったと言われます。それでイチローがコーチ代行でやったと言われます。またオーストラリアでは家庭を大切にしないものは罪だともいわれています。これが外国と日本の違いです。話は戻って終戦後日本人は本当によく働きさらには新幹線まで作りました。そして東京オリンピックへと続きます。そうして日本は立ち治ったのです。また障害者の世の中までまったく障害者はどこでいたのでしょうか。その時代は全く差別されてたのではないでしょうか。わずかな人間が彼らのために働いていたのでしょう。そして時代は高度経済成長へと続きます。もちろん障害者の世界も偏見と差別の壁に立ちふさがれていたのでしょう。なぜそれほどまでに日本人はそうした心無い目で人を見るのでしょうか!私には不思議でたまりません。日本という国は古くは平安時代の前から貧民として障害者を見ていたのでしょう。きっと文明開化の時代になってもそれが根強く生きているのではないかと思います。外国で言えば昔のビルマです。今のミャンマーです。「度貧民。」と言われていますよね。そしてミャンマー喉貧民は隣国のバングラディシュに移住しています。日本が島国でなく国境があったならもしかしたら障害者たちが損度貧民と同じようなことをしたのではないかと思いました。島国だから外国へ障害者たちは一人ではいけません。つまり障害者は誰か付き人がいないと外国には行けないのだと言われています。しかしそれを知らない人が大勢日本の障害者には大勢います。日本の国内でもそれは同じです。障碍者手帳をもって信用のできる付き人がいないといけません。美術館もそれと同じです。付き人が付けば半額になったりあるいは無料になったりします。そうした法律があるのを知らない障害者が大勢います。以前こんな事件がありました。以前の作業所で黙って沖縄へ飛行機で観光へ行きました。ところが帰りに飛行機に乗ろぷとしたとき障害者であることを言ったそうです。それで付き人がいなくて羽田へ帰れなかったということです。それは新聞にも載ったそうで私も読みました。しかしそうした何も知らない障害者が今も大勢いるということです。なぜその辺のことを障害者に教えてくれないのでしょうか。例えば市役所などには、障害福祉課などありますがこちらからその辺を聞かないと教えてくれません。言葉ではなく書類に全部書いてあるからそれを渡しただけではないかと思います。しかし残念ながらそれを最右所から最後までそれを読まに人が大勢います。おまけに字が読めない、書けない人も大勢います。こうした人にはどのように伝達をすればいいのでしょうか。おまけにまたコミュニケーションすら取れない人も大勢います。こうした問題は障害者の世界に山住です。そういった人たちにはどうやって従順に教えればいいのでしょうか。大変な仕事です。しかしそれを障害者の作業所の職員はそれをやってくれます。それにしか今の障害者には頼るしかないのです。そうして我々は生きているのです。従順に生きるがいつのまにか障害者の問題を例にして書きましたがそれがすべての現実であり皆さんにぜひ誠実態度で障害者に接してほしいのです。障害者は先にも書きましたが知識や知恵が一般社会人とは非常に遅れています。ですからぜひ障害者には優しく接してほしいのと、愛情を持った、心のこもった言葉とで語ってほしいのです。自分の障害を教えていなかったのですが私は高次脳機能障害と言って、健常者と障害者のはざまに立つとても難しい障害です。こう言った難しい障害者が今とても増えています。どちらともいえない難しいそういった障害が今多く増えているそうですぅ。ですからこういった障害者の行く場所が今の日本には見当たらないのですよね。結局精神障碍者の作業所に行かなければなりませんし、障害者手帳も取らなければなりません。だからいかに日本の福祉が遅れているかがよくわかります。今でもおそらく自分に絶望して世を去る人が大勢いるかもしれません。そういった人にはどうやって希望や生きることの素晴らしさを教えたらいいのでしょうか!誰か教えてください。そういったときにも時間は待ってくれません。時計は止まってくれません。一日が二日、二日が三日とどんどん進んでいくのです。私たちはもう社会でい生きられ来のだという絶望感をなくしたいのです。まだ望みを捨てさせてほしくないのです。そして生きることに望みを持ってほしいのです。障害に負けない強い人間を作りたいのです。今障害者のみんなはおとなしく病気の重たい人も軽い人も頑張って自分たちにできる作業をしています。その姿を見ていると私はたまらなくなります。どうしてこれだけ頑張っている人が大勢いるのにどうして社会はそれを受け入れないのかと!