脚本:重森孝子
音楽:中村滋延
語り:藤田弓子
出 演
悠 加納みゆき:京都の繊維問屋「竹田屋」の三女。
雄一郎 村上弘明 :悠の夫。「吉野屋」の息子。毎朝新聞の記者に復帰
笹原 原 哲男 :雄一郎の住む長屋の部屋の前住人。もと地主
良子 末広真季子:雄一郎の住む長屋の部屋の前住人(笹原の妻)
坂井 河野 実 :「毎朝新聞」の記者、雄一郎の元同僚
長屋の女 タイヘイ夢路:笹原の部屋から出て行かない老婆
キャストプラン
アクタープロ
お初 野川由美子:「水仙」の女将。かつて「おたふく」の女将で悠を預かっていた
・‥…━━━★・‥…━━━★・‥…━━━★
薫をおんぶしたまま、お初と抱き合って泣く悠
お初との9年ぶりの再会に、悠はただ言葉を忘れて生きていたことを喜びあったのです。
「あ、せや。女将さん。笹原良子(よしこ)さん、呼んでください」
「何や知り合いかいな」
「詳しいことはあとで話します。なんやご主人がお腹が痛いって倒れはったんです」
「えーっ。そらえらいこっちゃがな」
お初は店に呼びに行こうとしてから、ちょっと戻って悠にハンカチを渡した。
「およっさん、およっさーん」
「はーい」と良子が出て来た。
「あら、悠さん。 何でっか、女将さん」
「女将さんて、ほなこんな立派な料亭の‥」
「うんうん」と笑うお初
「何ですの」
「笹原さん、ご主人が」
「あら、死んでしもうたんでっかいな」
「まさか! お腹痛いって倒れてはったんです」
「またでっかいな。押入の箪笥の中に、お茶の缶の中に薬、入ってまんがな。
飲ましてやっておくなはれな」
「ちょっとお良っさん、何や、そのものの言い方は。
あんた、その男に惚れてまんのやろ」
「うーん。そらまぁな」
「じゃぁ、さっさと帰んなはれ」
「それかて これから忙しくなりまんのに!」
「お良っさん、あんたそのご亭主のために働いてまんねやろ?」
「そらまぁな」
「だったら、はよう帰んなはれ。どうでもいい人なら別れてまいなはれ」
「ほな帰らせてもらいます」 良子は急いで家の方へ向かった。
「ちょっともかわってはらへん」
「あんたの笑顔も同じや」
あーん と泣く薫に「あーあー、びっくりしたびっくりした?」とあやすお初
「この子、あんたの?」
「はい。お父ちゃんは、吉野雄一郎 いいます」
「‥‥! そうか、そうやったんか。なぁ、ほらボンボンに良く似て‥ 元気やなぁ。女の子」
「はい。薫です」
「薫ちゃん。んーん」
「わてな、ボンボンが奈良の時分の家に連れて帰った時から、何やそうなるんとちゃうかなぁ思ってたんや。
嬉しいなぁ。わてが結びの神みたいなもんや!」
「うちも、大阪が空襲で焼けたときも、どっかで女将さんは生きてはる、そう信じてました」
「うんうん」
「あの、板場さんもご一緒ですか」
「(ちょっと顔がかわる)ん、、ま、こんなとこでは何だから入って入って」
「これから忙しくなる時ですやろ? また雄一郎さんと一緒に来ます」
「せやな。ほなもうちょっと早い時間の方がええな」
「けどまぁ、こんな立派な料亭の女将さんやなんて、さすがですねぇ」
「ここ全~~部な、借金。あっはははは!」
悠が帰ってみると、笹原夫婦はまたケンカをしていた。
「ウソばっかりついてからに、ホンマにもう!」
「すまん言うてるやないか」 鍋? が外まで飛んでくる
「あんた、死んでしまったらええねん!」
「今死ぬんやったら、とうに死んでるわ」
新聞社で勤務中の雄一郎は、かなり疲労しているようだ。
肩を叩き、首を回し、こめかみを押さえる。
坂井が入って来た 「おい、無理するな。顔色が悪いぞ」
「いや、大丈夫だ」
「貧血気味なんじゃないか。今日はもう寝ろ」
「いや。もうちょっとやるよ。
5年前広島で友人を探し回った時、もう草木も生えるのも信じられなかったのに」
