★『都の風』 第19週(109)
脚本:重森孝子
音楽:中村滋延
語り:藤田弓子
題字:坂野雄一
考証:伊勢戸佐一郎
衣裳考証:安田守男
出 演
悠 加納みゆき:京都の繊維問屋「竹田屋」の三女。
雄一郎 村上弘明 :悠の夫。「吉野屋」の息子。毎朝新聞の記者に復帰
お常 高森和子 :奈良の旅館「吉野屋」の女将、雄一郎の母
喜一 桂 小文枝:雄一郎の父
笹原 原 哲男 :雄一郎の住む長屋の部屋の元住人、「水仙」に夫婦で引越す
薫 大塚麗衣
【子役】雄一郎・悠の長女(赤ちゃん)
アクタープロ
お初 野川由美子:「水仙」の女将。かつて「おたふく」の女将で悠を預かっていた
制作 八木雅次
美術 田坂光善
効果 村中向陽
技術 宮武良和
照明 綿本定雄
撮影 八木 悟
音声 田中正広
演出 小松 隆 NHK大阪
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朝靄の中を、少年が長屋に新聞を配達をしている
昭和25年8月、
5度目の終戦記念日を前にして、雄一郎は、朝鮮戦争によって日本の経済が上向きになっていくことより
日本が再び戦火に巻き込まれてしまう恐れと不安を、体の不調と戦いながら全力で書き上げたのです。
終戦記念日を前にして の小見出しの記事を読む悠
「戦争を放棄した日本が隣国の不幸によって経済的に立ち直り、
あの戦争の苦しみに対して不感症になってしまうこと、
そしてやがては再びあの苦しみの中に、民衆自身が巻き込まれてしまう恐怖に対して
1人1人が勇気をもって立ち向かうべき時ではないだろうか。
あの広島を忘れてはならない。再び繰返してはならないのである」
「やっぱり私の旦那さんはすごい!」
雄一郎がおきてくる
「あ、起こしてしもた?」
「当たり前や。そばであんな大声出されたら、薫も起きる。夢も覚めるよ」
「どんな夢見てはったんですか」
「内緒や」
「うーん、いけずぅ。教えてくれはらへんと、これ見せてあげません」
悠は雄一郎が手にとった新聞を、とりあげた。
「どや」
「うちはホンマに立派な旦那さん持ってよかった」
「新聞記者になって、初めて思ったこと書いた。終戦前の日本じゃ考えられないことだ」
「(うん)」悠は「あ!」と手を打って
「せや。女将さんのとこ行って、ぶ厚いビフテキ、食べさしてもらいまひょ」
「あはっはっは。俺はいいよ」
「食欲ないんですか? 寝てんとあきません」
「いや、そうもしてられない」と雄一郎は着替え始める
「世の中はお前のように、俺の言うことなら何でも聞いてくれる人たちばかりじゃない。
特需で儲けている人たちは、この記事に反対するだろう。
儲けて何が悪いと、こんな記事目にもとめない人たちに、戦争の悲惨さを体験した日本人として
今、何をしなければいけないか、考えてももらわなければいけないんだ。
戦いはこれからなんだよ」
「それは、ようわかりました。 せやし今度は私の言うことも聞いてください」
「ああ。お前の言うことなら何でも聞いてやるよ」
「出社しはる前に、いっぺん、お医者さんに行って下さい。
食欲はないし、時々めまいは起こしはるし」
「夏バテだよ。ちょっとはりきり過ぎた。それにお前が大阪に押しかけてきたからな」
「私がねき(そば)にいること、そんなに迷惑ですか」
「そんな筈がないだろ?」
