レタス入りのたまご焼きを毎朝6時に焼く父親。
6時半ごろ、
部屋から出てきて、そのたまご焼きを食べてから会社に行く22歳の娘。
「いいお父さんねー」
「優しいお父さんで幸せね」
誰もがそう思うことを娘は知っています。
娘自身もありがたいと思っています……
ですが。
部屋から出てきて
食卓に置かれたたまご焼きを目にすると
『あぁ、またか』
そう思ってしまうのも事実。
毎日同じ。
冷めて少しかたくなった
塩味が強めのたまご焼き。
「ありがとう、いただきます」
そう言って、食べて会社に行く娘。
本当に感謝をしているのですが、
たまご焼きの気分じゃない日もあります。
前日の外食による胃もたれの朝もあれば、
インスタントのコーンスープだけで済ませたい朝も。
それでも
テーブルにはすでにたまご焼きが置かれ
作ってくれた父の気持ちを思うと
「今日はいらない」とは言えない娘。
ある朝、
娘はひと口食べて、母にそっとささやきました。
「今日のはちょっとムリ」
娘が出かけてから
母は父に聞いてみました。
たまご焼きは自分の分も作って食べてるの?
「いや」
そう、だったら
今日のたまご焼き、ちょっと食べてみて。
「うわっ、塩っからい!」
これまでいつも塩味強めだったのも
自分は食べないから気づいてなかったようです。
「俺は目玉焼きのほうがいいからさ」
以前、出勤前に何か食べさせてやりたいという思いから、レタスを入れたたまご焼きを作ったところ喜んで食べたから、とのことで
それ以来、毎朝。
喜ばせたくてつくってあげる父。
喜ばせたくて食べてあげる娘。
それぞれの思いやりが
それぞれに無理をさせているようです。
朝食は起きた順にそれぞれが勝手に、
そんな暗黙の了解があったはずが
誰よりも早く就寝し
誰よりも早く起きる父は
誰よりも朝早く家を出る娘のために、との思いからのたまご焼き。
せっかくの娘への思いやりが
娘に気を遣わせるものになってしまっているなんて思いもよらない父。
この場に居合わせていながら、
なんにも役に立てていない母が
この流れを変えるキーパーソンなのでしょうか。