サザンVネットの ブログ です

熟年者ばかりのボランティア グループ 『サザンVネット』が
ホームページとは別に お知らせ・活動状況を載せています

第63回クリーン作戦のお知らせ

2022-11-14 | 行事
第63回クリーン作戦を12月3日(土)に開催します。
泉北高速鉄道 栂・美木多駅から泉ヶ丘駅間の泉北1号線の清掃活動です。
アメリカフウ、イチョウ、トウカエデなどの紅葉を楽しみながら、ゴミ拾いに参加しませんか?
詳しくは、下記のチラシをご覧ください。
尚、学校でボランティア活動に参加すると、単位が貰える制度がある場合、事前に申し出戴ければ参加証明書を用意します。
学生さんの参加大歓迎です。



第61回クリーン作戦に参加しませんか?

2022-05-15 | 行事
6月4日(土)第61回クリーン作戦を実施します。(雨の場合は5日に順延)
泉北高速鉄道、泉ヶ丘~栂・美木多間の側道のゴミ拾いをします。初めての方歓迎!
ゴミばさみを持って参加しましょう!!


220331 第101回泉北近郊ウォーキング<願昭寺:富田林市>

2022-04-23 | 泉北近郊ウォーキング


2022年3月31日 ソメイヨシノの開花時期に合わせてウォーキングをセットしたが、あいにくの曇り空。12時頃から雨の予想だが、昼前に願昭寺に到着できれば、帰りは最寄り駅までわずかの距離なので催行する。
(予想通り12時半ごろから雨が降り出したので、写真は4/4に撮影したものも入れて投稿しています)

泉北高速鉄道泉ヶ丘駅から、河内長野行きのバスに乗車し、南海線千代田駅から願昭寺に向かう。
 

 

 

途中千代田神社に参拝する。大きなさざれ石がおかれていて、国歌「君が代」の看板が上がっていた。さすが楠木正成が活躍した土地柄。
 
                          さざれ石
 

汐ノ宮駅方面に少し行くと、見事な桃の花に出会った。

 

近鉄電車汐ノ宮駅から、東へ向かうと願昭寺の五重塔が見えてくる。かなりきつい坂だが、桜並木を見ながの参道を登る。

 

 

 

願昭寺への入り口の手前(五重塔、鐘楼の手前)に、仁王門(慶照門)が建設され、そこへの階段は工事中であった。参道を更に登り、本堂脇から入る。

何度見ても素晴らしい五重塔である。この五重塔は、平成23年に竣工し、大阪で唯一の木造瓦葺き、高さ37.27mで日本で10番目の高さである。大成建設が建設した。
 大成建設のページへ




今回は仁王門が出来たというので、仁王門に向かうが、ここで雨が降り出した。
本堂の階段か廊下で弁当にしようと、社務所に了解を戴きに伺ったところ、信徒会館の座敷でどうぞと案内された上に、茶菓のご馳走に与り、誠に楽しい昼食となった。
 

小雨になったころ、本堂の見学のみし、傘をさして汐ノ宮に向かう。


後日、天気の良い日に写真を 撮ってきたので下記に紹介する。

 

新しく建築された仁王門(慶照門)と阿形、吽形


 

 

 

仁王門の内側に設置されている像(名前はわからず)
 

鐘楼堂 鐘楼は重さ12トンあり、全国4位。総ケヤキ造りで、なんと12本の柱で支えられている。


 

下の写真はサムネイル版で、クリックで表示され、もう一度クリックで拡大できる。
   

    

2022.03.05 第60回クリーン作戦を実施しました

2022-03-17 | 行事
 コロナウイルスによる、「まん延防止等重点措置」中でしたが、野外での活動である事で、マスク着用、密にならない様注意しながら開催しました。
 総参加者64名。7家族がお子さんと一緒に参加してくれました。
皆さん、いつもありがとうございます。


20回目の参加者に、記念品を贈呈しました。


  

 

 

 

 



