朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

見ることができる目、聞くことができる耳は幸い。

2015-02-22 22:09:47 | 聖書から
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、
あなたは町にいても祝福され、
野にいても祝福される。申命記28:2~3




イエスは弟子たちにお語りになった。
「あなたがたの目は見ているから幸いだ。
あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」タイ13:16





               (ローズンゲン日々の聖句2/23;月)




 御声に聞き従うなら祝福にあずかるのだそうです。

けれども、自分の理性の判断を正しいとする、
善悪を知るようになった人間(創世記3:22)は、
創造主の言葉よりも、自分の判断のほうが正しく、良いと思うのですね。




 それで、語りかけても聞かず、
ことを起しても見ようとしないのだそうです。







天の神、主が、
イエスを通して語られた言葉、
そのことばの裏付けとしてなされたしるしと不思議、
その、証拠の御業を目の当たりにしても、
多くの人は、聞いても聞かず、見ても見なかったのですね。




 自分の判断は、ともかく、ちょっと横に置いておいて、
それを見た者、聞いた者は、心開かれ、
この方、イエスこそ、神から遣わされた方だと分かったのだそうです。







 天の神、主は、

特別な時には直接、語りかけられることがあるようですが、

イエスが十字架に架かり、処刑を受けて下さって、

私たちの罪の贖(あがな)い、代価の支払いが完了して

新しい契約が成立している今は、

日常的には、イエスによって派遣され、私たちの内に来て下さる
聖である霊と呼ばれる方によって、私たちの心に御思いを置くという在り方で

私たちに語りかけることが多いのだそうです(エレミヤ31:33)。




その、私たちの心に置いて下さる御思いに
耳をすませ、
その思いについて行ってみて、その結果を見る歩みをしてみたいものですね。
今日も。


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悪魔の働き、死も滅ぼされるのだそうです。

2015-02-22 08:52:55 | 聖書から
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、
神の子が現れたのです。Ⅰヨハネ3:8b

                     (今週の聖句)




遠くから主を思い起こし、
エルサレムに心を留めよ。エレミヤ51:50




私たちはいつも心強いのですが、
体を住みかとしている限り、
主から離れていることも知っています。
目に見えるものによらず、
信仰によって歩んでいるからです。Ⅱコリント5:6~7




                (ローズンゲン日々の聖句2/22;日)




 心をかたくなにして自分の思いに固執し、
ついに天の神、主の懲らしめに合い、

今は、バビロンの地にあったとしても、
天の神、主は憐れみをもって、
やがてバビロンは裁かれ、

イスラエルの民は約束の地に帰還するという、
その日を約束して下さった。




 だから、遠く、異国の地の、捕囚の身にあるとはいえ、
エルサレムを思い、その希望によって生きよとの
慰めの言葉をかけていて下さるのですね。







 私たち人間、この地上にあっては、
この幕屋(肉体)の中にあって重荷を負ってうめいています。

けれども、天の神、主は、希望を与えていて下さるのですね。





 イエスが十字架刑での処刑をを受けて下さって、

死んで葬られ、
墓から復活されたことによって、
私たちすべての人間にも復活させて下さるという希望が。







私たちの住まいである地上の幕屋(肉体)がこわれても、
天の神、主は新しい建物(復活の体)を与えて下さるのだそうです。
それは、天にある永遠の家で、
それを着たなら、
私たちはもう裸の状態(死によって身体がなくなっている状態)に
なることはないのだそうです。




 新創造された世界では、
神ご自身が私たちと共におられるので、
もはや、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもなく(黙示録21:3~4)、
御座の御前で、数えきれない多くの人たちと共に
賛美させて下さるようになるのだそうですから(黙示録7:9~17)。




 バビロンの捕囚の身にあっても、エルサレム帰還の日を思い、
希望をもって生きたように、
私たち、今は肉体の中でうめいていたとしても、
天の神、主が、私たちに
新しく、復活の体(霊の体)を与えてくださる(着替えさせて下さる)、
その喜びの日を心に留めなさいと言って下さっているようですね。
この新しい一週間も。 





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