歌舞伎座から晴海通りを少し東側にゆくと、松竹会館があり、やや引っ込んで新橋演舞場がありました。 首都高速の有料道が半地下になって走っており、丁度、このあたりで蛇行していて、走ると蛇行がわかるのだが、その上に新橋演舞場があるとは、地べたを歩いて見なければわからないのでした。 多分、この首都高の道筋は、築地川が昔流れていたのだろうと想像するのでした。 その証拠に、万年橋とか采女橋とかの地名があります。 新橋の地名になった橋も、この川の下流にあったのでしょう。 新橋演舞場 西郷輝彦と藤山寛美がでていたようです。 演舞場の前に料亭「金田中」がありました。