「うん。自然の力はすごいさ 」
「いや、そういうことじゃない。
土の中に込められた、あの悲痛な叫び声を忘れて生き返ろうとするのはおかしいよ。
俺は今度こそ、俺の思った通りのことを書くよ」
長屋ではゴム飛びをして遊ぶ女の子たち(*^_^*)
悠は薫に離乳食を食べさせながらお話し
「今日はお父ちゃんは帰ってきはるやろかなぁ~。
なんやもう長いこと、会うてへんみたいなもんなぁ」
コロンと寝かされると、ふえーんと薫。「おとなしくしててや」
「あのー」と、こちらも座布団を枕にして寝ている笹原が、悠に話し掛ける
「良子はもう行きましたんかいな」
「はい」
「笹原さんもお粥さん、食べはりますか。食べんと元気が出えしませんし、すぐあっため直します」
ゆっくり起き上がる笹原 「すまんことです」
「お腹が痛いの、いつごろからなんですか?」台所で包丁を使いながら訊く悠
「さぁなぁ。時々、引き揚げ船のことが頭の中をよぎると、腹が痛うなってきますんや。
神経でっしゃろなぁ。
うちの奴が船底でもう死んでしもうた子どもに、出もせんおっぱいを飲ましてましたんや。
引き離すのに、男三人の力が要りました」
包丁の手を止めて、笹原を見る悠
「女房のヤツ、忘れているわけがないのにそんなことおくびにも出さず、よう働いてられると感心しますわ。
それでも時々、夢にでも見るのか、寝ながら布団を子どもを抱くみたいにして抱いてます。
ワシも慰めてやったらええのに、それがでけへんもんやさかい、ついついケンカになってしまいましてな。
ま、あんたが来てから毎日ケンカばっかりするのは、あんたが子どもを抱いている姿を見るのが
たまらんのでっしゃろな」
「‥‥」 お粥をよそう悠
「いや、何もあんたに罪があるわけやないのに、誰に怒ってもしょうがないのに」
お粥のお盆を笹原の前に置く悠 「おおきに」
「はよう仕事見つけて出ていきまっさ。もう少し辛抱しとくなはれや」
「すいません」
そこに「ごめんやっしゃー!」と日傘をさしたお初
「こんなとこに住んでんのかいな」
「女将さーん!」
「いや、お良っさんからいろいろ事情は聞きました。
けどこんなことなら、悠、家においでな。ここよりはましやで」
「はぁ。それやったら、笹原さんご夫婦を住まわしてあげてください」
「‥この人、お良っさんのご亭主」
「はい」と悠。 情けなさそうに正座する笹原
「何とまぁ、漬かり過ぎたなすびの漬物みたいに、色かわってるがな。
ちょっとあんさん、男やったら、もうちょっとしっかりしなはれや」
「へえ。良子がいつもお世話になって」
「男のくせに神経の病気になるやなんて、どうしようもないで!
あのなぁ、うちのお客さんで鉄工所の社長さんがいてはりまんねんやわ。
で、その人にお宅の働き口、頼んでありますさかい」
「え、ホンマでっか」
「ええ、お良さんがな、初めていろいろ話してくれましたんや。
ほいで、働き口頼む、言われたら、何にもせんわけにいきませんやろ」
「おおきに」
「戦争でな、大事なもんなくしたんは、あんたらだけやない‥」
その口調に、悠はお初の方を見た。
悠とお初は、乳母車に薫を乗せて散歩に出た
「あの頃、『おたふく』守るために、わても精さんも必死やった。
2人の命やったしな、『おたふく』は。
爆弾落とされるまで、雑炊売って、守ってましたんや。
わての上に火柱が倒れかかって来て、それ見て精さん、わての上に覆い被さってくれた。
わての身代わりになってくれはったんや。
気が付いて、やっとの思いで火柱から抜け出した時、精さん‥
精さんは、わての最後の男や。 その精さんのためにも大阪一の料亭の女将になってやるって
精さんのお墓に誓うて、この5年間時分ずっと働きづめやった。
あてがな、ちょっと間(ま)世話た旦那はん、いはったやろ?