2022.03.03 < めだかの学校>を開催しました

2022-03-09 | うたごえ広場


 サザンVネットのサークル活動として、平成26年(2014年)から南区役所ココプラザで活動を続けています。

 作詞家や作曲家が目指した歌の心を味わい、きちんと歌い続けていきたいと、童謡・唱歌を中心に学んでいます。

 歌詞では表現されていない余白の発見や行間を想像する歓びを、学び合い楽しむ取り組みから「めだかの学校」の歌詞にある「誰が生徒か先生か・・・」に因んで命名した。

メンバーは16名、学んだ曲は120曲に及んでいます。

☆ 今回3月3日の課題曲は、復興応援曲の誕生の背景や誕生の秘話を語り合った。



  

  

  

2022.02.16 SAサロン<私のために生きるしあわせ呼吸法>

2022-02-28 | S A サ ロ ン


2月のサロンは、世良田順子さんにお越しいただき”私のために生きるしあわせ呼吸法”のレッスンを受けました。
かかとトントン、手首ブラブラ、グーパーなどのあと、腹式呼吸の実践などを行いました。

  

2022.01.26 SAサロン<若菜会の皆さんによる新舞踊>

2022-02-28 | S A サ ロ ン
1月のSAサロン(会員の親睦会)に、恒例の若菜会の皆さんにお越しいただき、コロナ禍ではありますが、楽しいひと時を楽しみました。やっぱり!1月は着物姿がいいね!!




  
      寿ぎ舞い扇          みだれ髪
  
       冬椿           片恋おぼろ月      
  
       竹             雨の舟宿
    
      福寿の舞           人生夢桜


井上栄子さんによる、孫が驚くばあさん・爺さんマジック教室

第60回クリーン作戦を実施します。参加をお待ちしています。

2022-02-10 | クリーン作戦
2022年3月5日(土)第60回クリーン作戦を実施します。
2月20日までのまん延防止等重点措置は、延長されそうな雰囲気ですが、緊急事態宣言が発令されない限りは実施します。少しでも体調に異常を感じた方は、参加を見合わせてください。
屋外での活動ですが、マスク着用で参加をお願いします。


12月10日ミニうたごえ広場開催

2021-12-29 | うたごえ広場
12月10日栂文化会館 視聴覚室でミニうたごえ広場を開催しました。参加者30名。



 


2021.12.04 第59回クリーン作戦を実施しました

2021-12-29 | クリーン作戦


 12月3日泉北1号線泉ヶ丘駅~栂・美木多駅間の側道の清掃活動、第59回クリーン作戦を実施しました。
参加者はスタッフを含めて58名。コロナウィルスへの対応で室内でのボランティア活動はいまだ自粛傾向にあり、戸外での活動のクリーン作戦に新規参加いただいた方が増えつつあり有難く感謝しています。
 20回目参加者1名。記念品を贈呈しました。

  写真をクリックすると拡大表示します。

 

 

 

お疲れ様でした。

第99回<石上神宮(いそのかみじんぐう)・長岳寺:山の辺の道>

2021-12-27 | 泉北近郊ウォーキング
11月23日第99回泉北近郊ウォーキングは、長岳寺の紅葉を求めて、天理の石上神宮から山の辺の道を長岳寺まで歩きました。


近鉄天理駅を降りると、コフフン(CoFuFun)と呼ばれる不思議な建物群が目に入る。
古墳をさかさまにしてステージにした、ステージコフンは屋上には巨大なドーム型のトランポリンがあり、子供たちの人気スポットとなっている。
 
     ステージコフン           カフェレストランと観光案内所

すりばちコフンと言うすり鉢のそこまで滑り降りて、ぐるぐる回りながら駆け上がる遊具もある。
駅の方を振り返ると、三角縁神獣鏡のモニュメントがある。
杣之内火葬墳(ソマノウチカソウフン)出土の怪獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)と呼ばれる鏡で、1,200年前(唐時代)中国の西安地方で造られた物と言う。

      すりばちコフン           怪獣葡萄鏡

高齢者のグループなので出来るだけ歩く距離を少なくしようと、近鉄天理駅から石上神宮までコミュニティバスで移動した。天理市内を巡るバスなので、天理教の本部や、黄葉した銀杏並木を車窓から見ることが出来た。小さなコミュニティバスで10席しかなく立っていたので写真は撮れずじまいだった。

石上神宮前で下車し、神宮に向かう。鳥居をくぐってしばらく行くと、放し飼いされたニワトリが迎えてくれた。東天紅、烏骨鶏など珍しいニワトリが走り回っている。
石上神宮は、改修中であった。
 

