令和2年12月3日、泉北高速鉄道の最終駅和泉中央駅に集合して、摩湯山古墳経由久米田池、久米田寺へ向かった。
エントランスからエスカレータで陸橋に登り、通路を右に出ると、中央公園に出る。公園内の小山は、前方後円墳だとの事。
前方後円墳
龍を模ったものか?
道路は車が多いので、少し遠回りになるが、槇尾川の橋を渡って川沿いの道を歩く。
路地に咲くネリネ(ダイヤモンドリリー) メタセコイア
奇妙なミカン
川沿いの道から、民家の間を向けると、摩湯山古墳に出る。
摩湯山古墳(まゆやまこふん)
4世紀後半ごろ(前期古墳)の前方後円墳で墳丘全長約200m、口縁部径127mにおよび、前期古墳としては大和地方以外では最大級の規模で、国の指定史跡に指定されている。
本格的な調査が行われていず、泉州地域で大きな勢力を持った在地首長の墳墓と推定されている。和泉地方の前方後円墳としては、最古級に位置付けられている。
摩湯交差点を左折し、南へ向かう。池の畔にアオサギがいた。ここから振り向くと、古墳のほぼ前景を見ることが出来る。大きい!
しばらく行くと、久米田池に突き当たる。この時期はすっかり水が抜かれていて、浅い池だとよくわかる。府内最大の面積を持つ。貯水量では、光明池が最大との事。
改修前の排水口(この時期だから見ることが出来た)と現在の排水口
久米田池(くめだいけ)
大阪府から史跡・名勝の指定を受けていて、広さ45.6ha、貯水量157万t、周長約2,650mの大阪府内最大の面積を持ったため池で、僧行基によって奈良時代(725年~738年)14年かけて作られたものとされている。この際に池を管理する施設として、隆池院という寺院が建てられたのが、現在の久米田寺です。
久米田池は「鳥の国際空港」とも呼ばれ、1年を通して様々な鳥類がエサや休息場所を求めて飛来します。カモ、シラサギ、アオサギ、カワウなどが確認された。
また、堤を造る工法は、狭山池でも用いられている敷葉工法で、中国や朝鮮半島からもたらされたものです。
久米田寺(くめだてら)
行基によって久米田池を維持管理するため、738年創建されたと伝えられる。永禄年間(1553~1570)の三好氏と畠山氏の戦火で焼失し、現在の建物は、江戸時代に再建されたものです。
大門 金堂
開山堂 観音堂
太子堂 多宝塔
靖霊殿 華厳院(塔頭)
華厳院
明王院(塔頭) 鐘楼
華厳院の左の白壁の間を抜けると、右側に光明皇后塚がある。
光明皇后塚
道路に出て、左にある墓の中に行基墓がある。大門の左手にある信徒会館の裏手に、三基五輪塔がある。
行基墓 三基五輪塔
三基五輪塔 聖武天皇(しょうむてんのう)、光明皇后、亀山天皇の供養塔と言われている。
道路を渡り、西側の林の中に入っていくと、久米田古墳群がある。築造されたのは発掘調査の結果、その多くは5世紀後半ごろと推定されている。無名塚古墳と風吹山古墳は、発掘調査後に復元され、古墳公園として整備されている。
無名塚古墳
風吹山古墳
風吹山古墳の上で、歌う。
里の秋、もみじ、旅愁、遠くへ行きたい
エントランスからエスカレータで陸橋に登り、通路を右に出ると、中央公園に出る。公園内の小山は、前方後円墳だとの事。
前方後円墳
龍を模ったものか?
道路は車が多いので、少し遠回りになるが、槇尾川の橋を渡って川沿いの道を歩く。
路地に咲くネリネ(ダイヤモンドリリー) メタセコイア
奇妙なミカン
川沿いの道から、民家の間を向けると、摩湯山古墳に出る。
摩湯山古墳(まゆやまこふん)
4世紀後半ごろ(前期古墳)の前方後円墳で墳丘全長約200m、口縁部径127mにおよび、前期古墳としては大和地方以外では最大級の規模で、国の指定史跡に指定されている。
本格的な調査が行われていず、泉州地域で大きな勢力を持った在地首長の墳墓と推定されている。和泉地方の前方後円墳としては、最古級に位置付けられている。
摩湯交差点を左折し、南へ向かう。池の畔にアオサギがいた。ここから振り向くと、古墳のほぼ前景を見ることが出来る。大きい!
しばらく行くと、久米田池に突き当たる。この時期はすっかり水が抜かれていて、浅い池だとよくわかる。府内最大の面積を持つ。貯水量では、光明池が最大との事。
改修前の排水口(この時期だから見ることが出来た)と現在の排水口
久米田池(くめだいけ)
大阪府から史跡・名勝の指定を受けていて、広さ45.6ha、貯水量157万t、周長約2,650mの大阪府内最大の面積を持ったため池で、僧行基によって奈良時代(725年~738年)14年かけて作られたものとされている。この際に池を管理する施設として、隆池院という寺院が建てられたのが、現在の久米田寺です。
久米田池は「鳥の国際空港」とも呼ばれ、1年を通して様々な鳥類がエサや休息場所を求めて飛来します。カモ、シラサギ、アオサギ、カワウなどが確認された。
また、堤を造る工法は、狭山池でも用いられている敷葉工法で、中国や朝鮮半島からもたらされたものです。
久米田寺(くめだてら)
行基によって久米田池を維持管理するため、738年創建されたと伝えられる。永禄年間(1553~1570)の三好氏と畠山氏の戦火で焼失し、現在の建物は、江戸時代に再建されたものです。
大門 金堂
開山堂 観音堂
太子堂 多宝塔
靖霊殿 華厳院(塔頭)
華厳院
明王院(塔頭) 鐘楼
華厳院の左の白壁の間を抜けると、右側に光明皇后塚がある。
光明皇后塚
道路に出て、左にある墓の中に行基墓がある。大門の左手にある信徒会館の裏手に、三基五輪塔がある。
行基墓 三基五輪塔
三基五輪塔 聖武天皇(しょうむてんのう)、光明皇后、亀山天皇の供養塔と言われている。
道路を渡り、西側の林の中に入っていくと、久米田古墳群がある。築造されたのは発掘調査の結果、その多くは5世紀後半ごろと推定されている。無名塚古墳と風吹山古墳は、発掘調査後に復元され、古墳公園として整備されている。
無名塚古墳
風吹山古墳
風吹山古墳の上で、歌う。
里の秋、もみじ、旅愁、遠くへ行きたい
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