ふるさとの 訛なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく
啄木は岩手の渋民村から上京、貧窮のなかで文学、新聞記者などいろんなことをやってたそうだ。
上野は東北方面からの玄関口で、啄木は淋しくなると上野へ来て、故郷の息吹きを感じたことだろう。
碑の立っている場所は、今、雑駁きわまる商店街で、東北訛りも聞けるだろうが、今では中国語や韓国語も飛び交うすごいところになっている。
同じ短歌の碑は、上野駅構内のプラットホームにも立てられているそうである。
啄木の短歌は、いまでも色褪せることなく本当に数々の歌が思い出されるが、肺を病み、わずか26才で生涯を閉じたそうだ。
私、啄木の歌というと、格別深い思い入れを持っている。というのは、私は、終戦後、2年ほど函館に居た。そして、弥生小学校から弥生中学校に入った。
その学校は今でもあるが、啄木は、函館に居たとき、その同じ小学校で代用教員をしていたそうなのだ。
そして彼の墓と、有名な歌の碑が函館の立待岬にある。
東海の 小島の礒の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
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