傍観癖:「マニアマニア」という趣味
川合裕之
植物は好きじゃない。でも植物が育つ早回しの映像がネットに転がっていると、ついつい見入ってしまう。
動いているものを見るのは面白い。止まっているとつまらないでしょ。回ってない風車なんて見るに値せず、てね。
Orochimaru
今日はそういうお話です。
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手段の目的化マニア という記事を書きました。僕は手段を目的化することが好きで、そういうマニアです、と。補足するまでもなくそのまんまだな。そう思いましたが、そういう回り道こそ楽しいよね、というそういう回でした。そうでなくとも世の中にマニアはたくさんいる。コンビニのコーヒー牛乳を飲み比べ続ける王田さんとかすごかった。
どうして人はときに不必要なことをするのでしょうか。不思議でならない。そういう意味で
僕は「マニアマニア」だ。「マニアマニア」とは何かのマニアになってしまった人が、好きで、その生態を傍観するマニアのこと。いま適当に名づけました。
斜めに斜めにスタンスをとってまたメタな場所に引っ越そうとしている、と言われてしまいそうですが、本当なのです。
誰に頼まれたわけでもなく過剰な愛情を注いじゃっている人が僕は好きです。なにもきれいごとではありません。見ていて飽きない。タイムラプス動画を見ているような、gif 画像を見ているような、そんな心地よさがあるのです。
最近Yさんに会ってない。
Yさんは僕の友人で、「マニアマニア」にとってはある意味で必修科目のような一級マニアです。Yさんは何でも好き。ときおり音楽に関する文章を書いてはインターネットの媒体などに掲載されている。
僕は音楽のことがわかりません。南米の国チリの長さくらいわからない。縦に細長いことは知っているけれど、結局のところ何キロくらいなのかは全然わからない。南北は4329kmで、東西の幅は平均175kmしかないそうです。
調べればわかる。そんな具合です。
だから、正直なところYさんの書いた文章をどこまで理解できているのか。
でも実際にお会いして話している姿を見ていると「なんかわからんけど、楽しそう」ということだけはわかるのです。僕にとってこれがすごく大切で、内容はともかく、そのポーズがとにかく愛らしいのです。
さっきこの文章の冒頭では「過剰否愛情を注いじゃっている人が好き」なんて書きましたけれど、どっちかっていうか「溢れちゃっている」に近い。予想以上に泡が出てこぼれちゃったビールみたいなイメージでしょうか。注ぐ対象がないのに、それでも湧きだしちゃうみたいなさ。
文章で伝えるためにはYさんの語ったことを引用なり何なりしないとだめなのですが、困ったことに本当に1文字も覚えていない。けれどもとにかく1秒間に7文字くらい話している。口に予測変換がついている。ビートを付ければヒップホップになるかもしれません。こちらが聞いていようが、何なら聞いていまいが、あまり関係なく自分の好きなことをただひたすらに話す。風が吹いたらば最後、しまいにはYさんがニマニマとしながら早口で回収してしまう。ビートを付けて音源を売ればメイクマニーできるだろうか。「MC桶屋」の誕生の瞬間であります。
こうやって人が楽しそうにしているのが好きです。「好き」の対象が僕の興味から遠のけば遠のくほど、なんだか不思議な磁場が生まれる気がします。これが僕の「マニアマニア」の概略です。
いや待てよ。
この世に「マニアマニア」という嗜好が存在するのであれば。
もしそんなものが許されるのであれば、「マニアマニア」を眺めることに小さな喜びを感じる人だって存在するかもしれない。「マニアマニアマニア」説が誕生してしまいます。
マニアを見るのが好きなマニアマニア、そしてそのマニアマニアを見るのが好きなマニアマニアマニア。そしてマニアマニアマニアを鳥瞰するマニアマニアマニアマニア。
マニアマニアマニアマニアマニアマニアマニア。
アニマ。
アニマアニマ。
アニマ。
アニマとは、ラテン語で生命や霊魂を指すことば。
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