私、20年ほども前の話です。佐倉から、新橋や、麻布のオフイスに、長躯、電車通勤をしていました。
それ、いい時代だったので、夜の巷でうろうろし、帰宅の時間になって正気にかえり、電車でもどってくるのです。
青砥駅で京成本線に乗り換えるのです。
その時、目にする立ち食いのそば、ことに冬など、おつゆのいい匂いがします。
丁度、小腹が空いてくるので、電車接続の間合いを気にしながら、きつねそばに七味をガンガン振りかけて、ふはふは喰うのです。
おいしい、今もそういう記憶が蘇ります。
この駅で電車を乗り換えしなかったらどうなるかといえば、我が家の方角とは違う千葉ニュータウンへ行ってしまいます。
当時の千葉ニューは、ほとんど未開発の荒野でした。
終電近くになって、千葉ニューに行ってしまうと、万事休す。
立ち往生になって、そこらにはタクシーすら居ないのです。
だから、この駅でそばを喰うというのは、安全な一日の終わりなのでした。
このそばやは、随分古くからやっているのです。
それで、今でも、これを目にすると、哀愁も、郷愁も、軽い後悔の念も蘇るのです。
ほれ、店の入り口の両翼に、公衆電話が神社の狛犬のように控えています。
まだ、携帯電話のない時分、ここから家に、家内に連絡したりしていたんだと思うのです。
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