 

 
        東天紅               烏骨鶏(右側)

 

石上神宮は、第十代崇神天皇の御代に建設された物部氏の総氏神を祀る社で、百済から送られた七枝刀(ななつさやのたち:七支刀)が神庫に保管されていることで有名です。
主祭神は、布都御魂大神(フツノミタマオオカミ:スサノオノミコトの父)
     布留御魂大神(フルノミタマオオカミ:ニギハヤヒノミコト:スサノオノミコトの5男)
     布都斯魂大神(フツシミタマオオカミ:スサノオノミコト)
すべて、出雲の神様である。「日本書紀」「古事記」では、神話として記載されていて、神代の時代に祭り上げられているが、実在の人物ではないのか?
歴史学者の多くは、物部氏の伝承を詳細に記した「先代旧事本記(せんだいくじほんき)」を、平安時代の初期に物部系の人物によって編纂された書物なので偽書とみなしているが、実は本当の歴史が隠されているように思われる。

記紀以前の資料を基に調査し発行された本を2冊紹介する。興味のある方は是非読んでほしい。

記紀以前の資料による「古代日本正史」著者:原田常治 発行所:㈱同志社(現在の㈱婦人生活社)
「古代ヤマト王権の縁起と伝承」記紀に消されたニギハヤヒ命の実像 著者:木村博昭 発行所:批評社

これらの書物によると、
1.出雲族のスサノオノミコトが55歳のころ(5男の大歳尊(オオトシノミコト)が25歳のころ)に九州全土を統治した。この時、それまで九州を治めていた大日霊女貴尊(オオヒミコムチノミコト)との間に3人の子供をもうけている。(多岐理姫、多岐津姫、狭依姫)
2.九州平定が終わると、大歳尊をすぐにヤマトに送っている。(のちのニギハヤヒノミコト)
3.日向族(高天原族)で、九州を治めていた大日霊女貴尊(オオヒミコムチノミコト)の末子:熊野楠日尊と玉依姫の間に生まれた4人目の末子:伊波礼彦(イワレヒコ)が、ヤマトのニギハヤヒノミコトの末子:伊須気依姫(イスケヨリヒメ)に養子として迎えられ神武天皇となる。(記紀で言う神武東遷)
4.大日霊女貴尊は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の子とされている。

これで、モヤモヤしていた頭がスッキリしたのは私だけだろうか!

石上神宮を後にして、山の辺の道を長岳寺に向かう。あちこちに万葉歌碑が立つ。
 

 

10月桜なのか、満開の桜に出会う。
 



 

夜都伎神社(やつぎじんじゃ)の入り口は、黄葉がきれいだった。
 

 

民家には、吊るし柿がつるしてあった。また、道端に菊の花が咲いていた。
そんな情緒豊かな山の辺の道を行く。
 



とある民家の瓦塀に出会う。
 

 

 

はじめてみる柿の葉の紅葉が素晴らしい。
右の写真は、船渡地蔵尊。看板の説明書き。
 むかし萱生と竹之内両村で池堀りをしていたところ一枚の石に刻まれた二体のお地蔵さんが出てきました。
お寺へ移そうとしたら運ぶ人たちの足腰に痛みがおこり、さあ大変。
お地蔵さんのたたりかと思われましたが見晴らしの良いこの場所で丁重にお祀りし供養をすると、まあ不思議。痛みはすっかり治りました。
今も腰から下の病気にはこのお地蔵さんのご利益が受けられると聞く。
「天理の昔ばなし」より・・・
地元では「ぽっくり地蔵」とも呼ばれ信仰を集めています。

 

柿本人麻呂の歌碑
 

長岳寺の駐車場のそばにある、天理市トレイルセンターの庭でお弁当。長岳寺についての説明を聞き、そのあと恒例の歌を唄い、長岳寺に向かう。
 

 

 















 

長岳寺を出て、神武天皇陵と言われる行燈山古墳へ
 

黒塚古墳展示館と黒塚古墳を見て、柳本駅に向かう。
 


歌声サロン開催 2021.11.24

2021-11-27 | S A サ ロ ン
11月24日 イベントの開催については、定員の1/2という基準の中、今回は予約制で人数制限、先生と会員間は、シールドの設置、参加者はマスク又はフェースシールドの着用とコロナ対策をして歌声サロンを開催しました。ミニうたごえ広場に予約が出来なかったうたごえ広場の会員にも参加いただきました。


