右側に神田川と緑色の柳橋が見える
もちろん、現在は中小自営業が密集、あとマンションがあったりする地域なのだが、市井に生きる庶民や名もなき流れ者、さむらいが登場する時代物の舞台になった地域なのだ。
柳橋は、江戸中期以降、花街として殷賑(いんしん)をきわめた。
お白粉の 風薫るなり 柳橋 子規
柳橋稲荷は、芸妓組合と料亭組合がスポンサーだった
芸の字のこれが本字なのだ(さすが芸が細かい)
宿泊、飲食、密会や待ち合わせの場所、舟や駕籠での送迎など、多目的に重宝された舟宿は、
池波正太郎、山本周五郎 の小説にしばしば使われているのだ。
きれいどころ、ありやなしやとそのあたりを見回すと、おばちゃんが犬を引いて散歩していた。
ちょっとなまめかしく、んーと、それほどでもなかったかな。
( ここらが、正直いって私が小説家じゃない正直なところ )
橋のたもとに、小松屋という舟宿が今でもやっている。
写真を良く見ると、入り口の障子の開いている奥に、おかみさんらしい人が流しの上で手仕事をしている。
神田川の川筋は、昔は、舟や舟宿をすき者が逢引きに使ったり、情緒があったらしい。
現代では、ちょうちんを連ねた遊覧用の舟が並び、ハトバスのお客さんなどを川筋からお台場までぐらい、あるいは花火見物など、飲食つきで案内してくれる。
今はほとんど団体さんばかりなのだ。カラオケがあったりして。
柳橋の橋は変哲もないが、欄干を見ると、花かんざしの飾りが沢山ディスプレーされていて雰囲気を出している。
柳橋の西側は、浅草橋で、人形やアクセサリー小物、雑貨の卸の店が一杯ある。昔から職人の街なのだ。
余計なことだが、私は、池波の「鬼平犯科帳」がすきだ。
読むたび、いつも思うことは、目明しや密偵が容疑者を追って張り込みをするシーン、状況を上司にに報告したり、尾行するとき、必ずつなぎという連絡係が必要になっている。
それを思うと、今の携帯電話は、いわゆるモバイルだし、カメラがついていたり、GPS機能もあるなど、実に文明の利器だと思えるのである。
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