現行法には、八百長を罪とする法律がないため、警察から文科省へ情報として送られたのである。
罪には問えぬが、これを放置することは社会の価値基準に照らし、問題ありという判断だったのだ。
相撲は国技といわれているが、相撲界のありかたが、外国ではとても通用されない慣行が多く、スポーツとされないのではないか。
それで、相撲は日本でだけしか行われない。
部屋の制度
徒弟制度の頂点に到達した力士が、部屋というのれんを買って親方になり、若手を育成したり、支配下に従える。
十両以上は、正規の報酬があるが、それ以下のその他大勢の幕下は、無給奉仕、雑用やちゃんこ番、付き人に甘んじる。
実力ある関取の賞金、報酬や声価から親方がぴんはねすることによって部屋が維持存続できる仕組み。
これでは、とても若手が寄り付かない。また、星の貸し借りが横行する土壌になっている。
親方も相撲協会の雇われ人だそうではないか。
相撲界を覆いつくすごつつあん体質と、それを取り巻くたにまち気質。
後援会というのがあって、これがまた曲者なのだ。
相撲茶屋のしきたりや、本場所、地方巡業などの興行に入り込む利権の暗部。
真剣勝負の取り組みなら、価値も感動もあって、スポーツとして価値がある。
勝負の経過と結果を予め談合して仕組むというのでは、これはスポーツじゃない。
また、社寺の勧進相撲、蒙り御免の昔から、八百長の入り込む体質はあったのだろう。
アマチュアの学生相撲には金銭対価がなくて八百長はなく、母校の栄誉のために練習に励み、体力と技を練磨するではないか。
それなら、スポーツとして十分評価してよい。
相撲協会は、先ほど、暴力団との訣別を誓ったのだが、それだけではだめだ。
上記の悪しき体質、力士の上下の身分の差など全てを見直しせねばならない。
そして、八百長は悪である。もしそうなら永久追放するとの綱領を徹底すべきである。
大相撲には魅力もあり、それによって多くの人が糧を得たり、賑わったりもしている。
私は、大相撲が八百長でぽしゃってしまうのは、何とも残念なのだ。
子供だって、相撲して遊ぶではないか。
白鵬が頑張っている。魁皇が頑張っている。
これらの真剣なアスリートたちが夢を失わぬように、若手が、目を輝かせて就職してくるように、相撲協会の一からの出直しに期待せざるを得ないのだ。
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