キーボード:多田景子先生、フルート:清原とも子先生、歌唱指導:谷 敬子先生
谷先生には、野上彰作詞、小林英雄作曲「落葉松(からまつ)」をソプラノで唄っていただきました。
 







211027 SAサロン<おもしろエルダーズ>

2021-11-18 | S A サ ロ ン


10月のSAサロンに、和泉シティプラザで活動する「おもしろエルダーズ」の皆さんにお越しいただき、楽しい演奏を聞きました。
先生の岡田奈緒子さんが、2004年に和泉シティプラザで音楽講座を開催し、終了後何か始めようとの要請があり、「どんな楽器でもよいから弾ける人」が集まって構成されたのが始まりとのこと。
ウクレレ、フルート、キーボード、大正琴、ヴィオリラ、ドラム、二胡などの楽器の混成グループで、ユニークな楽団です。

 

 

岡田先生の楽しいトークと素晴らしい演奏を楽しみました。
演奏曲は、きよしのズンドコ節、ドコモーション、きみは天然色、中島みゆき 慕情、あなたとトゥラッタッタ、パプリカ、YMCA、ふるさと

岡田奈緒子さんプロフィール:NAOMUSIC、ヤマハ音楽教室システム講師、大正琴・ヴィオリラ指導認定講師、音楽療法セッションアドバイザー、音楽イベント総合企画

各種の楽器の紹介もしていただきました。
 
        ヴィオリラ               フルート
 
        キーボード              キーボード
 
        二胡                 大正琴

第98回泉北近郊ウォーキング<岩湧山・ススキ鑑賞>

2021-11-12 | 泉北近郊ウォーキング


2021年10月20日 岩湧山ススキ鑑賞ウォーキングを実施した。
泉北近郊ウォーキングは、2010年9月29日に泉北ニュータウン内泉ヶ丘緑道から始まり、今回で98回を迎える。高齢化が進み、岩湧山は無理かと危ぶみながらも、歩く距離を出来るだけ短くするように、滝畑ダムから往復のコースで開催し、6名の参加を得た。

河内長野駅から滝畑ダム行き始発のバスに乗車。ススキが見ごろで乗車したバスの6割が岩湧山登山客であった。10月14日の下見の時は暑かったが、急に温度が下がり山登りには絶好の天気となった。

滝畑ダムで下車し、川沿いに歩くと「滝畑湖畔観光農林組合」が経営する喫茶・レストランがある。駐車場と滝畑トイレがある。岩湧山山頂までトイレが無いので必ずここで用を足すことが肝要。そのわきに登山道入口がある。急な坂道を上ると林道に出る。林道を横切って更に登山道を登るが、案内標識があり間違う事は無い。
 

 

しばらく急な坂道を上ると、カキザコに出る。(ここまでが急な上り坂 約1時間)
 
下見の時「カキザコ」とは何のことか?何かいわれがあるのか?と帰りに滝畑湖畔観光で聞いてみてもわからない。
インターネットで調べてみると、「柿迫」がヒットし、柿迫姓の人がかなり存在する。更に検索すると、地名で「柿迫」があり、柿林と山との境のこと。とあった。確かなことはわからないが、案外これが正しい様に思われる。

カキザコからは、緩やかな上り下りが続く。歩くこと2時間。杉・檜林をすぎるとススキの山が見えてくる。
 

ここから、山頂までススキの山を登る。階段はかなりきつい。
 

 

途中風が強くり杉林の高いところはしなっていたが、林の中はさわやかな風しか感じなかった。頂上はかなり風が強いのではと思っていたが、ススキ(茅)は背が高く風除け効果が抜群で、ベンチに座っての食事にはほとんど影響がなかった。
山頂から見下ろす景色も素晴らしい。富田林のPLの塔はくっきりと見える。

 

 

 

 

食事の後記念写真を撮り、こじんまりと歌も唄う。
 
「どんぐりころころ」「村祭り」「赤とんぼ」「バラが咲いた」



 

 