あの人がな、闇屋で大もうけしはってな、あの料亭買う時に、色恋抜きでぽーんとかしてくれはった。
ありがたいこっちゃ。 世の中は持ちつ持たれつ。
なんぼ新しい世の中になったって言うてもな、恩義さえ忘れへんかったら、
ちゃーんといいことはめぐって来ます」
「うちもそう思います。あつかましいと思ってた笹原さんのおかげで、女将さんとこうしてお会いできたんやし」
「そうやがな。そのためにも、家においでぇな。ボンボンもその方が安心して仕事ができるのとちゃうか?」
「はぁ。けどやっぱり笹原さん、住まわしてやって下さい。
女将さんと一緒やったら、うちはいっつも甘えてしまうし。
雄一郎さんと薫と、いっぺん三人で生活してみたいんです」
「相変わらずやなぁ。いっちょ前の口だけは利いてんねんやな」
「はいっ」
「うふふふ。よっしゃ。ほな、あの人らに貸しましょ。
わてもな、お良さんがそばにいてくれた方が都合がええしな」
「すんまへん。せっかく言うてくれはったのに」
「それよりな、ボンボンにいっぺんゆっくり顔見せて、言うといて。な。
薫ちゃーん(と乳母車を覗き込んで)今度な、お父ちゃんと一緒に来てや。な」
長屋では、悠が広くなって部屋の掃除をし終えた
「なぁ、薫。やーっと親子三人で住めますなぁ」
そこに雄一郎が帰って来た
「お帰りやす」と悠は雄一郎に抱きついたが、雄一郎はふらついてしまった。
「あ、堪忍! 具合悪いんですか?」
「いや、ちょっと疲れた‥‥」
あーん とちょっとぐずる薫に「ああ、よしよし」と、隣に横になってあやす雄一郎。
悠は雄一郎の額に手をあてる
「ちょっと熱もあるみたいやし すぐお布団敷きます」
「いやいいよ。お前の顔見ると疲れもとれる」(あ! 薫ちゃん、寝返りして腹ばいになった~~)
と薫のほっぺたをつんつんする雄一郎
「私の顔は?」
「ん? 熱が出るよ」
「ひどーい」
「かわい過ぎて熱が出るって言ってるんだ」
「そうそう、原稿ができたんだ、読んでみるか?」
「はいっ」
雄一郎はカバンから茶封筒を出し、悠に渡した。
『終戦記念日を前にして』と原稿用紙に書いてある
「立派なもんですねぇ」
「ばか、それは読んでから言え」
「はい」
「まずその前にメシにしてくれ。お前の顔見たら腹が減った。
ずっと食欲がなかったんだよ」
「はい」
悠は茶封筒を箪笥にしまってから言った
「ものすごいええことあったんです」
「笹原さんが出てったんだろ? 電話で聞いたよ」
悠は丸テープルを出し、拭きながら言った
「どこへ行かはったかは、まだ話してませんやろ?
