“今から思えば”
すべてはそれに尽きるのかもしれません。
長女が赤ちゃんだった頃、
私にとっても初めての育児で
お世話はわからないことばかり。
病院で教わったことや雑誌の情報などを見ながら、全力投球な毎日。
家主は
「えっ、オレじゃわかんないよ」
わからないのは私も同じ。
わからないなりにやっているだけ。
もし
「どうやればいい?」
なんて聞かれていたら、
一緒にやってみることも増えていたかもしれません。
「オレわかんないから」と言われても
手間を惜しまず手順をちゃんと伝えて
家主がやれることを増やしてあげればよかったのでしょうが
そんな家主に向き合ってるくらいなら
私が自分でなんでもやろう
あの頃から私は
そう思うようになっていました。
連日の夜泣き。
ある時どうしても体が起こせず
家主に
「赤ちゃんをちょっと見ててほしい」
そうお願いして私は横になったままの夜がありました。
泣き声はずっと変わらず聞こえてきて。
見てて欲しいと頼んだのに。
そう思って様子を見に行くと
「見ててって言うから、見てるよ」
泣いている長女を眺めている家主の姿がありました。
私は長女を抱き上げて
ゆっくり揺らしながら部屋を歩き
泣き声は静かになりました。
私の“見てて”とは、
こういうことだったのに…
その時にそう口に出して伝えるべきだったのでしょうが
私はそれをせず
家主をアテにすることをやめるようになりました。
娘たちが小学生だった頃、
私は週に1日、夜に習いごとに行っていた時期がありました。
その日はだいたいカレーを作っておいて
私は出かける、という感じで。
私のいないところに
会社から帰った家主は娘たちに
「あの人はまたお出かけですか」
と言っていたそう。
習い事を始める前に
私は家主に意向を伝えたとき
反対はされず
文句も言われず。
応援もされずではありましたが
無関心なんだろうくらいに思っていましたが
内心は面白くなかったのでしょう。
小学校高学年になっていた長女とは
私が不在の日に口論になることが多くなったようで
ある日とうとう
次女が泣きながら私に電話をしてきました。
「二人が怒鳴りあってる」と。
慌てて家に帰りました。
もう私が不在にしちゃいけない、と思いました。
そんな頃から15年くらい経ったでしょうか。
決して
「行くな」とも「出かけるな」とも
言わない家主。
むしろ
「どうぞ、勝手にしてください」と。
家主は15年前も
そして今も変わらずそう言います。
それでも
家主の顔色を変えないよう
遠慮してきた私でしたが
気を使うことを少しずつやめて
自分のための時間を楽しもうと
気持ちを入れ替え始めるようになり
フラのお稽古、
友人との約束、
実家に、などが私の時間ですが
毎日ずっと家で過ごしている家主にとって
私は
好きに出かけてばかり。
そして
家主のわかりやすい不機嫌な空気と
嫌味の強い独り言の捨て台詞を耳にする日々です。
私が自分の気持ちを優先しようとすると
その行動が
すごく居心地の悪い空気を生む。
これ、
どうしたらいいのでしょうね。