元来た道を下りにかかると、珍しいアザミのような花が目に付く。
「ハバヤマボクチ(葉場山火口)」と言う植物で、絶滅危惧種に指定されている。
菊科の多年草 葉はゴボウの葉に似ていて裏面に白綿毛を密生する。
火口は火をおこすときに使うものの名で、ボクチとあるのは葉裏の白綿毛を火口に利用したことに由来する。
葉と葉裏の白綿毛


ススキ山の中腹に、茅を運びおろすケーブルがある。
茅について、河内長野市のホームページに説明があったので、転記します。

  

岩湧山頂に広がる草原は、新河内長野八景「岩湧山頂の花すすき」として市民に親しまれています。一方で、地元では「キトラ」と呼ばれており、約300年前から滝畑の共有地として地区の人々によって代々管理されてきました。
 このカヤ場は、滝畑地区の茅葺民家の屋根葺き替えなどに利用するため、定期的にカヤ刈りや山焼きなどの手入れが行われてきました。近年は、地元の茅葺民家が減少するにつれて、文化財建造物の屋根葺材としても広く利用されるようになってきています。
 岩湧山のカヤは、背丈が長く、株の部分から穂先までまっすぐに伸びており、柔軟性に富んでいます。また、地理的に雪が少なく、十分に乾燥した状態のカヤを刈り取ることができるため、屋根葺材として適しています。現在、全国的に屋根修理用のカヤが不足しており、約7.5ヘクタールにわたって良質なカヤが生育するカヤ場は、資材の供給地として大きな期待が寄せられています。そのため、選定保存地域として選定し、積極的に育成を図ることで、文化財建造物修理用のカヤが安定的に供給できるようになるとともに、カヤ場が育む草原性の貴重な動植物を保護することが可能になると考えられます。

ハイキングや山登りは、年配者がほとんどと思い込んでいたが、今回岩湧山に登って、若い人たちが半数を占めることに驚いた。ひょっとしたらコロナの影響もあるのかもしれない。

第97回泉北近郊ウォーキング<岸和田街歩き> 211005

2021-11-10 | 泉北近郊ウォーキング

   クリックすると全画面表示  岸和田城 八陣の庭

 今回のウォーキングは、岸和田の街並みを歩く”岸和田街歩き”をしました。参加者は17名。
泉北高速鉄道和泉中央駅に集合。南海バスに乗車し、車窓から昨年久米田池ウォーキングで歩いた摩湯山古墳が見え「前に歩いたとこや!」とワイワイ言いながら南海岸和田駅に到着。
  

 岸和田駅前商店街の入り口の左側に”だんじりからくり時計”の一代目が立ち、右側に二代目が壁に欠けられている。動く二代目は見た目は何の変哲もない時計だが、毎時0分になるとだんじり囃子と共に扉が開きだんじりが動き出します。残念ながら見ることが出来なかったので、投稿されていたYouTubeを貼り付けました。


 アーケードが高く広々とした商店街。ここをだんじりが通るので、天井を高くしているとか。さすが”だんじりの街岸和田” 昨年はコロナで中止、今年は期間を短縮して開催された。
 

 商店街を更に海側に行くと湾岸線に出る。左に「波切ホール」右は「ベイサイドモール」
 

 湾岸線との交差点に”看貫場”がある。看貫場とは、漁港で水揚げされた魚の重さをはかる場所の事。(古い言葉やけど、昔大きな時計のような針が前に着いた台秤のことを、カンカンと呼んでいたことを思い出す)
 この広い湾岸線を通行止めにし、ずらりとだんじりが勢ぞろいして、順番に右側の商店街に繰り出して行く。
 看貫場を出るだんじりのYouTubeを張り付けました。


 紀州街道まで戻り右に曲がったところに、旧和泉銀行の建物がある。下見に行った時(だんじりが開催されたあくる日)に、半被姿の元気なおばちゃんに出会い「今度来た時に寄って行って!お茶でも御馳走するから」と誘われていたので厚かましくも総勢17名でお邪魔し歓待された。ゆっくり時間が取れないと連絡して置いたら、お茶のペットボトルを全員分用意していただいた。
 なんとこの建物が売りに出された時に、前の紀州街道をだんじりが通るのを二階から眺めることが出来る絶好の場所なので買い取ったという。市民が利用できるよう解放されている。
 今、80歳、まだまだこれからも元気で120歳まで頑張るよ!」と、意欲とパワーに元気をもらいました。ありがとうございました。


 

「岸和田だんじりの里親」と言われ親しまれている久場共見子さん。著書「情熱、成功への扉」食育・愛育・教育 久場ママからのメッセージ、「挑戦」つよく、やさしく など。
(株)LIP、(株)キューブインターナショナルなどの代表取締役。岸和田商工会議所女性会の監事もされている怪物おばちゃん(失礼!)