帰ってきたら話そう思って楽しみにしてたんです。
雄一郎さんのこと、ボンボン言わはるお人に会えたんです」
そう言って雄一郎の方を見ると、雄一郎はネクタイも外さず、倒れこむようにしていた
「雄一郎さん?」
「いや、大丈夫だ。ちょっと寝る‥」
「はい‥」
その日から雄一郎は、体の不調を感じつつ仕事に情熱を傾けたのです。
悠が止めるのも聞かずに‥
(つづく)
悠の声がガラガラなのが気になるわ
音楽:中村滋延
語り:藤田弓子
出 演
悠 加納みゆき:京都の繊維問屋「竹田屋」の三女。
雄一郎 村上弘明 :悠の夫。「吉野屋」の息子。毎朝新聞の記者に復帰
笹原 原 哲男 :雄一郎の住む長屋の部屋の前住人。もと地主
良子 末広真季子:雄一郎の住む長屋の部屋の前住人(笹原の妻)
坂井 河野 実 :「毎朝新聞」の記者、雄一郎の元同僚
長屋の女 タイヘイ夢路:笹原の部屋から出て行かない老婆
キャストプラン
アクタープロ
お初 野川由美子:「水仙」の女将。かつて「おたふく」の女将で悠を預かっていた
・‥…━━━★・‥…━━━★・‥…━━━★
薫をおんぶしたまま、お初と抱き合って泣く悠
お初との9年ぶりの再会に、悠はただ言葉を忘れて生きていたことを喜びあったのです。
「あ、せや。女将さん。笹原良子(よしこ)さん、呼んでください」
「何や知り合いかいな」
「詳しいことはあとで話します。なんやご主人がお腹が痛いって倒れはったんです」
「えーっ。そらえらいこっちゃがな」
お初は店に呼びに行こうとしてから、ちょっと戻って悠にハンカチを渡した。
「およっさん、およっさーん」
「はーい」と良子が出て来た。
「あら、悠さん。 何でっか、女将さん」
「女将さんて、ほなこんな立派な料亭の‥」
「うんうん」と笑うお初
「何ですの」
「笹原さん、ご主人が」
「あら、死んでしもうたんでっかいな」
「まさか! お腹痛いって倒れてはったんです」
「またでっかいな。押入の箪笥の中に、お茶の缶の中に薬、入ってまんがな。
飲ましてやっておくなはれな」
「ちょっとお良っさん、何や、そのものの言い方は。
あんた、その男に惚れてまんのやろ」
「うーん。そらまぁな」
「じゃぁ、さっさと帰んなはれ」
「それかて これから忙しくなりまんのに!」
「お良っさん、あんたそのご亭主のために働いてまんねやろ?」
「そらまぁな」
「だったら、はよう帰んなはれ。どうでもいい人なら別れてまいなはれ」
「ほな帰らせてもらいます」 良子は急いで家の方へ向かった。
「ちょっともかわってはらへん」
「あんたの笑顔も同じや」
あーん と泣く薫に「あーあー、びっくりしたびっくりした?」とあやすお初
「この子、あんたの?」
「はい。お父ちゃんは、吉野雄一郎 いいます」
「‥‥! そうか、そうやったんか。なぁ、ほらボンボンに良く似て‥ 元気やなぁ。女の子」
「はい。薫です」
「薫ちゃん。んーん」
「わてな、ボンボンが奈良の時分の家に連れて帰った時から、何やそうなるんとちゃうかなぁ思ってたんや。
嬉しいなぁ。わてが結びの神みたいなもんや!」
「うちも、大阪が空襲で焼けたときも、どっかで女将さんは生きてはる、そう信じてました」
「うんうん」
「あの、板場さんもご一緒ですか」
「(ちょっと顔がかわる)ん、、ま、こんなとこでは何だから入って入って」
「これから忙しくなる時ですやろ? また雄一郎さんと一緒に来ます」
「せやな。ほなもうちょっと早い時間の方がええな」
「けどまぁ、こんな立派な料亭の女将さんやなんて、さすがですねぇ」
「ここ全~~部な、借金。あっはははは!」
悠が帰ってみると、笹原夫婦はまたケンカをしていた。
「ウソばっかりついてからに、ホンマにもう!」
「すまん言うてるやないか」 鍋? が外まで飛んでくる
「あんた、死んでしまったらええねん!」
「今死ぬんやったら、とうに死んでるわ」
新聞社で勤務中の雄一郎は、かなり疲労しているようだ。
肩を叩き、首を回し、こめかみを押さえる。
坂井が入って来た 「おい、無理するな。顔色が悪いぞ」