「お前や薫がそばにいてくれて、どんなに気が休まったかわからない」
「うちは、親子三人だけの生活がこんなに楽しいものとは思わへんかった。
奈良のお義母さんには悪いけど‥。 これであんたが元気やったら、うちはもう何にも言うことありません」
「せっかくそう思って下さるのに悪いんですがね、明日からしばらく親子2人になる。
広島に主張だ。来週の終戦記念日の取材に行く」
「それやったらお願いです、いっぺんでいいんです、あたしのためにお医者さん行って下さい。
診察してもらえへんのやったら、うちも一緒に広島に行きます」
「お前は一度言い出したら、ホンマにやりかねんからなぁ‥。 ハイハイ、必ず行きますよ」
「おおきに。ほな、すぐにご飯の支度します
」
吉野屋
新聞を読んでいる喜一。
お茶を持ってきたお常が「雄一郎もやっと一人前のことが言えるようになりましたんやなぁ」
「やっぱり、わしと違うわ。嫁さんが優しいと、男もやる気になりまんねんなぁ」
にらむお常。 喜一は新聞に隠れる
「そうですか。私も悠みたいに、旦さんのことだけを考えんといかんかったんですな」
「そんなことしたらここの旅館、潰れてしもうてますがな。
あんたが一生懸命頑張ってくなったさかいに、今まで生きてこられた」
にこっとするお常
悠に見送られて雄一郎は出社する。
「今日は早う帰って来てくださいね。おいしいもん食べてよう休まんとあかんのです」
「よし、それなら今晩はお初さんのところで、ビフテキ食わしてもらおう」
「ホンマですか」
「お初さんのこと思い出したら、急に元気になった」
「いや~、良かった
ほな、お昼休みに行きましょ、その方が女将さんも暇や言うてはりましたし。
ボンボンはまだ挨拶にも来ぃひんって怒ってはりましたえ」
「えー。お前のお母ちゃんは思い出したらすぐだから困るんやな」
抱っこした薫に話し掛ける雄一郎
「さ、薫、おいで」
「じゃあな」
「おはようお帰りやす。お昼ですよ、忘れたらあきまへんえ」
「わかったよ」
お昼の水仙
「わー、よう来てくれたな。さ、どうぞどうそ。遠慮せんと入ってんか」
「うわー、すごいな、さすがおたふくの女将さんだ」
「ははは!」
「この部屋だけがな、わてのもんや。あとは全部借金」
「へ~」
「ささささ、座ってんか」と座布団を出すお初
「いや~、ボンボンが悠の赤ん坊抱いてるやなんて、夢みたいやな
」
お初は精二の写真のある仏壇を見て
「精さんに、一目見せてやりたかった‥。
ボンボンが悠のこと、好きやって一番最初に見抜いたの、精さんやった。
そーんなとこに突っ立ってんと、こっち座って、な」
2人は、精二の仏壇に手を合わせた
「似合いの夫婦になるやろな 言うてな、2人で雑炊売りながらいっつも話してましたんや。
何にもない時やったけど、一番楽しい時やった。
わてはな、済んだ事はくよくよせんタチやけどな、空襲の日だけは忘れられん。
わてもこんな1人ぼっちになるんやったら、精さんとの子、産んどいたら良かったなー」
お初は、薫の手をあやしながら言った。
「今となってはもうどうしようもないけどな。 ボンボン?
ちょっと、あんた一回り小っちゃくなったんと違うかなぁ? こっち向いてみぃ?」
「そうですかね?」
「うーん、やっぱり‥痩せたんと違うかなぁ」
「女将さんもそう思わはりますやろ?
