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特になにもないですが

堪忍する

「ならぬ堪忍するが堪忍」

こんなことわざに出会いました。

堪忍する、とは
怒りを抑えて許すこと。
我慢すること。

“絶対に許せないようなことを許してやることこそが本当に許すということだ”

そんな意味になりますでしょうか。


我慢して許してあげましょうよ、
と言われているかと思い、

我慢を推奨するなんて
いつの時代の精神論なんだろ…

まずそう感じました。
そんな無理強い、いる?と。


なのですが。

少し時間が経つにつれて
だんだんと印象が変わってきたのです。


許せないことは
確かに許したくない。

ただ

許せない思いそのものが
自分を苦しめ続けていることになるのかも、
という気がしてきたのです。


許せないくらい辛い思いをしているのですから

本当なら一刻も早く
その辛さから解放されたいはずなのです。

なのに、
恨み続けている間はずっと
自分に辛い思いをさせ続けてしまう…


許す、とは
相手を咎めることをやめるのではなく

きっと
自分の心を自由にしてあげるということ。

それが
「ならぬ堪忍するが堪忍」
なのかもしれない、と私は解釈しました。


自分を救うために、堪忍を。


心に居座る
“ならぬ堪忍”な感情との訣別を

堪忍というのだと思います。


堪忍することで忘れられるのか
忘れられたら堪忍できるのか。

いずれにせよ
忘れてしまうことこそが本当の堪忍と言えるのかもしれません。

忘れちゃってる、というのは
幸せなことなのですね。


『人間は忘れるようにつくられているんです。
この「忘れる能力」というのは「救い」です』  瀬戸内寂聴 (作家・僧侶)







コメント一覧

samgirly
@sevunn0007 コンGさま、おつかれさまです!
おっしゃる通り。
自分の行いも振り返り、相手をもう一度見直すことで、見え方が変わってくるものかもしれません。

人間だもの、ですね。
sevunn0007
寒さん
おはようございます♪〜
確かに、嫌な思いは忘れることはありませんね。
爺も別のサイトからこちらの
ブログに移ってきました。
忘れる事が出来ませんでした。
しかし、おっしゃる通り
忘れる事(難しいですが)
心の解放ができました。
思いなやんでも、自分も
つかれます。
仕事でもそうです。
嫌な事ばかり。
どこかで堪忍しないと
先に進め無くなる事は多々
堪忍してあげるのは
負けではない。
流れを止めていきつずけるのは
お互いに不利益です。
自分の行ないを振り返ってみて
相手をもう一度見直す
その心を持ち続けたいと思います
人間だもの。
だれにでも 間違いは
あります🙇‍♀️
堪忍❣️
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