「いや、大丈夫だ」
「貧血気味なんじゃないか。今日はもう寝ろ」
「いや。もうちょっとやるよ。
5年前広島で友人を探し回った時、もう草木も生えるのも信じられなかったのに」
「うん。自然の力はすごいさ 」
「いや、そういうことじゃない。
土の中に込められた、あの悲痛な叫び声を忘れて生き返ろうとするのはおかしいよ。
俺は今度こそ、俺の思った通りのことを書くよ」
長屋ではゴム飛びをして遊ぶ女の子たち(*^_^*)
悠は薫に離乳食を食べさせながらお話し
「今日はお父ちゃんは帰ってきはるやろかなぁ~。
なんやもう長いこと、会うてへんみたいなもんなぁ」
コロンと寝かされると、ふえーんと薫。「おとなしくしててや」
「あのー」と、こちらも座布団を枕にして寝ている笹原が、悠に話し掛ける
「良子はもう行きましたんかいな」
「はい」
「笹原さんもお粥さん、食べはりますか。食べんと元気が出えしませんし、すぐあっため直します」
ゆっくり起き上がる笹原 「すまんことです」
「お腹が痛いの、いつごろからなんですか?」台所で包丁を使いながら訊く悠
「さぁなぁ。時々、引き揚げ船のことが頭の中をよぎると、腹が痛うなってきますんや。
神経でっしゃろなぁ。
うちの奴が船底でもう死んでしもうた子どもに、出もせんおっぱいを飲ましてましたんや。
引き離すのに、男三人の力が要りました」
包丁の手を止めて、笹原を見る悠
「女房のヤツ、忘れているわけがないのにそんなことおくびにも出さず、よう働いてられると感心しますわ。
それでも時々、夢にでも見るのか、寝ながら布団を子どもを抱くみたいにして抱いてます。
ワシも慰めてやったらええのに、それがでけへんもんやさかい、ついついケンカになってしまいましてな。
ま、あんたが来てから毎日ケンカばっかりするのは、あんたが子どもを抱いている姿を見るのが
たまらんのでっしゃろな」
「‥‥」 お粥をよそう悠
「いや、何もあんたに罪があるわけやないのに、誰に怒ってもしょうがないのに」
お粥のお盆を笹原の前に置く悠 「おおきに」
「はよう仕事見つけて出ていきまっさ。もう少し辛抱しとくなはれや」
「すいません」
そこに「ごめんやっしゃー!」と日傘をさしたお初
「こんなとこに住んでんのかいな」
「女将さーん!」
「いや、お良っさんからいろいろ事情は聞きました。
けどこんなことなら、悠、家においでな。ここよりはましやで」
「はぁ。それやったら、笹原さんご夫婦を住まわしてあげてください」
「‥この人、お良っさんのご亭主」
「はい」と悠。 情けなさそうに正座する笹原
「何とまぁ、漬かり過ぎたなすびの漬物みたいに、色かわってるがな。
ちょっとあんさん、男やったら、もうちょっとしっかりしなはれや」
「へえ。良子がいつもお世話になって」
「男のくせに神経の病気になるやなんて、どうしようもないで!
あのなぁ、うちのお客さんで鉄工所の社長さんがいてはりまんねんやわ。
で、その人にお宅の働き口、頼んでありますさかい」
「え、ホンマでっか」
「ええ、お良さんがな、初めていろいろ話してくれましたんや。
ほいで、働き口頼む、言われたら、何にもせんわけにいきませんやろ」
「おおきに」
「戦争でな、大事なもんなくしたんは、あんたらだけやない‥」
その口調に、悠はお初の方を見た。
悠とお初は、乳母車に薫を乗せて散歩に出た
「あの頃、『おたふく』守るために、わても精さんも必死やった。
2人の命やったしな、『おたふく』は。
爆弾落とされるまで、雑炊売って、守ってましたんや。
わての上に火柱が倒れかかって来て、それ見て精さん、わての上に覆い被さってくれた。
わての身代わりになってくれはったんや。
気が付いて、やっとの思いで火柱から抜け出した時、精さん‥
精さんは、わての最後の男や。 その精さんのためにも大阪一の料亭の女将になってやるって
精さんのお墓に誓うて、この5年間時分ずっと働きづめやった。
あてがな、ちょっと間(ま)世話た旦那はん、いはったやろ?