けど夏バテやって言わはって、お医者さんにも行ってくれはらへんのです」
「うるさい女房と子どもに、身を削られてるんですよ」
「あは! いっちょ前のことを言うようになってからに。
せやけどな、病と借金は人に隠すな 言うてな、
ほんなもん隠してたら、手当てが遅くなってしまいます。
わてを見なはれ、誰かれかまわず借金してるー借金してるー って言いまくってまんねん。
誰かが助けてくれはるかもしれん、‥‥ 全然、あかんけどな」
「うふふ」「あはは」
「女将さん」「はい」
「今日は特大のビフテキ、食べさしてくださいよ」
「あほな、高い高いそんなもん、会社のツケで食べられるようになったらおいで」
「今日の新聞は? どこにあるんですか」と悠
「新聞? 台所やと思うけど、何でや」
「昔、雄一郎さんの書いた記事が新聞に載ったら、ビフテキ食べさしてあげるって約束しはりましたやろ」
「え゛ーっ。そんな約束しました?」
「ああ」
「この2人にかかったら、お初さんも、かたなしや。よーっしゃ特大奢りまひょな」
「お良っさん、お良さ~~ん、今日の新聞、もって来て~」
「まず読んで見てくださいね。ますます好きになってしまうような記事書かはったんですから」
「ようよう。わての前であんまりのろけんといて。1人身には、毒やでー。
わてはなぁ、もう男に惚れるのはやめました。精さんほどの男はおらんよってな」
「(うんうん)」と頷く雄一郎
新聞を持ってきたのは笹原だった。「すんません、女房のヤツ、用足しに行ってまして」
お初は新聞を読み始めた
「笹原さーん」
「あ、奥さん。その節はいろいろとお世話になりまして‥‥」と頭を下げる笹原
「元気そうにならはって。良かったですねぇ」
「おかげさんで女将さんの紹介で鉄工所で働かしてもらいまして、その上住むとこまでお世話してもろうて」
「そんなん、困った時はお互い様や」
「それより、どこや、どこに書いてあんの」
「えーと、ここ、ここですね」
「いやー、難しい字で、漢字ばっかりやでー。へー、まぁけど立派なもんやがな。
ちょっと、笹原はん、ちょっとこれ読んで見て」
「それなら、今 読みましたけど」
「どやったた」
「なんや、腹立って来ましてなぁ」
「何でですか?」 と悠
「今、食うに困ってへん奴が書いたんやと思ったらねぇ」
「そんな、あんた」とお初
「じゃぁ、笹原さんは、今の景気を素直に喜べるんですか」
「食料や仕事がのうて、栄養失調で死にそうやったことを思うと、仕事があるだけでもありがたいことですわ」
「その仕事が隣の国の人たちの犠牲の上でもですか‥」
「仕事がのうなったら、どないして食うていきます。
誰が女房・子ども面倒見てくれまんねん。
この記事書いたやつかてそうですわ。どうせ今の景気のおかげでぬくぬくと暮らしてんのと違いまっか。
そいつが何をぬかすと思うたら、腹立ってきて、書いたヤツいっぺんどついてやりたいぐらいですわ」
「‥‥」 雄一郎を横目で見る悠
「書いたのは僕です」と雄一郎
「‥ まぁ、そんなとこでっしゃろな。 インテリの自己満足というやつですわ」
「主人は自分のために書いたんと違います」
「悠、お前は黙ってなさい」
「笹原さん、私は主人がこれをどんな思いで書いたかよう知ってます。
今は隣の国の戦争でも、いつ世界中の戦争になるかわからしません。
生活することは大事です。でもそうなる前に、1人1人が考えんといかんと言ってるんです」
「考えてメシが食えるんやったら、なんぼでも考えまっせ」
「それは言い逃れです!」
「もうやめなはれ」とお初
「難しいことはようわからんけどな、あんな戦争だけはもうごめんやで」
「女将さん、女将さんかて、戦争で儲けてることになりまんのやで」
「何やて?」
「このお店に来はる人かてね、みーんな、戦争で儲けている人ばっかりと違いまんのんか。
今何か金儲けをするということは、どっかで戦争に加担してるということになりまんのや。
そやから、そんな恐ろしいことはやめろ、この男は言うてまんねんねや」
「残念ながらその通りです。
しかし私が言いたいのは、個人個人の生活が豊かになることで、
知らず知らずに、人間の本来のあり方を見失ってしまうことを、一人一人に気づいてほしいということです」
「人間のあり方? あほらしいわ。
なんぼあんたがこんな記事書いたかて、世の中、何にもかわらしまへんで。
腹が減ってる時に目の前に食いもんがあったら、飛びつきます。
それを知ってて食いもんぶら下げる人もいてまんねん。
そんな人に何を言うたかて、聞く耳をおまへんわ。
まぁ、あんたにはいろいろお世話になって、えらそうに言えた義理ではないけど、えらいすんません」
そう言って笹原は部屋から出て行った
「笹原さん」雄一郎は後を追おうとして立ち上がり、倒れかけた。
「あんた、あんた!」 悠がかすれた声で呼びかける
「ボンボン、ボンボン」
「あんた!」 悠に抱っこされた薫も、お父ちゃんのことを心配そうに見ている‥‥
(つづく)