【コピーライターになろう!】経験1年での転職活動は大変!
こんばんは。今日はお仕事がお休みで、大掃除をしていました。
いつか着るかもと思いながら、着ていない服、雑誌のバックナンバーなど、バッサバッサと捨てて、スッキリです。
今日の【コピーライターになろう!】は「経験1年での転職活動は大変!」です。
20歳でコピーライターとして、制作プロダクションで正社員として働き始めましたが、コピーの仕事がまったくなくなり、カメラアシスタントをするようにと言われましたが……、「やっぱり、コピーが書きたい!」と、転職することにしました。
ですが、コピーライター募集の求人はどれも、
「経験5年以上」「経験3年以上」と書かれています。
今となれば、3年でやっと半人前、5年で一人前というのがわかりますが、その頃の私が知るよしもなく……。
当時は、インターネットもまだ普及していなかったので、朝日新聞の求人欄を必死で見ていたことを覚えています。
それ以外では、宣伝会議のコピーライター講座を卒業していたので、宣伝会議の事務所に行くと、求人のファイルを見せていただくことができました。
「経験5年以上」「経験3年以上」と書かれていても、とにかく応募するということを続けていると、ほとんどの会社からは履歴書が送り返されてきましたが、2社だけ、面接をしてくださるというお返事が来ました!
1社目は、北浜にあった「グループ現代」という会社です。
面接では、1回目で社長が出てこられました。
これは、クリエイティブの転職では珍しいと思います。
1回目は現場の担当者、2回目か3回目で代表という会社がほとんどです。
経験1年で、コピーと言っても、ラジオCMしか作品がなかった私は、雑誌の広告を切り取り、自分で考えたコピーをワープロで打って、貼り付け、ポートフォリオを作っていきました。
作品を一つひとつ丁寧に見てくださった社長の口から出た言葉は……、
「これは、コピーではなく、ポエム(詩)だね」
というものでした。
厳しい〜〜〜〜と思いましたが、確かに、コピーを勘違いしていた時期です。
後日、「残念ながら、今回は……」とお断りの手紙が届きました。
残りはあと1件、本社が神戸の三宮にあり、支社が大阪の大国町にあった「ジューサン」という会社です。
大国町というのがあまりにも怪しかったのですが、面接をしていただけるということで、喜んで三宮まで出かけました。
一体、どんな面接だったのかは、明日、ご紹介します。
【コピーライターになろう!】
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こちらは、コピーライター&児童文学作家
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