春夏秋冬

奇麗なものにはとげがある

体の調子が重苦しい

2017-06-30 09:08:17 | 日記
どうしたのだろう。今日も体の調子が悪い。今週は月曜日だけしか仕事に行っていない。梅雨空も深まってきている。それと調子をそろえるように体の調子が重苦しい。辛い。体の自由が全く自由が利かない。体が動かないのだ。だからグループホームでおとなしくしている。まったくむなしいことだ。気分も悪いし気持ちが元気にすらならない。憂鬱な日々がだから続くのだ。どうすれば元気になるのだろう。どうすれば元気に明るく仕事に行けるのだろう。気持ちだけが先行する。みんなのように一緒に仕事が毎日したい。そういう日々を毎日楽しみにしている。しかし世の中そううまくはいかない。人生山あり谷ありだ。そんな中を切り抜けて私はみんなと一緒に仕事をしなければいけないのだ。高次脳機能障害という厄介な病気を持って生きて行かなければならないからだ。それに私は気象にものすごく左右される。低気圧に弱いのだ。曇ったり雨が降ったりするとすぐに憂鬱になる。人から見ればずる休みのように見えるかもしれないが決してそうではない。人間というものは天気や人間関係あるいはその他もろもろな物に弱い。元気な人にはなかなか理解できないだろうがそうなのだ。体調が重苦しかったり、だるかったり、かったるかったりするのはなかなか理解できないだろう。普通の人には目に見えないところで我々は苦しんでいる。それが障害者の実態だ。理解できないだろうがそれが実態なのだ。特に梅雨時はじとっとしてとても生き抜きずらい。それに梅雨が明ければ猛暑がやって来る。これにも弱い。気候の変動にとても弱いからだ。特にそれに弱いのが私自身だ。それを考えると一年を通して体の調子が悪くていつ調子が良くなるのかわからない。でもそれが本当の障害者の実態なのである。だからいつ体の調子が悪くなるのかまるで分らない。それがとても怖い。頭は痛くなるし、体はだるくなるし、いつどうなるかまるで分らない。自分でも自分の体が本当に嫌になってくる。一日も早く体が直って元気な姿になりたいなあ。そんな気持ちの毎日である。

歌と眠りに救われた

2017-06-21 21:13:35 | 日記
 今日は本当に気持ちの悪い、そして辛い日だった。それで一日中寝ていた。しかし夜になってまで寝ていたのだろう。目が覚めたラジオで歌をやっていた。自分の気に入った歌ばかりで気持ちが少し良くなってきた。生き生きした感じの歌でいっぱいだった。本当に歌は人の心を救ってくれるのだなと思った。気落ちしていた気持ちを少しでも助けてくれてとても良かった。もうこれ以上嫌な気持ちを引きずりたくない!仕事も明るく楽しく仕事をしたい。また睡眠も本当によく取れた。これも助かった。きっと熟睡したのだろう。気持ちを切り替えて明日からは本当に新しい気持ちで頑張りたい。人生色いろいろだ。だから人生何にでも負けない自分を作りたい。歌よありがとう。眠りよありがとう。あなた方が私を救ってくれたのだ。

人をさげすむ人

2017-06-21 05:33:10 | 日記
  社会にはいろいろな人がいる。固有名詞を出して書きたいがここではあえて固有名詞は出さないでおく。あの人は罪の意識がない。罪悪感がない。それに反省する。謝罪するということを知らないらしい。自分の家のように平気で他人の部屋に入ってくる。これでは空きすか泥棒ではないか。世の中にはこんな無神経な人がいるのだなと改めて感じた。ただ人がいいだけで何のとりえもない。それでよく世の中を生きて来た感じさえ感じる。ここはグループホームと言って重たい障害を持った人が集まって生活している。そうした人の見回りをする人が他人の部屋まで「どうぞ入ってください。」と一言も言わずに勝手に他人の部屋に入ってくる。まったく無神経である。まるで自分の家のように自分勝手に他人の部屋に入ってくる。聞いた話によるとほかの障害者もそういう思いをしている人がいるらしい。だから私はこれから絶対に鍵をすることにした。そういう人には何か障害者を一段さげすんで我々を見ているのではないだろうjか。あるいは虐げられて我々は見られているのではないかと思う。むしろそうしたところから私は差別や偏見が生まれてくるのではないか。私の部屋に鍵がかかっていないと自分勝手にどう堂々と私の部屋に入ってくる。どういう神経をしているのだろうか。ただとりえは人がいいだけだ。ほかには何もない。そんな人が社会の中には何人いるのだろうか?私も一障害者だが非常に怒りとか、腹が立つとか、何かいいようのない気分さえした。だから他の部屋にいる人ももしかしたらたくさんいるのではなかろうか!私にはとてもではないが考えられない。ドストエフスキーの「罪と罰」あるいは「虐げられた人々」窓を読んでみるとよくわかる。それでもわからなければそるジェニーチェンの「収容所群島」とかその他の作品をよく読んでみればわかると思う。しかし無学の人、あるいは無知な人には無理であろうと思う。「偏見と差別。」一部の人の愚かな人により、行動により、そういったものが生まれてくるのだ。もう三日になるが未だに腹が立っている。気持ちもそれが頭から離れない。私は頭の切り替えがうまくできないからおそらくこうした気持ちが長く続くであろうと思う。だから顔さえ変わってしまった。心の底から腹が立っているからだ。だから仕事もやる気がしない。だから自分の部屋でゴロゴロしているだけだ。イライラしてこっちまで悪影響が出ていやな気分がする。顔も見たくないほどである。おそらく時を待てない性格なのであろう。それにチャイムを鳴らして扉のところまで行こうとするとその時間が待ちきれないのであろう。ドアノブをガチャガチャやる。あるいは鍵がかかっていないと堂々と私のの部屋に入ってくる。もしあなたが私の立場でそういうことをされたらどういう気持ちがしますか?私は聞いてみたい。むかつくという果実に気分が悪い。その無神経さにはつくづくいやな思いがする。一時はその瞬間グループホームをやめようかなと思いました。世の中にはこういった人がいるのだなと改めて思いました。世間の常識を知らないという果実に愚かである。「目には目を。」という気持ちである。今日は仕事だが仕事をやりたくない。気持ちが切り替えられないからだ。こうした嫌な気持ちをいつまでも持ち続けないといけないのかと思うと本当に嫌になってくる。障害者をさげすんでみているのがよくわかる。言い訳は聞きたくない。怒り心頭で本当にむかつく。私には他人の部屋に勝手に入れる神経が全くわからない。そうした人間が世の中をのさばっているのかと思うと本当に嫌な気分になってくる。その無神経さに私は頭を悩ませる。私自身も現実にこういう人がいるのか肌で感じて本当に嫌な気分だ。これからもこうした人と一緒に暮らしていかなければならないのかと思うと本当にぞっとする。むなしさだけが心の中を風が吹き去って行く。何かイライラして何もやる気になれない。障害者は弱者だ。そういった人にそういった態度で当たられると本当に嫌な気分になる。人間は非常にそういったところが敏感だから非常に心が乱れる。それに弱い人間ほど死に走ったりするのではないだろうか?見回りをする人が、あるいは体調を聞いたりするだけの人が自分勝手に他人の部屋まで入り込むことが許されているのだろうか。しかもずけずけと。自分の家のようにふるまっている。警察をはさんで話したいぐらいだ。まさしく空きすかドロボーと一緒である。もうこれ以上書きたくない。イライラしてくる。