あの人がな、闇屋で大もうけしはってな、あの料亭買う時に、色恋抜きでぽーんとかしてくれはった。
ありがたいこっちゃ。 世の中は持ちつ持たれつ。
なんぼ新しい世の中になったって言うてもな、恩義さえ忘れへんかったら、
ちゃーんといいことはめぐって来ます」
「うちもそう思います。あつかましいと思ってた笹原さんのおかげで、女将さんとこうしてお会いできたんやし」
「そうやがな。そのためにも、家においでぇな。ボンボンもその方が安心して仕事ができるのとちゃうか?」
「はぁ。けどやっぱり笹原さん、住まわしてやって下さい。
女将さんと一緒やったら、うちはいっつも甘えてしまうし。
雄一郎さんと薫と、いっぺん三人で生活してみたいんです」
「相変わらずやなぁ。いっちょ前の口だけは利いてんねんやな」
「はいっ」
「うふふふ。よっしゃ。ほな、あの人らに貸しましょ。
わてもな、お良さんがそばにいてくれた方が都合がええしな」
「すんまへん。せっかく言うてくれはったのに」
「それよりな、ボンボンにいっぺんゆっくり顔見せて、言うといて。な。
薫ちゃーん(と乳母車を覗き込んで)今度な、お父ちゃんと一緒に来てや。な」
長屋では、悠が広くなって部屋の掃除をし終えた
「なぁ、薫。やーっと親子三人で住めますなぁ」
そこに雄一郎が帰って来た
「お帰りやす」と悠は雄一郎に抱きついたが、雄一郎はふらついてしまった。
「あ、堪忍! 具合悪いんですか?」
「いや、ちょっと疲れた‥‥」
あーん とちょっとぐずる薫に「ああ、よしよし」と、隣に横になってあやす雄一郎。
悠は雄一郎の額に手をあてる
「ちょっと熱もあるみたいやし すぐお布団敷きます」
「いやいいよ。お前の顔見ると疲れもとれる」(あ! 薫ちゃん、寝返りして腹ばいになった~~)
と薫のほっぺたをつんつんする雄一郎
「私の顔は?」
「ん? 熱が出るよ」
「ひどーい」
「かわい過ぎて熱が出るって言ってるんだ」
「そうそう、原稿ができたんだ、読んでみるか?」
「はいっ」
雄一郎はカバンから茶封筒を出し、悠に渡した。
『終戦記念日を前にして』と原稿用紙に書いてある
「立派なもんですねぇ」
「ばか、それは読んでから言え」
「はい」
「まずその前にメシにしてくれ。お前の顔見たら腹が減った。
ずっと食欲がなかったんだよ」
「はい」
悠は茶封筒を箪笥にしまってから言った
「ものすごいええことあったんです」
「笹原さんが出てったんだろ? 電話で聞いたよ」
悠は丸テープルを出し、拭きながら言った
「どこへ行かはったかは、まだ話してませんやろ?
帰ってきたら話そう思って楽しみにしてたんです。
雄一郎さんのこと、ボンボン言わはるお人に会えたんです」
そう言って雄一郎の方を見ると、雄一郎はネクタイも外さず、倒れこむようにしていた
「雄一郎さん?」
「いや、大丈夫だ。ちょっと寝る‥」
「はい‥」
その日から雄一郎は、体の不調を感じつつ仕事に情熱を傾けたのです。
悠が止めるのも聞かずに‥
(つづく)
悠の声がガラガラなのが気になるわ