自分も昔スーパーでアルバイトやーパートで働いていましたがあなたは薬を飲んでいるから本社員にはできないのですと言われました。どうして薬を飲んで3いると働けないのでしょうか。その時はまだ高次脳障害者ではありませんでした。おそらく会社が自分がどんな薬を飲んでいたのかを調べたのでしょう。その薬がどんな種類の薬かを調べたのでしょう。その結果この薬を飲んでいては会社には入れられない結論に達したのでしょう。それで私の場合はパートで働きアルバイトの担当やあるいは冷食の責任を任されました。しかし冷凍食品の担当は思ったより過酷なものでした。スーパーの中でさえ物が傷まないように冷たいしさらに冷凍食品の売り場はそれ以上に冷え切っています。それはとても過酷で特に夏はものすごく超過国でした。夏は外に出ると三十度ぐらいになるし暑くて汗が出るぐらいです。しかし冷凍食品のある冷凍庫には氷点下二十度ぐらいの中に品物を取りに行ったりします。そしてその冷たい中で汗はたちまち冷えるのでした。その中で品物を素早く見つけなければなりません。そうしないと体が冷え切ってしまうからです。それに見つけたら外に出てまた三十度ぐらいのところに行かなければなりません。それを行ったり来たりです。特につらいのが棚卸の時です。冷凍庫に入って品物の商品を数えてさらに伝票に数量と食品の名前を書かなければいけません。特に夏などは薄着なので温かくする用意がしていません。寒いこと、寒いこと体が震えます。そしてそれが終わるとまた仕事に戻り寒い所と熱い所を行ったり来たりしなくてはいけません。そのためか頭の神がかなり抜けました。これではいけないと思い結局スーパーを辞めてしまいました。それで病院で保健所を紹介してくれました。そこで友達づくりをしようということで八か月そのデイケアに行きましたがそこは想像もつかないところでした。二人で余って椅子に腰かけていて下を向いて黙っているだけでした。私自身はもっと活発でサークル的なところだと思っていましたがそうではありませんでした。数分戸惑い職員に緊張しないで下さいと言われましたが障害者でない自分にそんなことはわかりません。家に帰ってこうだと母親に話したら障害者だよと言われました。その時私は初めて障害者の存在を知りました。それは私の想像を超えるものでした。ただ黙っているだけ。ただ職員に言われるがままに動くだけでした。これではだめだと思い六か月でやめて京王多摩センターの多摩保健福祉センターのデイケアに行きました。そこは二年間の猶予があり二年が終わるとある作業所に行かねばなりませんでした。しかしそこのデイケアはとても活発なところでした。しかし活発に動ける人とそうでない人の極端さがありました。病気の重たい人はじっとしているし元気な人はいろいろ設備の整ったところで自由に飛び跳ねていました。音楽室があり、カラオケがあり、体育館もありました。当時はたくさんお金があったんでしょう。しかし今の世の中はおそらく真っ赤かの大赤字ではないでしょうか。だからワタウィの場合は運が良かったのかもしてません。そうして二年がたち卒業してからパソコンやワープロお使った新聞を作る作業所に行きました。しかしただ新聞を作りただ障害者の存在を知らせるだけの作業所でした。新聞を作ってもただ配るだけでそれで終わるからです。そして自分勝手な子ばかりいました。自分たちの作業所なのになぜ自分の家出ないのにどうして掃除をしなくてはいけないのかと話しているのでした。何の罪悪感もなく堂々と話しているのに私はショックを受けました。その時にわたすぃは決断をしました。やめようと。そして今の東久留米にあるコイノニアに移りました。そこの職員はクリスチャンで私と同じでした。何か円がありそうな気がしました。そしてそこは手作りパンの店と洋菓子を作っていました。手帳を持っていなかったので手帳を持てと言われますぃた。その時私は記憶力が人一倍極端に忘れるので武蔵境の日赤にテストを受けに行きました。そしたら案の定高次脳機能障害と言われて障害者手帳をもらいました。こうして初めて私は高次脳機能障害と分かって初めて障害者の仲間入りをしました。私の場合そういったいきさつでした。そして教会に行きそこが唯一の健常者たちとの出会い場所でした。そうしていろいろなことを学び取りました。この従順に生きるというタイトルもその中の一言です。従順という言葉は新約聖書のいたるところに出てきますが最初にへブル人の手紙で出てくるのを発見しました。今では何度も読んでいるのでよくわかります。いろいろの人生においても人はそのように生きて行かなくてはいけません。どんな患難があっても忍耐強く生きて行かなければなりません。それが従順に生きることではないでしょうか?