おはようございます。
昨日はコーナンに収納ボックスを見に行きました。
お風呂の前に、長女のシャンプー、三女の洗顔用品などが散らかっています。
「天馬」さんというメーカーの収納ボックス、5段もあるので、すべて収納できそうです。
さて、今日の【コピーライターになろう!】は、「転機はチャンス!」です。
コピーライターになって3年目。
2社目の制作プロダクションでは、メーカー系のカタログやセールストークブック、大手量販店のチラシ、ガス会社の広報誌、岡山のコンベンション用パンフレットなど、多岐に渡るコピーを書かせていただきました。
お仕事が早く終われば、社長や職場の仲間と飲みに行き、社員旅行は東京ディズニーランドに連れて行っていただき、いただいたお給料でブランドの服を買いまくり、まとまったお休みには友人と海外旅行に出かけ、充実した毎日を過ごしていたわけですが……、転機が訪れました。
そう、バブルがはじけたのです!
お仕事が激減し、大阪支社は、大国町にあった広々としたオフィスから、うつぼ公園のそばにある小さなマンションの一室に引っ越しました。
本社では、社長が肩たたきをする姿を何度も見ました。
悔しさや情けなさから、目を真っ赤にしているデザイナーさんを何人も見ました。
このまま、この会社にいて、どうなるんだろう……。
ずっと忙しい日々を過ごしてきたので、ひまになることが一番苦手です。
3年経験を積んだし、ほかの会社も見てみようか……。
もしかすると、バブルがはじけても忙しい会社はあるのでは……と、退職する前から、転職活動を始めました。
転職活動といっても、朝日新聞や雑誌『宣伝会議』の求人広告を見たり、コピー年鑑の巻末に掲載されているコピーライターの所属事務所を調べる程度。本格的には動き始めていませんでした。
会社に行くと、お仕事が激減し、在籍するコピーライターやデザイナーは3分の1になり、大阪事務所はとうとうチーフデザイナーと私の二人きりに。
神戸のお仕事はあっても、大阪のお仕事はほとんどなくなってしまったのです。
「やっぱり、転職しよう!」
決意を新たに、梅田にある宣伝会議の大阪支社を訪れました。
まだまだインターネットが一般的ではない時代。
宣伝会議のコピーライター養成講座を卒業した人は、事務所で求人のファイルを見ることができたのです。
分厚いファイルにいくつも求人の用紙がはさまれていましたが、「経験5年以上」という条件の求人が多く、なかなかピンとくる会社が見つかりませんでした。
そのとき、事務所に現れたのが、宣伝会議の養成講座を受講していたとき、お世話になった社員さんです。
パラパラとファイルをめくりながら、浮かない顔をしている私に、社員さんがサラリと行ったのです。
「東京、行っちゃいなよ」
と、東京!?
私の頭の中にはこれっぽっちも「東京」の文字はなく、さぞ、驚いて間抜けな顔をしていたと思います。
「広告の仕事するなら、東京だよ、東京」
そう畳みかけられ、確かに……と思いました。
『コピー年鑑』や雑誌『アドフラッシュ』に掲載されている作品は、当時、東京で展開されているものが圧倒的に多く、大阪でそれらの広告を実際に見ることはほとんどありませんでした。
大企業の本社はほとんど東京にあり、関西に本社のある会社は少なく、しかも本社が関西にあっても、広報部や宣伝部は東京にあるという会社が多かったのです。
「東京ですか……」
そのときは、「ないないない」と思いながら事務所をあとにしたわけですが、時間が経つにつれ、
「いや、なくはないかも。このまま大阪でくすぶっているのか……。自分の夢は何だっけ……。そうだ!『コピー年鑑』に掲載されるようなコピーを書きたいんだ!」
そう思い、東京へ行く決意を固めます。
24歳での東京進出はうまくいったでしょうか?
明日、ご紹介させていただきます。
【コピーライターになろう!】