 少し南に歩くと岸和田港塔原線出る。出口に欄干橋がある。
 元禄・享保年間は「ギボシのある橋」、天保年間の地図では「欄干橋」とあり、この地域における「道路元標」とされ、他の地域からの距離を示す目印になったという。


  クリックで拡大表示 

 旧四十三銀行のレンガつくりの建物を過ぎると、クランク状のマス形門「堺口門跡」がある。城下町特有のマス形門は、敵の侵入を阻止するために設けられたもので、今やこのクランクをだんじりをいかにうまく通らせるかの技術が競われる名物の箇所で知られている。
 だんじりがぶっつかるたびに壊されるので、角を丸く改装されている。
 

S字をクランクのYouTube



 更に南下し、岸和田自然資料館を見学。ここで岸和田城天守閣、だんじり会館入場の3か所共通券を購入すると割引になるので、お勧めです。
 

 

 こなから坂の標識を左折し、堺阪南線を渡り岸和田市役所の前に出る。堺阪南線から岸和田市役所前は坂になっていて、だんじり祭りの宮入直前の見せ場として有名である。
 
YouTubeの動画を貼り付けます。
坂を駆け上がり、90度カーブを切って岸和田城に向かう。


岸和田城二の丸広場に、櫓を模した二の丸門トイレがある。お城への入り口付近に、イタリアンレストラン「Clibu Contrada」があり、食事が出来るだけでなく、お城側の廊下が一般開放されていて自由に使用できる。サービスでワインクーラーに入れた冷たい水が準備されている。屋外にもテーブル、椅子が置かれている。
無料でこんなサービスがあるのはうれしい。
 

 屋内の廊下と屋外のテーブルにそれぞれ好きなところで弁当を食べた後、恒例の歌の時間。今回は多田先生の指揮で大いに盛り上がる。
 虫の声、月の沙漠、故郷の空、あざみの歌、ちいさい秋見つけた
 

 

大手櫓門を入ると、酒造用に使われていたという甑用大釜(こしきようおおがま)が置かれていた。(米を蒸すために使う大釜で、容積1800ℓ=10石)
   

 天守閣に登り、八陣の庭を見下ろす。岸和田高校の校舎には、天文台が見える。天文台がある高校は珍しい。
 

 

岸和田城「猪伏山(いぶせやま)ちきり城」
建武元年(1334)楠木正成(楠正成)の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。1592年小出秀政によって天守のある城郭として整備され、1640年に岡部宣勝が泉州統治の拠点とした。岸和田藩は5万3千石であったが、城の規模は50万石級の大藩に匹敵する。
ちきりとは、機(はた)のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を重ねた形が「ちきり」に似ているところから由来する。
 

城を出て、五風荘に向かう。五風荘は岸和田市の指定文化財になっていて、旧岸和田城内の新お茶屋跡などに旧寺田財閥寺田家の二代目当主家の別荘として昭和の初めに造営された回遊式日本庭園。
 







岸和田城をバックに五風荘で記念写真




だんじり会館では、大画面で迫力あるだんじりの映像を見ることが出来る。
 

更に紀州街道を南下し蛸地蔵天性寺に向かう。
天正年間(1573~92)岸和田城が根来・雑賀衆に攻められ落城寸前に大蛸に乗った一人の法師と数千の蛸が現れ敵兵をなぎ倒し城の危機を救った、数日後、城の堀から矢傷・弾傷を負った地蔵が発見され、城内に収められ、その後天性寺に移されたと伝えられている。
 

 

南海蛸地蔵駅から、電車で帰路につく。
蛸地蔵駅は、大正14年に築かれた南欧風の駅舎、壁面には蛸地蔵縁起のステントグラスがはめ込まれている。