サンズ・トーク

浅草寺の雷門について

先月、中学の同期の旧友F君が上京したので、連れ立って隅田川を水上バスで遊覧、浅草寺に詣でた。
私としては、雷門はいつものことで格別の思いいれはないのだが・・・・。

例の大提灯の下をひょいとくぐったら、松下電器の松下幸之助が寄進したとあったのだ。



調べてみたら、松下さんは、昭和35年(1960)に雷門と、そこへ吊るす大提灯を寄進されたのだとか。

江戸の町は火事が頻繁に起こる。慶応元年(1865)田原町から発した大火があって、雷門が焼失。
その後、博覧会記念とか、戦勝記念などで仮設の門ができたりしたが、本格的な門はなしのまま戦後まできたようだ。

松下さんは、このころ健康を害され、浅草寺にお参りしたご利益で快癒されたんだとか。
それで、お礼に雷門と大提灯を寄進されたのだ。
このころの世相は、池田内閣がスタートして所得倍増計画が発表された。
カラーテレビの本放送が始まった。
60年安保で全学連の争乱があった。
昭和32年 松下幸之助さん長者番付第1位。
昭和33年 1万円札発行。東京タワー完成開業。

現在では、松下電器はパナソニックに変わっているが、巨額の大赤字で株価暴落、400円を割り込んだ。
昔の松下さんは、庶民に愛される商品づくりに集中することで、大衆の支持を得、会社を超優良会社に育てた松下さんだった。
今のパナソニックには、その面影の片鱗もないのが寂しいかぎりである。

ご参考
雷門についての過去の記事

http://blog.goo.ne.jp/san-gblog/e/b1745bce2fe580c7bdcf32e941add6a2

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