こんなことわざに出会いました。
堪忍する、とは
怒りを抑えて許すこと。
我慢すること。
“絶対に許せないようなことを許してやることこそが本当に許すということだ”
そんな意味になりますでしょうか。
我慢して許してあげましょうよ、
と言われているかと思い、
我慢を推奨するなんて
いつの時代の精神論なんだろ…
まずそう感じました。
そんな無理強い、いる?と。
なのですが。
少し時間が経つにつれて
だんだんと印象が変わってきたのです。
許せないことは
確かに許したくない。
ただ
許せない思いそのものが
自分を苦しめ続けていることになるのかも、
という気がしてきたのです。
許せないくらい辛い思いをしているのですから
本当なら一刻も早く
その辛さから解放されたいはずなのです。
なのに、
恨み続けている間はずっと
自分に辛い思いをさせ続けてしまう…
許す、とは
相手を咎めることをやめるのではなく
きっと
自分の心を自由にしてあげるということ。
それが
「ならぬ堪忍するが堪忍」
なのかもしれない、と私は解釈しました。
自分を救うために、堪忍を。
心に居座る
“ならぬ堪忍”な感情との訣別を
堪忍というのだと思います。
堪忍することで忘れられるのか
忘れられたら堪忍できるのか。
いずれにせよ
忘れてしまうことこそが本当の堪忍と言えるのかもしれません。
忘れちゃってる、というのは
幸せなことなのですね。
『人間は忘れるようにつくられているんです。
この「忘れる能力」というのは「救い」です』 瀬戸内寂聴 (作家・僧侶)